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2010年01月31日

ビデオ「花の百名山」

ビデオ『花の百名山』山と渓谷社 全20巻、各巻55分
・「1 礼文岳、利尻山、暑寒別岳、硫黄山、大雪山」
礼文岳、490m、レブンアツモリソウ(6月上旬、礼文島特産希少種)、礼文島、エゾノハクサンイチゲ、レブンキンバイソウ、クロユリ、桃岩遊歩道、レブンコザクラ、サクラソウモドキ、イワベンケイ、ミヤマオダマキ、花の浮島、礼文滝、エゾイヌナズナ、ハクサンチドリ、チシマフウロ、エゾウスユキソウ、レブンアツモリソウ、アツモリソウ、オオバナノエンレイソウ、2時間、利尻山、
利尻山、1721m、リシリヒナゲシ(7月上旬~9月上旬、利尻山特産)、利尻島、姫沼、沓形稜、5~6時間、2ルート、三眺山、8合目以上に花が集中、南峰が高いが険しいので一般には北峰を山頂とする。エゾゼンテイカ、リシリトウウチソウ、カンチコウゾリナ、ヨツバシオガマ、イワギキョウ、トウゲブキ、チシマフウロ、イブキトラノオ、リシリヒナゲシ、ハイオトギリ、ミソガワソウ、エゾツツジ、シコタンソウ、イワベンケイ、リシリリンドウ、リシリゲンゲ、ボタンキンバイ
暑寒別岳、1491m、マシケゲンゲ(6月下旬~7月中旬、暑寒別岳特産)、雄冬海岸、雨竜沼湿原、花の多いあしべつルート、4時間、エゾノヒツジグサ、エゾコウホネ、モウセンゴケ、ツルコケモモ、コツマトリソウ、ミヤマキンポウゲ、イワイチョウ、カラマツソウ、ヒオウギアヤメ、エゾゼンテイカ、クロバナハンショウヅル、ワタスゲ、コバイケイソウ、ハクサンボウフウ、シナノキンバイ、チシマフウロ、トウゲブキ、エゾシオガマ、レブンサイコ、エゾノハクサンイチゲ、ハクサンチドリ、エゾツツジ、マシケゲンゲ
硫黄山、1562m、シレトコスミレ(6月上旬~7月中旬)、羅臼岳の北東、活火山、カムイワッカ湯の滝、硫黄沢の雪渓、羅臼岳、知床岳、エゾスカシユリ、ギンラン、エゾツツジ、イソツツジ、オオバスノキ、ゴゼンタチバナ、ハクサンチドリ、コケモモ、ウコンウツギ、シレトコスミレ、メアカンキンバイ、コメバツガザクラ、エゾコザクラ、イワヒゲ、イワウメ、コエゾツガザクラ、
大雪山、ホソバウルップソウ(7月上旬~中旬)、緑岳3時間、白雲岳2230m、エゾコザクラ、アオノツガザクラ、ミヤマキンバイ、チングルマ、コエゾツガザクラ、キタキツネ、鹿、ヒメイソツツジ、メアカンキンバイ、コマクサ、エゾオヤマノエンドウ、キバナシオガマチョウノスケソウ、エゾタカネヤナギ、イワウメ、エゾタカネスミレ、エゾオヤマノエンドウ、ホソバウルップソウ、キバナシャクナゲ、ベニバナミネズオウ、イワウメ、旭岳、トムラウシ山、

・「2 富良野岳、夕張岳、アポイ岳、八甲田山、八幡平」
富良野岳、1912m、エゾルリソウ(7月)、噴煙上げる十勝岳、標高1300m まで車で行ける、3時間半、十勝岳温泉、安政火口、イソツツジ、ウラジロナナカマド、ゴゼンタチバナ、ウコンウツギ、エゾノハクサンイチゲ、三峰山、チングルマ、イワヒゲ、コイワカガミ、ウズラバハクサンチドリ、エゾノツガザクラ、アオノツガザクラ、エゾヒメクワガタ、エゾコザクラ、トカチフウロ、エゾルリソウ、
夕張岳、1668m、ユウバリソウ(6月下旬~8月中旬、夕張岳特産)、「夕張日誌」、千鳥が滝、夕張山地、冷水コース、馬の背コース、前岳3時間、ガマ岩、シラネアオイ、エゾノリュウキンカ、レブンサイコ、カオルツガザクラ、オオバキスミレ、イワヒゲ、ウラジロナナカマド、ユウバリコザクラ、シソバキスミレ、エゾミヤマトラノオ、ヒメシャクナゲ、ムシトリスミレ、ハクサンチドリ、ミヤマアズマギク、ミヤマオダマキ、ユウバリソウ、ブロッケン現象、十勝平野、滝ノ沢岳、前岳、エゾコウボウ、シソバキスミレ、ユウバリコザクラ、
アポイ岳、811m、ヒダカソウ(5月)、日高山脈の南で太平洋に裾野を延ばす、様似町、幌満川、2時間半、アポイタヌキラン、エゾオオサクラソウ、アポイアズマギク、エゾノジャニンジン、ナガバカラマツ(サマニカラマツ)、ニホンザリガニ、ヒロハヘビノボラズ、ハイマツ、キタゴヨウ、ハッコウダゴヨウ、アポイマイマイ、ミヤマオダマキ、チングルマ、ヨツバシオガマ、アポイタチツボスミレ、サマニユキワリ、アポイキンバイ、ヒダカイワザクラ、ヒダカソウ、チシマザクラ、
八甲田山、1584m、18峰総称、ヒナザクラ(6月下旬~7月上旬)、睡蓮沼、地獄湯ノ沢、硫黄岳、小岳、高田大岳、鏡沼、八甲田大岳1584m、毛無岱、レンゲツツジ、ミツガシワ、ムシカリ、ツマトリソウ、ミヤマスミレ、ムラサキヤシオツツジ、イオウハナゴケ、ゴゼンタチバナ、ヒナザクラ、ベニバナイチゴ、コヨウラクツツジ、ミヤマオダマキ、ミヤマキンバイ、イソツツジ、イワナシ、ミズバショウ、チングルマ、イワカガミ、ミツガシワ、
八幡平、1613m、タチギボウシ(8月上旬~9月上旬)、秋田岩手県境、茶臼岳、黒谷地湿原、源太森、八幡沼、クルマユリ、イブキゼリ(イブキゼリモドキ)、ヤマハハコ、オガラバナの実、キンコウカ、イワショウブ、アオモリアザミ(オオノアザミ)、ミヤマアキノキリンソウ、ニッコウキスゲ、ハクサンボウフウ、ヨツバシオガマ、ウメバチソウ、タチギボウシ、

