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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2007年09月23日

北沼上~麻機の峠道

  北沼上~麻機の峠に通ずる道 静岡市葵区 
 どれほどの古さの道かは不明。明治22(1890)年の地図には記載があり、北沼上に大正・昭和初期(1910~30)建立の石道標が残っている。
 北沼上のスタート地点は、竜爪街道右岸道(長尾川右岸の道)を南沼上より北上し、北沼上小学校前を通過した所に左折(西進)する道がある。今の道はこれだが、もう少し直進北上しバス停「松尾」の手前に石道標「右 竜爪山 左 麻機村道 ニ通ズ 大正十年松尾青年団」がある。昔からの設置場所がここかは分からないが、古い地図上では整合性がある。右の道は今の竜爪街道右岸道を指し、左は集落の中に入る道になる。地図で見ると、古くは集落内の奥の山際の曲線に沿って街道が通っていたことは分かる。昔の道はこういった所を通ることが多い。そこで集落内の狭い道を進む。集落を西に抜けると、小学校を左折する今の舗装道路に出る。
 この舗装道路が昔の道とまったく同一かは不明だが、およそ付かず離れず踏襲しているとは思われる。500m進むと石道標「右 作道 左 麻機 ニ通ズ 大正十一年望月□□」がある。さらに500m進むと舗装路は右に90度カーブし150m上って舗装路は行き止まりとなる。この右カーブする箇所から沢に沿って直進する登山歩道がある。これが旧道と推定される。かつてこの奥は畑になっていたので、きれいに整備され、いつも通れたと思われるが、奥に進むと畑は打ち捨てられ雑草だらけで、道は廃道である。麻機に抜ける西の山並みを見ると、低くなった峠直下に瓦屋根のお堂らしきが見える。
 北沼上から峠直下のお堂には廃道で行けない。別ルートがある。北沼上のもう少し南からこの峠に行く道が古い地図にも記載されている。今のバス停「北沼上下」からおよそ舗装農道を西に上る道である。農道の行き止まりから等高線上250m先にお堂が見える。農道行き止まりから登山歩道が延びるが、すぐに廃道である。ここで出会った地元の人の話だと、「あのお堂は、麻機で祀ったものだ。」とのことだ。
 次の手は、麻機から行くことにした。麻機の町を抜け滝の谷温泉の看板を過ぎ、第二東名のガードに出る。ここにかつての山寺跡に祀られていた石塔類が設置されている。以前は第二東名の真下に平坦地があり、いかにも寺院の跡であることが確認でき、そこに石塔類もあったが、移転設置された。ちょうどこのあたりから北沼上に抜ける旧道があったはずだが確認できない。ただこの不明の旧道をもとにして、ここから右折する舗装農道がつかず離れず上っていく。農道を数回またぐように旧道があるはずで、一部は畑の作業道として使われていよう。農道に沿って上り、峠直下の茶畑に向かう農道枝道を右折する。すぐに茶畑が峠まで延びているのが目に留まる。茶畑の道を歩いて上る。これが旧道である。峠に出ると北沼上側は雑木林であり、下のお堂は見えない。50m歩き下るとお堂の瓦屋根が見える。ただしそこからはひどい草薮の廃道を数m下る。お堂に出た。中を覗くと「八幡神社」の札があった。鳥居はないが八幡神社ということのようである。他に祀られているものはない。ひどい廃屋で倒壊は時間の問題である。ここから北沼上に下る2ルートの道が廃道であることは見回すとすぐに了解される。いっちもさっちも移動できない。再び草薮を突っ切り峠に戻り茶畑を下った。
 麻機側に残存するものでは、寺院の石塔類だけであり、直接この道に関するかといえば不明だが、おそらくこの旧道に沿って寺があったものと推定される。麻機側の山と平坦地の境目に寺があり、ここで道行く人は「ここから山道だ。」、「やれやれ山を抜け麻機に出た。」と思ったことだろう。
 課題は、八幡神社や石道標、この道に関して麻機や北沼上の人に聞き取り調査をすることである。更に分かることがあろう。
2008年、八幡神社のお堂はなくなった。  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 22:32Comments(0)龍爪山近辺の古道

2020年05月10日

・龍爪街道

☆龍爪街道右(西)岸道(静岡市葵区川合、北街道上土交番~葵区松尾、北沼上小学校付近)
全体ルートと付近の遺物については、『古街道を行く』鈴木茂伸:著に述べられているが、その本に載っていない物事を補遺編として紹介する。

・石道標「右 西奈村 左 龍爪山道」(川合神明社近く)  
 川合で龍爪街道を川合神明社に向かい右折する所の民家のコンクリート塀に、石道標「右 西奈村 左 龍爪山道」が埋め込まれている。埋められているので裏面が見えないが、多分字体、石の大きさ、材質等から、大正期から昭和初期にこの道筋に建立された一連の石道標の一つと考えられるので、その頃の年号と、建立者の青年団名が記されていると思われる。以前は隣の神明社参道入口前付近に安置されていた。またこの石道標前の北に向かう道が竜爪街道右岸道で、東に向かう細い道が西奈に向かう道であることを示唆している。