・「3 和賀岳、焼石岳、栗駒山、早池峰、五葉山」
和賀岳、(阿弥陀岳)1440m、ニッコウキスゲ、7月中旬~下旬、高井分岐、こけ平、5時間、深い谷が切れ込み人が踏み込まない所がある、エゾアジサイ、ヨツバヒヨドリ、センジュガンピ、タマガワホトトギス、オオバギボウシ、キンコウカ、ツルアリドオシ、深い山、高井岳、国環境保全地域、和賀川、クガイソウ、シロバナニガナ、ヤマブキショウマ、ミネウスユキソウ、小鷲倉岳、コバイケイソウ、ブナ林、ウラジロヨウラク、
焼石岳、1548m、ヒメオウギアヤメ、7月上旬~8月上旬、ショウキラン、中沼、上沼、3時間半、コバイケイソウ、カラマツソウ、シナノキンバイ、ハクサンチドリ、イワイチョウ、アズマシャクナゲ、ベニバナイチゴ、ムラサキヤシオツツジ、フキノトウ、リュウキンカ、雪渓、ミネウスユキソウ、
栗駒山、(大日岳、須川岳)1627m、イワカガミ、6月中旬~7月中旬、厳美渓、須川高原温泉、イワヒゲ、イワナシ、サラサドウダン、名残ガ原、ワタスゲ、イワイチョウ、タテヤマリンドウ、オノエラン、賽の河原、ショウワ19年の爆発でできた昭和湖、ショウジョウバカマ、コメバツガザクラ、ムラサキヤシオツツジ、ミネザクラ、 
早池峰、1917m、ハヤチネウスユキソウ、6月中旬~7月下旬、御門口、サラサドウダン、ミヤマヤマブキショウマ、ナンブトラノオ、ミヤマオダマキ、薬師岳、ナンブイヌナズナ、イワウメ、タカネシオガマ、カラマツソウ、お田植え場、ハクサンチドリ、チングルマ、ウコンウツギ、
五葉山、1351m、ハクサンシャクナゲ、7月中旬~下旬、楢の木平、藩塚(宮城・伊達藩、岩手・南部藩)、鳩ヶ峰、フタリシズカ、ギンリョウソウ、石割のコメツガ、七不思木(7種の木が同居)、イソツツジ、コケモモ、日ノ出岩、ギョウジャニンニク、

・「4 南蔵王、田代岳、森吉山、秋田駒ヶ岳、鳥海山」
南蔵王、不忘山1705m、サラサドウダン、6月上旬~7月上旬、南屏風岳、青麻山、シシウド、キンコウカ、ミネウスユキソウ、ハクサンチドリ、オオカサモチ、オオコメツツジ、イワシモツケ、タカネバラ、不忘の碑、
田代岳、1178m、ミツガシワ、6月中旬~7月中旬、タニウツギ、ヤグルマソウ、五色ノ滝、糸滝、大川目渓谷、ギンリョウソウ、ユキザサ、9合目高層湿原、120の池糖、神の田、イワカガミ、チングルマ、マイヅルソウ、ワタスゲ、田代山神社、ショウジョウバカマ、ミツバオウレン、ノウゴウイチゴ、ミネザクラ、ムシカリ、
森吉山、1454m、ショウジョウバカマ、6月中旬~7月上旬、100種を超える高山植物、ヤマツツジ、天然杉、太平湖、千畳敷、三階滝、マイヅルソウ、シラネアオイ、ツバメオモト、ザゼンソウ、コミヤマカタバミ、オオバキスミレ、ウスバサイシン、森吉神社、アオモリトドマツ、松の一枝を取って配りお守りとした、冠岩、ヒナザクラ、湿原、雪田、イワイチョウ、ハクサンチドリ、チングルマ、イワカガミ、ミズバショウ、ショウジョウバカマ、
秋田駒ヶ岳、女目岳1637m、タカネスミレ、6月中旬~7月上旬、田沢湖、秋田最高点、8合目駐車場、ムラサキヤシオツツジ、ツマトリソウ、イワテハタザオ、キバナノコマノツメ、コメバツガザクラ、ズダヤクシュ、岩手山、阿弥陀池、ミヤマキンバイ、ミネズオウ、シラネアオイ、ヒナザクラ、男岳、女岳、横岳、大焼砂、
鳥海山、新山2236m、チョウカイフスマ、7月下旬~8月上旬、奈曾渓谷、海浜植物と照葉樹林のタブの木さらに高山植物もある珍しい植生、ヤマルリトラノオ、ウゴアザミ、賽の河原、ニッコウキスゲ、コバイケイソウ、イワイチョウ、チングルマ、御浜、鳥海湖、ミヤマアキノキリンソウ、トウゲブキ、ハクサンフウロ、シロバナトウウチソウ、イワテトウキ、ハクサンシャジン、シラネニンジン、ミヤマキタアザミ、千蛇谷、雪渓、イワブクロ、イワギキョウ、チョウカイアザミ、

・「5 神室山、月山、朝日連峰、飯豊連峰、安達太良山」
神室山、1365m、ミネザクラ、4月上旬~5月上旬、天狗の山、雷滝、タニウツギ、ギンリョウソウ、信仰の山、ツバメオモト、タムシバ、ムラサキヤシオツツジ、ムシカリ、ノウゴウイチゴ、イワカガミ、サンカヨウ、シラネアオイ、6時間、
月山、1984m、ミヤマクロユリ、6月中旬~7月上旬、山岳信仰、月山8合目、中腹高層湿原、山頂草原と雪渓、湯殿山、羽黒山、出羽三山、弥陀が原、イワイチョウ、ミツガシワ、ヒナザクラ、チングルマ、ニッコウキスゲ、ホソバイワベンケイ、ウズラバハクサンチドリ、ミヤマキンバイ、仏生池小屋、石仏、行者返し、350種の花、ハクサンイチゲ、シラネアオイ、アオノツガザクラ、コバイケイソウ、イワショウブ、2時間半、月山神社、葉山、ヒナウスユキソウ(ミヤマウスユキソウ)、コイワカガミ、山頂南広大なお花畑、エゾノツガザクラ、ミネズオウ、ミヤマタネツケバナ、大雪城、ミヤマシオガマ、ウラジロヨウラク、
朝日連峰、大朝日岳1870m、ヒナウスユキソウ(東北の高山の岩場に咲く、花の周囲の白い部分は葉の変形、7月上旬~中旬)、原始的面影残す、
南北60km東西30km, 日暮沢小屋、タムシバ、サラサドウダン、ナナカマド、イワイチョウ、シナノキンバイ、ズダヤクシュ、サンカヨウ、竜門小屋、竜門岳、中岳、ヨツバシオガマ、ウラジロヨウラク、アオノツガザクラ、チングルマ、小朝日岳、ハクサンイチゲ、コイワカガミ、ヒメサユリ、
飯豊連峰、大日岳2128m、イイデリンドウ(ミヤマリンドウの変種、7月上旬~8月上旬)、石転び雪渓、サンカヨウ、ハクサンコザクラ、シナノキンバイ、コバイケイソウ、ミヤマキンポウゲ、モミジカラマツ、登山口から7時間で縦走路・梅花皮小屋、タカネマツムシソウ、アオノツガザクラ、ウメバチソウ、イブキトラノオ、ニッコウキスゲ、ヨツバシオガマ、烏帽子岳、ハクサンフウロ、御西小屋、ぶんぺいの池、
安達太良山、1700m、ウラジロヨウラク(ツリガネツツジ、6月中旬~7月中旬)、サラサドウダン、タニウツギ、上って2時間で勢至平、イソツツジ、レンゲツツジ、クロマメノキ、マイヅルソウ、ツマトリソウ、鉄山、くろがね小屋、イワカガミ、オノエラン、アカモノ、

・「6 会津駒ケ岳、高鈴山、石裂山、三毳山、尾瀬」
会津駒ケ岳、2133m、ハクサンコザクラ(7月下旬~8月上旬)、山頂に広大な湿原、桧枝岐、滝沢登山口、池の平、駒ノ小屋→会津駒ケ岳、中門岳、なだらかに延びる山稜、誰でも登れる女性的な山、ユキザサ、ツクバネソウの実、ギンリョウソウ、タケシマラン、ツバメオモト、イワイチョウ、マイヅルソウ、アカモノ、コバイケイソウ、ウラジロヨウラク、サンカヨウ、大津岐峠、駒ノ大池、
高鈴山、623m、茨城県、イワウチワ(4月中旬~下旬)、御岩神社、三本杉、アズマシャクナゲ、ヒサカキ、ユリワサビ、トウゴクサバノオ、ヒカリゴケ、タチツボスミレ、
石裂山、オザキサン879m、栃木県、ハルトラノオ(イロハソウ、4月中旬~下旬)、加蘇山神社、ザゼンソウ、ハナネコノメ、コチャルメルソウ、ツルネコノメソウ、千本桂、行者返しの岩、奥ノ宮、マンサク、ウラジロヒカゲツツジ、
三毳山、229m、ミカゴヤマ、栃木県、カタクリ(北斜面、乾かない、3月下旬~4月上旬)、三毳神社、キブシ、三毳神社奥社、雑木林、ヤマツツジ、タチツボスミレ、アズマイチゲ、万葉集にも謡われた、
尾瀬、ミズバショウ(6月)、日本有数の花の宝庫、尾瀬沼、大江湿原、リュウキンカ、タテヤマリンドウ、ミツガシワ、ショウジョウバカマ、鳩待峠→至仏山2228m、エンレイソウ、コミヤマカタバミ、ひうちガ岳、小至仏山、ハクサンイチゲ、ミネズオウ、ヒメイチゲ、

・「7 蓬峠 平標山 伊豆ガ岳 両神山 高水山」
蓬峠、1550m、シラネアオイ(5月中旬~7月上旬)、谷川岳一の倉沢の北、タニウツギ、ラショウモンカズラ、ツボスミレ、オオタチツボスミレ、オオバキスミレ、湯檜曽川、サンカヨウ、タテヤマリンドウ、武能沢、オオイワカガミ、蓬ヒュッテ、朝日岳、笠ガ岳、仙ノ倉山、平標山、 
平標山、タイラッピョウヤマ、1984m、キンコウカ(7月中旬~8月上旬)、谷川連峰東、イワナザワ林道、ノリウツギ、ヤマアジサイ、ツルリンドウ、ツルアリドウシ、クモマニガナ、モウセンゴケ、ミヤマヨメナ、チングルマの実、コバイケイソウ、ミヤマアキノキリンソウ、ハクサンフウロ、シラネニンジン、コキンレイカ、キオン、 
伊豆ガ岳、851m、アズマイチゲ(3月中旬~5月上旬)、埼玉県飯能市、カタクリ、奥武蔵一の山容、子の権現、フクジュソウ、セツブンソウ、ザゼンソウ、関東ふれあいの道、マンサク、男坂、女坂、 
両神山、リョウカミサン、1724m、ニリンソウ(4月上旬~5月上旬)、埼玉・群馬・山梨県にまたがる奥秩父の山、信仰の山、鋸の歯のように天にそびえ岩壁を見せる、丸神の滝、ミツバツツジ、ヤマブキ、ジロボウエンゴサク、ヒナスミレ、白井差小屋、昇竜の滝、5月はピンクのヤシオツツジ、エイザンスミレ、ユリワサビ、ヤマエンゴサク、一位ガタワ、清滝小屋、アズマイチゲ、両神神社奥宮、 
高水山、759 m、マンサク(2月中旬~3月下旬)、東京の奥多摩、高水山、岩茸石山793m、惣岳山756m、ヤブツバキ、ハナネコノメ、コチャルメルソウ、頂上直下の高水山常福院、大岳山、アセビ、カンアオイ、,

・「8 川苔山 雲取山 高尾山 天上山 大楠山」
川苔山、川乗山、1363m、ミツバツツジ(4月)、奥多摩、ダンコウバイ、フサザクラ、アブラチャン、キブシ、タチツボスミレ、エイザンスミレ、アカネスミレ、ジュウニヒトエ、コチャルメルソウ、ハナネコノメ、ネコノメソウ、百尋ノ滝、落差40mで奥多摩一、
雲取山、2017m、シモツケソウ(7月上旬~8月下旬)、東京都最高峰、キツリフネ、イワタバコ、ダイコンソウ、ソバナ、カモシカ、七ツ石山1757m、ノリウツギ、ヤマホタルブクロ、ヤマオダマキ、タムラソウ、ヨツバヒヨドリ、マルバダケブキ、ウスユキソウ、ハナイカリ、オトギリソウ、
高尾山、599m、スミレ(4月上旬~5月中旬)、高尾山薬王院、信仰の山、ヒメスミレ、キバナノアマナ、ヤマルリソウ、アオイスミレ、タチツボスミレ、オカスミレ、ナガバノスミレサイシン、ヒナスミレ、エイザンスミレ、ダンコウバイ、コブシ、これほど登られている山はない、ヒカゲスミレ、タカオスミレ、都会のオアシス、
天上山、574m、神津島、オオシマツツジ(5月中旬)、火山、多幸湾、スミレ、オオシマハイネズ、不入ガ沢(ハイラナイガ沢)、大昔神々が見た360度の展望で周辺の島々も見える、南の広々した大地は水豊富、不動池、ホウチャクソウ、カジイチゴ、北東の尾根:櫛ガ峰、マルバシャリンバイ、表砂漠、向きにより厳しい岩壁とも柔らかな大地ともいえる、
大楠山、241m、フユノハナワラビ(11月下旬~12月上旬)、神奈川県三浦半島横須賀市、オオハナワラビ、タチツボスミレ、ウグイスカグラ、三浦氏の衣笠城跡、古戦場、ヤマザクラ、キブシ、ウラシマソウ、ヒメウズ、シャガ、ヤブツバキ、都市近郊の里山低山で電波塔の山、展望よし、ニリンソウ、三浦半島低山歩きハイキングは楽しそう、