・(RU15)庚申塔2基(瀬名4丁目9-3、水梨バス停前)
 庚申塔2基は以下に移転された。
(RU7)利倉神社(瀬名4丁目5-1)
  境内東端安置。 ’20 5/10
 
・(RU11)南沼上神明宮(南沼上826)
 ・石塔:「常夜燈 村中安全 明治十七甲申歳夏日 世話人 寺尾健治郎 望月清八 岩﨑弥八郎」1884、 ・石段、 ・石鳥居:「平成二十一年 」2009、
・手洗石:「奉納 當村中 若者 文化三丙寅年九月九日」1806、 
・「御神燈」2:「平成二十一年」、 ・石塔:多分常夜灯の竿部分で石鳥居前の常夜灯と対か:「奉納 嘉永六年五月吉日 當村石工施主 」1853、 ・石塔:多分常夜灯の竿部分:「奉献 伊勢神明宮」、 ・石塔:多分常夜灯の竿部分で先述の常夜灯と対か:「    十年十一月日 伊勢神明宮 石燈篭 當村  」、 ・祠:木造:、  ’20 5/10

・上坂峠、地蔵(上坂隧道トンネル真上、北沼上49) 
 瀬名と南沼上境の通称お化けトンネル(工業水道を地下に通し、地上部をトンネルにし、通行止めだが実際は通行黙認)の真上の峠には人工的切通しがあり、地蔵が安置される。地蔵の左肩部分は過去に割れたらしく、欠損しているし、首も一旦は外れたらしく、セメントで固められている。他に古い遺物は見当たらない。古道はトンネル東側北沼上49-7の旧警察官舎団地付近からトンネル出入り口道の横から上っていける。山道を登っていくと5分で峠に出る。峠西からお律と配水池の巨大配水塔前の金網に伝って下っていけそうだが雑草まみれの廃道と思われる。’20 5/7

・(RU19~20の間)石経、地蔵(北沼上下バス停近く、北沼上775-5) 
 北沼上下バス停より上流に60m歩き左の山道に取り付き30m上ると祠に地蔵が祀られている。年号読み取れず、「吉日」だけ判読できた。
・説明版:石経いしぎょう、北沼上本村町内会、石経とは、享保の頃、村人の願いを全うする為、お地蔵さんを建立することとなり、お寺の和尚が碁石位の石を集めさせ、法華経文「南無妙法蓮華経」の七文字を小石に一字ずつ書いて、台座の下に埋め祈祷をしたところ、その後御利益か、北沼上の人々は次第に豊かになったことから「石経」と呼ばれています。お地蔵さんの創建は享保二年、西暦1717年と記録にあります。毎年12月15日に北沼上本村町内会で供養、祭典をしております。
 ・地蔵、祠:「このお地蔵さんは、本村の人々の難を救ってくれました。創建享保二年(一七一七) 移設平成二十七年(ニ〇一五)十月吉日」
 ・フクロウ石像:説明版:フクロウには諸説ありますが、「不苦労」と書かれます。苦労をしなくても済むようにとの思いを込められていました。又永遠に若くありたい、病気をしないで長生きしたいとの願いから「不老」とも言われます。フクロウモチーフの品は縁起物として自然石で作り、、石経様に願いを込めて村のみんなが幸せでありたいと思いここに進呈。’20 5/9


☆竜爪街道左岸道

・(R9)石道標(瀬名2丁目10-67、県ドライ瀬名店、松村酒店向かい)
 この石道標は南100mの西下町集会所に移転された。そこで新規には以下となる。
(R9)石道標(瀬名2丁目9-67、西下町集会所)
 「左麻機道 大正九年三月 西奈村青年団西下建之」 ’20 5/9
 この石道標がもとあった所から推察して、瀬名2丁目10-67から西に延びる道を西進し、利倉橋を渡り、中坂峠を越え、麻機方面に行く。または奥の谷峠や上坂峠越えという迂回路もあった。

・(R10)六柱神社(旧瀬名2079-1, 瀬名2丁目27-57)
 この神社は消失し住宅が建っている。石塔、手洗石、鳥居が存在していたが、以下に移転した。
(R11)津島神社、大門公民館(瀬名3丁目2-18,19)
  ’20 5/10

・石仏(瀬名七丁目1、西奈団地の花壇)
・地蔵「寛文十」1670、・観音(古そう)、・集合地蔵(新しい)、・他像も新しそう、おそらく他場所から移転され安置されたか。’20 5/7




  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 17:16Comments(0)龍爪山近辺の古道