・「9 大室山 高松山 神山 幕山 ドンデン山」
大室山、1588m、テンニンソウ(8月下旬~9月中旬)、丹沢湖、丹沢山塊東西40km南北20km、丹沢奥座敷西丹沢、滝多し、富士隠し、ツリフネソウ、ミズヒキ、キハギ、緑多く静か、犬越路、オトコエシ、クサボタン、ヤマホトトギス、キンミズヒキ、ヒキオコシ、ヤマシロギク、深い樹林に囲まれる、ムシカリの実、
高松山、801m、キブシ(3月~4月)、神奈川県山北町、丹沢山塊南端、箱根を一望、カンヒザクラ、キケマン、マムシグサ、フサザクラ、ミツマタ、ヤマブキ、第六天、キクザキイチゲ、アブラチャン、ボケ、ミツバツチグリ、ビリ堂、 
神山、1438m、ベニバナヒメイワカガミ(5月中旬~下旬)、箱根の山で駒ケ岳と並ぶ、広葉樹に覆われる、大涌谷、冠ガ岳、トウゴクミツバツツジ、アセビ、コアジサイ、大涌谷分岐、オオイタヤメイゲツ、マメザクラ、ツクバネソウ、冠ガ岳分岐、祠、石碑、冠ガ岳山頂は溶岩が突き出てできたもの、コウグイスカグラ、キクザキイチゲ、
幕山、625m、タツナミソウ(5月下旬~6月下旬)、神奈川県湯河原、箱根火山の寄生火山、五郎神社、タチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、大石ガ平、巨岩が突き出るアルペン風、岩登りのメッカ、コケリンドウ、シュンラン、ヤマツツジ、アセビ、スミレ、ハコネサンショウバラ、山頂はカヤトの緩やかな斜面、一面花畑、城山563m、城山公園、土肥城跡、しとどの窟、
ドンデン山、タダラ峰、940m、オオミスミソウ(4月中旬~5月中旬、別名ユキワリソウ、花の色は白ピンク青赤さまざま)、佐渡島、金北山1172m:佐渡の最高峰、ニリンソウ、オオイワカガミ、ヒトリシズカ、ミヤマキジムシロ、シラネアオイ、アオネバ峠、なだらかでほっとする山、展望よし、
・「10 苗場山 火打山 大日連峰 五色ガ原 黒部五郎岳」
苗場山、2145m、トキソウ(8月上旬)、新潟長野県境、豊富な積雪、スキー場、山頂部に広大な湿原、神楽三俣スキー場のリフト終点、中ノ芝、ニッコウキスゲ、ワタスゲ、上ノ芝、神楽峰、タテヤマウツボグサ、エゾシオガマ、クルマユリ、ミヤマアキノキリンソウ、雷清水、タカネナデシコ、トモエシオガマ、ミヤマシャジン、コキンレイカ、ハクサンフウロ、歩き始めて4時間半、大地の上が山頂、キンコウカ、モウセンゴケ、池とうに生える草が苗に見えるので苗場の名がついた、別天地極楽、
火打山、2462m、ミョウコウトリカブト(8月中旬~9月中旬)、新潟県頚城山塊最高峰、妙高山、焼山、笹ガ峰登山口、ノリウツギ、黒沢、十二曲り、標高2100m高谷池の湿原、高谷池ヒュッテ、ヨツバシオガマ、天狗の庭、シナノオトギリ、クルマユリ、ハクサンボウフウ、クモマニガナ、イワショウブ、ミヤマアキノキリンソウ、サラシナショウマ、ウラジロナナカマド、
大日連峰、奥大日岳2611m、タテヤマリンドウ(8月)、富山県東南部にそびえる立山連峰は最高峰の大汝山を筆頭に2600mを越す高を20数座数える、その西に大日連峰はある、西から大日岳、中大日岳、最も高い奥大日岳がなだらかに連なっている、室堂、高層湿原で3000の池とうがある弥陀ガ原、ミヤマホタルイ、モウセンゴケ、キンコウカ、ヤマトキソウ、テガタチドリ、エゾシオガマ、タテヤマウツボグサ、ミヤマキンバイ、チングルマ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、ツガザクラ、室堂乗越、ハクサンイチゲ、ミヤマダイモンジソウ、ミヤマダイコンソウ、ハクサントリカブト、ウサギギク、ハクサンフウロ、クルマユリ、ミヤマガラシ、
五色ガ原、2500m、コツガザクラ(8月中旬~下旬)、越中の霊峰立山、その南に溶岩台地、高層湿原、標高約2500m、広さ2平方km、ハクサンイチゲ、イワイチョウ、室堂から4つの山を越える約5時間の行程、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、雷鳥、コバイケイソウ、ハクサンチドリ、クルマユリ、ハクサンフウロ、イワツメクサ、4つ目の山:獅子岳、コバイケイソウ、ミヤマクロユリ、ハクサンコザクラ、コツガザクラ、アオノツガザクラ、キバナシャクナゲ、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、ミヤマリンドウ、ウサギギク、隠れた花の楽園、
黒部五郎岳、2840m、チングルマ(7月)、折立登山口、ノリウツギ、有峰湖、ニッコウキスゲ、キンコウカ、ミヤマリンドウ、タテヤマリンドウ、コバイケイソウ、イワイチョウ、太郎兵衛平、太郎平小屋、チングルマ、稚児車、チングルマ(種子)、北ノ俣岳、アオノツガザクラ、ミヤマアキノキリンソウ、コイワカガミ、ハクサンイチゲ、太郎平小屋から5時間、高層湿原、隠れた名峰、

・「11 白山 甲武信ガ岳 百蔵山 二十六夜山 三ツ峠山」
白山、2702m、ハクサンシャジン(7月~8月)、日本三名山、山腹ブナ原生林、ハクサンタイゲキ、ハクサンの名がある高山植物は20種に及ぶ、白山で新種が発見されやすかった、ハクサンオミナエシ(コキンレイカ)、別当出合、ノリウツギ、ハクサンカメバヒキオコシ、ミヤマコゴメグサ、センジュガンピ、タマガワホトトギス、シモツケソウ、ミネウスユキソウ、室堂、コバイケイソウ、白山奥宮、ハクサンフウロ、クルマユリ、白山比(口羊)神社奥宮、穂高連峰、御前峰(2702m)、剣が峰、大汝峰、チングルマ、オンタデ、ミヤマキンバイ、アオノツガザクラ、ハクサンコザクラ、ハクサンボウフウ、ミヤマクロユリ、ニッコウキスゲ、ハクサンシャジン、 
甲武信ガ岳、2475m、ベニバナイチヤクソウ(6月~8月)、埼玉・長野・山梨にまたがる、毛木平、ベニバナイチヤクソウ、千曲川源流、一里観音菩薩、カラマツソウ、マイヅルソウ、ツマトリソウ、キンポウゲ、シロバナノヘビイチゴ、八丁坂、ミヤマカタバミ、十文字峠、三国峠、十文字小屋、アズマシャクナゲ、ミツバオウレン、朝日岳、金峰山、千曲川水源、  
百蔵山、1003m、マルバスミレ(4月~5月)、山梨県大月市周辺、扇山、百蔵山、岩殿山、桂川、猿橋、鳥沢、犬目、セイヨウタンポポ、コケリンドウ、スミレ、マルバスミレ、ニリンソウ、ヒトリシズカ、エイザンスミレ、タチツボスミレ、シュンラン、ヤマザクラ、ヤブレガサ、イカリソウ、キジムシロ、御正体山、九鬼山、  
二十六夜山、1297m、エイザンスミレ(4月上旬~5月中上旬)、山梨県都留市東部、端正な三角形、月待ち、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ノジスミレ、富士山、南アルプス、今倉山山頂、マルバスミレ、アカネスミレ、エイザンスミレ、御正体山、エイザンスミレ、  
三ツ峠山、1785m、フジアザミ(8月~10月)、山梨県大月市周辺、木無山、河口湖、母ノ白滝、タマアジサイ、カワラハハコ、フシグロセンソウ、ユウガギク、ツリフネソウ、キンミズヒキ、イヌゴマ、クサフジ、コウゾリナ、レンゲショウマ、ウメバチソウ、ワレモコウ、マツムシソウ、シモツケソウ、カイフウロ、ノアザミ、フジアザミ、三ツ峠山荘、コオニユリ、御巣鷹山、

・「12 櫛形山 北岳 戸隠山 志賀高原 白馬岳」
櫛形山、2052m、アヤメ(7月)、甲府盆地の西、髪に挿す櫛のような稜線、義丹ノ滝、ヤマオダマキ、グンナイフウロ、ミヤマキンポウゲ、テガタチドリ、サルオガセ、ギンリョウソウ、倒木更新、アヤメ、裸山山頂、  
北岳、3192m、キタダケソウ(6月中旬~7月上旬)、甲府盆地の西、白根三山の北、広河原、大樺沢、サラサドウダン、ハクサンチドリ、ミヤマハナシノブ、タカネグンナイフウロ、キバナノアツモリソウ、サンカヨウ、白根御池小屋、バットレス、大雪渓、八本歯のコル、富士山、間ノ岳、ハクサンイチゲ、ミヤマクロユリ、キタダケソウ、 
戸隠山、1904m、トガクシショウマ(5月上旬~中旬)、長野市北西、戸隠連峰、鏡池、ミズバショウ、キクザキイチゲ、アズマイチゲ、カタクリ、ニリンソウ、戸隠神社奥宮、天岩戸伝説、イワカガミ、ショウジョウバカマ、シラネアオイ、百間長屋、蟻ノ戸渡、八方睨、飯縄山、戸隠高原、西岳、高妻山、黒姫山、妙高山、トガクシショウマ、 
志賀高原、2305m、エゾオヤマリンドウ(8月~9月)、大沼池、木戸池、渋池、サワギキョウ、ヒツジグサ、シラタマノキ、ヤマトリカブト、動く歩道、横手山2305m、エゾオヤマリンドウ、ヤマハハコ、ヤナギラン、草津峠、ゴゼンタチバナの実、ムシカリの実、マイヅルソウの実、アカモノ、四十八池、ミズギク、イワショウブ、ウメバチソウ、ワレモコウ、オオバスノキの実、ツルリンドウ、槍ガ岳、 
白馬岳、2932m、ウルップソウ(7月~8月)、白馬三山、鑓ガ岳、杓子岳、白馬岳、キヌガサソウ、サンカヨウ、白馬大雪渓、アシボソスゲ、ミヤマカラマツ、ミヤマキンポウゲ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、タカネシオガマ、ミヤマキンバイ、ウルップソウ、シコタンソウ、杓子岳、鑓ガ岳、白馬山荘、雪倉岳、

・「13 針ノ木岳 双六岳 槍ガ岳 涸沢岳 燕岳」
針ノ木岳、2821m、キヌガサソウ(6月~8月)、後立山連峰南端、オノシモツケ、サンカヨウの実、オオダイコンソウ、ヤマハハコ、タニウツギ、キヌガサソウ、ニッコウキスゲ、針ノ木雪渓、ミズキ、クモマニガナ、キヌガサソウ、ツガザクラ、チングルマ、コイワカガミ、シナノキンバイ、剣岳、立山、槍ガ岳、穂高連峰、 
双六岳、2860m、トウヤクリンドウ(8月~9月)、北アルプス中央部黒部川源流が刻む深い谷の上部のゆったりした山塊、ソバナ、サラシナショウマ、シナノオトギリ、オニシモツケ、クルマユリ、鏡平ノ池、双六岳、ヨツバシオガマ、ウサギギク、双六小屋、チングルマ(種子)、ミヤマリンドウ、ミヤマアキノキリンソウ、トウヤクリンドウ、槍ガ岳、穂高連峰、鷲羽岳、水晶岳、立山連峰、剣岳、薬師岳、黒部五郎岳、笠ガ岳、乗鞍岳、 
槍ガ岳、3180m、ハクサンイチゲ(7月~8月)、鋭い切っ先を天に向ける特徴ある山頂部、ハクサンシャクナゲ、槍沢ロッジ、ニッコウキスゲ、シナノキンバイ、アオノツガザクラ、キバナシャクナゲ、ミヤマシオガマ、ハクサンイチゲ、坊主ノ岩屋、ツガザクラ、イワツメクサ、キバナノコマノツメ、イワベンケイ、チョウノスケソウ、イワオウギ、常念山脈、 
涸沢岳、3110m、クルマユリ(8月)、北アルプス穂高連峰、涸沢カール、涸沢音楽祭、ウラジロナナカマド、ミヤマキンポウゲ、チングルマ、ハクサンイチゲ、アオノツガザクラ、ニッコウキスゲ、タカネバラ、クルマユリ、ミヤマキンバイ、ミヤマオダマキ、イワヒゲ、イワベンケイ、笠ガ岳、槍ガ岳、常念岳、奥穂高岳、前穂高岳、 
燕岳、2763m、コマクサ(7月~8月、高山植物の女王、馬の顔みたい)、北アルプスの中でも穏やかで美しい山、アルプス銀座出発点でアルプス入門の山、中房温泉出発点、歩きやすい登山道、ゴゼンタチバナ、ギンリョウソウ、ウラジロナナカマド、合戦小屋、槍ガ岳、シナノキンバイ、コバイケイソウ、ミヤマキンポウゲ、アオノツガザクラ、コイワカガミ、サンカヨウ、燕山荘、特徴ある岩岩、ミヤマカラマツ、ミヤマクワガタ、ハクサンチドリ、北燕岳、コマクサ、

・「14 蝶ガ岳 根子岳 高峰山 黒斑山 鉢伏山」
蝶ガ岳、2677m、ミヤマキンポウゲ(7月中旬~8月中旬)、北アルプス南部の山、常念岳隣になだらかな稜線、6月初め山頂直下の雪形(蝶)、三股登山口、ヤマアジサイ、ソバナ、ゴゼンタチバナ、カニコウモリ、ハクサンフウロ、エゾシオガマ、ウサギギク、ハクサンボウフウ、クルマユリ、コバイケイソウ、モミジカラマツ、ヨツバシオガマ、ミヤマキンポウゲ、蝶ガ岳ヒュッテ、穂高連峰、槍ガ岳、乗鞍岳、霞沢岳、富士山、 
根子岳、2207m、ウメバチソウ(9月)、菅平、東西10km広大な高原、避暑地、四阿山、マツムシソウ、ワレモコウ、タムラソウ、ヤマハハコ、アキノキリンソウ、オヤマリンドウ、シラタマノキの実、ハナイカリ、ウメバチソウ、山頂に祠、槍ガ岳、穂高連峰、八ヶ岳、富士山、
高峰山、2092m、ヒメシャジン(8月)、長野県北部小諸市、信仰の山、高峰高原が広がる標高1973m車坂峠から40分で登れる、ニッコウキスゲ、ヤナギラン、マツムシソウ、水ノ登山、東篭ノ登山、ヨツバヒヨドリ、コバノイチヤクソウ、ハリブキ、ノアザミ、マルバダケブキ、ウスユキソウ、ハナイカリ、ノギラン、シモツケ、ヒメシャジン、岩の山頂、剣が立つ祠のある高峰神社、黒斑山、ヤマホタルブクロ、イブキジャコウソウ、シモツケソウ、
黒斑山、クロフヤマ、2414m、アキノキリンソウ(8月中旬~11月下旬、アワダチソウともいう)、長野県佐久市、浅間山の西のこぶしで外輪山、イブキジャコウソウ、ツリガネニンジン、シモツケソウ、ノアザミ、ハクサンオミナエシ(コキンレイカ)、アキノキリンソウ、シャジクソウ、ミヤマホツツジ、ヒメシャジン、コメツツジ、トーミの頭、
鉢伏山、1928m、マツムシソウ(8月中旬~9月上旬)、塩尻市、諏訪湖の北のなだらかな山、高山植物の宝庫、高ボッチ高原、鉢伏山荘、アキノキリンソウ、ヤマハハコ、トモエシオガマ、ヤナギタンポポ、ヤナギラン、ツリガネニンジン、マツムシソウ、タムラソウ、コオニユリ、ハクサンフウロ、シュロソウ、エゾカワラナデシコ、槍ガ岳、穂高連峰、乗鞍岳、美ガ原、浅間山、八ガ岳、

・「15 霧ガ峰 入笠山 宝剣岳 三ノ沢岳 空木岳」
霧ガ峰、車山1925m、ヤナギラン(6月中旬~8月中旬)、長野県中央標高1600~2000mにかけてなだらかな起伏を見せる高原、主峰車山を囲む東西10km南北15km、踊場湿原、車山湿原、八島ガ原湿原、ツリガネニンジン、ゲンノショウコ、ハンゴンソウ、蓼科山、鎌ガ池、旧御射山、ヤナギラン、マツムシソウ、アサマフウロ、キンミズヒキ、サラシナショウマ、アキノキリンソウ、ワレモコウ、ハバヤマボクチ、物見岩、
入笠山、にゅうがさやま、1955m、スズラン(6月)、富士見町登山口、たおやかな山頂、入笠湿原、スズラン、アマドコロ、キンポウゲ、小黒川渓谷、マイヅルソウ、カラマツソウ、ズダヤクシュ、ラショウモンカズラ、キバナノコマノツメ、ニリンソウ、オサバグサ、大阿原湿原、「君影草」、ズミ、エゾノコリンゴ、
宝剣岳、2931m、コバイケイソウ(7月中旬~8月下旬)、中央アルプスとがった山頂、標高1600mのしらび平からロープウェイで標高2600m千畳敷まで行ける、シナノキンバイ、アオノツガザクラ、ミヤマクロユリ、コバイケイソウ、八丁坂、クルマユリ、ヨツバシオガマ、ミヤマダイコンソウ、ミヤマシシウド、乗越浄土、天狗岩、岩だらけ山頂、伊那前岳、木曽駒ガ岳、チシマギキョウ、イワツメクサ、
三ノ沢岳、2846m、コマウスユキソウ(7月~8月)、中央アルプス唯一の独立峰、ロープウェイで行ける標高2600m千畳敷が登山口、コバイケイソウ、ヨツバシオガマ、アオノツガザクラ、30分歩いて極楽平、御嶽、乗鞍岳、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロ、ハクサンシャクナゲ、木曽駒ガ岳、チングルマ、ミヤマダイコンソウ、空木岳、コマウスユキソウ(ヒメウスユキソウ)、
空木岳、2864m、イワギキョウ(7月~8月)、中央アルプス中ほど、花崗岩の巨石が点在する、稜線の花畑と静けさを味わえる、空木岳直下に木曽殿山荘、ニッコウキスゲ、イブキトラノオ、ハクサンフウロ、クルマユリ、グンナイフウロ、義仲の力水、イワギキョウ、南駒ガ岳、ミヤマダイコンソウ、コケモモ、イワツメクサ、ハクサンシャクナゲ、木曽駒ガ岳、宝剣岳、タカネツメクサ、ウサギギク、

・「16 塩見岳 荒川岳 天城山 石巻山 藤原岳」
塩見岳、3047m、ミヤマシシウド(8月~9月)、南アルプス中央にあり特徴のある山容で人気がある、大鹿村、キオン、レンゲショウマ、ヤマオダマキ、三伏峠小屋、タカネマツムシソウ、オオカサモチ、ミヤマバイケイソウ、タカネナデシコ、ハクサンフウロ、マルバダケブキ、ハクサントリカブト、ミヤマシシウド、トモエシオガマ、サラシナショウマ、ニッコウキスゲ、セリバシオガマ、ギンリョウソウ、塩見小屋、富士山、白峰三山、仙丈ガ岳、甲斐駒ガ岳、荒川岳、北アルプス、 
荒川岳、(東岳=悪沢岳3141m、中岳、前岳)、南アルプス南部に堂々とそびえる、シナノキンバイ(7月中旬~8月上旬)、千枚小屋、シナノキンバイ、ミヤマキンポウゲ、タカネグンナイフウロ、ミヤマクロユリ、タカネヤハズハハコ、ミヤマキンバイ、イワベンケイ、ハクサンイチゲ、タカネシオガマ、ミヤマムラサキ、チョウノスケソウ、オヤマノエンドウ、ライチョウ、ツガザクラ、中岳避難小屋、キバナシャクナゲ、 
天城山、(万三郎岳1406m、万二郎岳1300m、猿山、長九郎岳、八丁池)、キョウマルシャクナゲ(5月)、伊豆半島中央山塊、伊豆大島、利島・鵜渡根島、富士山、熱海の最高峰=万三郎岳、天城高原ゴルフ場から登山、万二郎岳登山口、ランヨウアオイ、コアジサイ、シシガシラ、万二郎岳山頂、トウゴクミツバツツジ、アセビ、ツルシキミ、アマギアマチャ、キョウマルシャクナゲ、初島、ムシカリ、万三郎岳山頂、
石巻山、356m、オドリコソウ(5月~6月)、豊橋市東の静岡県境に連なる山々、弓張山系、都市近郊でありながら豊かな自然、石灰岩の山、端正な三角錐の山、古くから三河の霊峰、クモノスシダ、イワシモツケ、ヤブサンザシ、葦毛湿原、ハルリンドウ、モウセンゴケ、タネツケバナ、ミカワバイケイソウ、山上社=石巻神社、キンポウゲ、オドリコソウ、不動堂、ヤマアイ、ジロボウエンゴサク、岩場の山頂、三河湾、
藤原岳、1120m、フクジュソウ(2月~4月)、滋賀県と三重県にまたがる鈴鹿山脈の北部、石灰岩、花が美しい、石灰岩採掘で東山稜はえぐられている、三岐鉄道西藤原駅、庭の美しい聖宝寺を登山口、長命水、ミヤマキケマン、ニリンソウ、カテンソウ、五合目を過ぎ六合目に近づくと花の種類が増える、キクザキイチゲ、ヒロハアマナ、キバナノアマナ、ミノコバイモ、ミヤマカタバミ、フクジュソウ大群落、山頂は草地の山、養老山脈、

・「17 御在所山 大台ガ原山 伊吹山 霊仙山 大江山」
御在所山、ございしょやま、1212m、アカヤシオ(4月中旬~5月中旬)、本州の自然を東西の壁のように分ける鈴鹿山脈、その主峰、三重県と滋賀県の境、鷹見岩、大黒岩、蒼滝、ヤマザクラ、ミツバツツジ、モミジイチゴ、アカヤシオ、シロモジ、コブシ、アセビ、登り始めて2時間で国見峠1080m、ショウジョウバカマ、マンサク、 
大台ガ原山、1695m、ツクシシャクナゲ(5月中旬~6月上旬)、大峰山脈と並び紀伊半島の背骨、標高1300~1600mの高原状の山、日本有数の雨の多さ、中滝、ヤシャビシャク、トサノミツバツツジ、ミズナラ、セントウソウ、チャルメルソウ、シオカラ谷、ツクシシャクナゲ、尾鷲辻、正木ガ原、鹿、日出ガ岳、
伊吹山、1377m、イブキジャコウソウ(7月~8月)、滋賀県と岐阜県境にそびえ滋賀県最高峰で約1200種の植物、薬草の宝庫、シモツケソウ、クガイソウ、イブキトラノオ、イブキフウロ、イブキコゴメグサ、オオヨモギ、シュロソウ、ヒメフウロ、ミヤマコアザミ、カノコソウ、アカソ、コバノミミナグサ、カラマツソウ、イブキジャコウソウ、キバナノレンリソウ、イブキノエンドウ、キンバイソウ、ユウスゲ、
霊仙山、りょうぜんざん、1094m、イブキトリカブト(8月中旬~10月下旬)、伊吹山脈の北端、醒ガ井渓谷、屏風岩、クサギ、フシグロセンノウ、エビラフジ、オオキツネノカミソリ、ミツバフウロ、カラマツソウ、オオハナウド、漆ガ滝、モミジガサ、ツルガシワ、イブキトリカブト、タムラソウ、クルマバナ、カワラナデシコ、
大江山、833m、タニウツギ(5月下旬~6月上旬)、若狭湾に近い京都府大江町、なだらかな起伏の丹後山地、中央に位置する美しい起伏の山、酒天童子伝説、鬼の岩屋、北方系と南方系の動植物の接点、ウラジロウツギ、ムラサキツメクサ、コウゾリナ、二瀬川渓谷、シライトソウ、タニウツギ、鬼獄稲荷神社、レンゲツツジ、短歌、

・「18 吉野山 稲村ガ岳 八経ガ岳 大山 三瓶山」
吉野山、ヤマザクラ(4月)、大峰山系北端南北8kmの尾根、短歌、修験の山、南朝ゆかりの山、寺院、役の行者、吉野三熊野神社、全盛期には3万本の桜、勝手神社、カンザン、シャガ、龍門山地、金峯神社、ヤマザクラ、吉野神宮、
稲村ガ岳、1726m、ヤマアジサイ(6月~8月)、なだらかな奈良県吉野郡の山、かつて女人禁制、母公堂、名水百選ごろごろ水、ヌスビトハギ、オオヤマハコベ、ギンバイソウ、洞川、ハガクレツリフネ、シシウド、ノリウツギ、カノツメソウ、ヤマアジサイ、
八経ガ岳、大峰山、八剣山、1915m、オオヤマレンゲ(6月下旬~7月上旬)、紀伊半島中央大峰山系吉野から熊野まで南北100kmに及ぶ大山系、近畿最高峰、日本有数の雨量、サツキ、ヤマアジサイ、聖宝ノ宿跡、八剣山前鬼、オオヤマレンゲ、ハリブキ、
大山、1729m、クガイソウ(7月下旬~8月中旬)、中国地方最高峰、南側は屏風のようにそびえる、北からは端正な伯耆富士、ミヤマホツツジ、リョウブ、ヤマツツジ、ヤマジノホトトギス、ヤマブキショウマ、ソバナ、ブナの実、六合目、シモツケ、ノリウツギ、ダイセンオトギリ、ホソバノヤマハハコ、シモツケソウ、8合目、コオニユリ、クガイソウ、ダイセンキャラボク、イヨフウロ、シュロソウ、エゾノヨロイグサ、弥山山頂、剣が峰、
三瓶山、さんべさん、1126m、ヤマラッキョウ(10月)、島根県中央、2度の噴火、独立峰、9つの噴火口を6つの峰が取り囲む、男三瓶山1126m、子三瓶山、孫三瓶山、サンベサワアザミ、コマユミの実、クマノミズキの実、ムラサキシキブの実、ツリバナの実、オオカニコウモリ、キバナアキギリ、コウライテンナンショウの実、リンドウ、リュウノウギク、アクシバの実、キクバヤマボクチ、サラシナショウマ、モミジガサ、シロヨメナ、カワラナデシコ、ウメバチソウ、アキノキリンソウ、イヨフウロ、イヨフウロの実、ヤマラッキョウ、日本海、出雲市、ホソバノヤマハハコ、

・「19 蒜山 三嶺 東赤石山 石鎚山 多良岳」
蒜山、ひるぜん、1202m、ハンカイソウ(6月下旬~7月上旬)、大山の東、岡山県と鳥取県の境、1000m級の頂3つ、下蒜山、中蒜山、上蒜山1202m、蒜山三座、蒜山高原、牧場、湿原、ノハナショウブ、ハンカイソウ、ワルナスビ、ノアザミ、オカトラノオ、ノギラン、オトギリソウ、ツクシゼリ、キキョウ、ウラジロハナヒリノキ、カワラナデシコ、イブキトラノオ、シモツケソウ、ヤマジノホトトギス、ヤマツツジ、ヤマアジサイ、
三嶺、みむね、1893m、コメツツジ(7月)、徳島県南部、おだやかなたたずまいと急峻な山地、祖谷川、かずら橋、かずらを編んで作る、3年に1度橋の架け替え、剣山地、端正な三角形、徳島と高地の県境、タカネオトギリ、ヒヨドリバナ、ヤマアジサイ、カニコウモリ、イブキトラノオ、シシウド、クガイソウ、モリイバラ、コメツツジ、イヨフウロ、イワキンバイ、ホソバシュロソウ、
東赤石山、1707m、オトメシャジン(7月下旬~8月上旬)、愛媛県北部、赤石山系、天を突く山頂周辺は高山植物宝庫、赤い岩肌露出、別子銅山、八間滝、シモツケソウ、ウスノキの実、ヤマホタルブクロ、カキラン、赤石山荘、トサノギボウシ、ウバタケニンジン、イワキンバイ、コウスユキソウ、タカネマツムシソウ、オトメシャジン、瀬戸内海、新居浜市、
石鎚山、1982m、シコクイチゲ(6月下旬~8月上旬)、愛媛・高知県境の石鎚山系、役の行者開山伝説、七霊山、石鎚神社成就社、ヤマホトトギス、ヤマアジサイ、イワギボウシ、シコクママコナ、夜明かし峠、クガイソウ、タマガワホトトギス、ヤマブキショウマ、ミシガワソウ、シュロソウ、イヨフウロ、シコクイチゲ、弥山山頂、天狗岳1982m、瓶ガ森、二ノ森、堂ガ森、イシヅチボウフウ、ミヤマダイコンソウ、
多良岳、996m、オオキツネノカミソリ(8月~9月)、長崎と佐賀の県境、2つのピーク、とどろき渓流、森ノ滝、名水、オオキツネノカミソリ群落、ヤマアジサイ、モミジガサ、ヤマホトトギス、長崎県営山小屋、太良嶽山金泉寺、役行者坐像、ウバユリ、ヤブカンゾウ、シラヤマギク、石仏、前岳、普賢岳、金峰山、

・「20 雲仙岳 大船山 祖母山 韓国岳 宮之浦岳」
雲仙岳、1359m、シロドウダン(5月)、長崎県島原半島、火山群(国見岳、普賢岳、温泉岳)の総称、1300年前行基によって開かれたという伝説、満明寺行基菩薩、原生沼、カキツバタ、池ノ原、ミヤマキリシマ、矢岳940m、ウンゼンカンアオイ、ナルコユリ、コガクウツギ、多良岳、シロドウダン、矢岳地獄、
大船山、1786m、ミヤマキリシマ(5月下旬~6月中旬)、九重連山1700m級ピーク、ミヤマキリシマ、雨ガ池、法華院温泉、坊ガツル、ハルリンドウ、マイヅルソウ、ジシバリ、イワカガミ、段原、大戸越、
祖母山、1756m、アケボノツツジ(4月下旬~5月中旬)、宮崎県高千穂町、高千穂峡、宮崎・熊本・大分にまたがる、山がご神体で天照大神の祖母トヨタマノヒメを祀る、信仰の山、一の鳥居、モミジイチゴ、ヒメエンゴサク、イチリンソウ、アセビ、ヤマヤナギ、アケボノツツジ、千間平、国観峠、
韓国岳、1700m、キリシマミズキ(4月中旬~下旬)、宮崎・鹿児島県境の霧島山地、火山、新燃岳、韓国岳、ミヤマキリシマ、ノカイドウ、えびの高原、キリシマミズキ、フモトスミレ、コミヤマスミレ、フデリンドウ、ツルキジムシロ、ショウジョウバカマ、マイヅルソウ、桜島、
宮之浦岳、1935m、ヤクシマシャクナゲ(5月下旬~6月中旬)、屋久島、雨多い、洋上アルプス、千尋滝、紀元杉、淀川、サクラツツジ、ハイノキ、シロバナノヘビイチゴ、小花之江河、コケスミレ、ヤクシマシャクナゲ、投石平、永田岳、国割岳、


  


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2010年01月17日

身延街道、人との出会い旅

・失物地蔵(山梨県南部町福士坂下) 、09,12月下旬、午前
 福士平の八幡諏訪神社を過ぎて、修善寺参道を過ぎたが、失物地蔵(六面幢、六面地蔵)が見えない。そこで近所の望月秀次郎氏宅に聞きに行った。そしたら一緒についてきてくれて、探してくれた。だが、もと置かれていたはずの、平らな窪みはあるので、あったはずだが、今はない。付近は草や木を刈ってきれいにしてあった。そこで修理かなんかで、一旦取り外したものと解釈した。
・真篠(山梨県南部町真篠)、09,12月下旬、午後
身延街道調査のため、真篠に行き、真篠砦を見てから、砦横の身延道を原戸まで歩いてまた砦の駐車場に戻るときであった。駐車場へ戻る道の途中は畑で、路上で車を止め収穫している地元農家の人たちがいた。ちょうど農家仲間同士で世間話に花が咲いていたところを通りかかった。「どこから来た?」と問われ、「静岡から」と答えると、「よく静岡からも来るだよ。」「この砦は手付かずでよく残っていて、阻障などよくできてるだよ。」等、ふるさと自慢を、聞いて楽しい時間を過ごしたら、「白菜持ってけ、大根もどうだ、持ってけ」となった。大根までは申し訳ないので、とりあえず、白菜をもらったが、これが、大振りで、帰ってから使いで豊富で、おいしくて、ただでもらうには、申し訳なかった。ずいぶんおいしくいただけた。砦のこともたくさん話していただけた。
・南部横宿道祖神(山梨県南部町南部横宿)、09,12月下旬、午後
 妙浄寺参道前、南部横宿の丸石道祖神の写真を撮っていたら、その付近で車を駐車した地元のおじさんたちに話しかけられ、ふるさと自慢を楽しく聞く。皆さんふるさとに愛着があるんですね。道祖神は正月のどんど焼きのとき、幟を立てるとか、この地域のお祭りはいついつで、にぎやかにやるだよ等、皆さんそれは楽しそうに話してくださいます。
・南部町中野六本松、09、12月下旬
 六本松の場所だろうということで、テキストの地図にポイントされていた中野宿の萬屋
酒店辺りで、南東に曲がり、題目塔を過ぎ、さらに南東に行き、2軒聞くと、ここではなく、中野下バス停付近らしい。そこで聞くと、あの家に聞くといいと指されたのが、交差点角の屋号「六本松」の若尾正氏であった。聞きに行くと懇切丁寧に現地まで来てくれて事細かに話してくださった。「もう私しか知らないし、私で終わりだろう」と、熱心に話していた。また母か祖母が老人ホーム裏の旧道を登って嫁に来たとも言っていた。旧道の下は渡船場だったのだ。先ほどの題目塔は六本松から運んだ物と父か祖父に聞いたそうだ。それにしても今となっては貴重な生き証言を聞けたものだ。
・身延町横根中桜清水、10、1月16日
 桜清水前の清水屋敷跡となっているお宅で、「古い身延道」を聞いたら、亀久保方向への旧道舗装路を教えてくれた。あらためて聞くと、寺(実教寺)の和尚さんがいいとのことだったので、寺へ行くと、あいにく不在で、下の渡辺さんを紹介されて行ったのだが、これまたあいにく不在で、隣の洋風な家を訪ねると、品のいい婦人が出てきて、隣のおばあちゃんにも連絡を取ってくれたが、もうあいにく古い道はないだろうとのことだったが、ご婦人が、御殿山のこと(地元で祀っていて1年に1度お祭りに行く山で、相又との境の山で、向こうは相又パークになるそうだ)や、峰が窪からの旧道を教えてくれた。桜清水を南に少し下ったところの、道祖神でそこから踏み跡をたどるのが旧道だそうで、道祖神を見て、古い切通しを辿って行くと、さて驚き、自動車道の上の方に、13基もの石塔類がざくざくで宝の山となった。
・身延町相又坂本、10、1/16
 2軒聞いて不在で、3軒目に聞けた。榧の木の現物を教えてくれた。桜の木の隣の、石塔のある木のことだった。
  


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2010年01月17日

身延街道(山梨県万沢~身延山)

  序文
テキストは、『静岡県歴史の道 身延街道』(静岡県教育委員会)98年と、『山梨県歴史の道 調査報告書第七集 河内路・西郡路』(山梨県教育委員会)を用いた。これを基準として説明していく。テキストによる調査は79年に実施され、静岡県側は再調査を97年頃行ったようだ。これらの本が往時の身延街道と現状を周知させたことは意義深い。そのため基準としてのテキストとして用いる。しかしその後の現状改変や調査研究の進展により、書き換えられるべきことが出てきていることも、後に具体的に述べるつもりである。テキストに記載されていることはなるべく述べないようにしたので、本文を読む際、テキストも傍らにあった方が理解できる。
『静岡県歴史の道 身延街道』には、『山梨県歴史の道 調査報告書第七集 河内路・西郡路』内の身延山から万沢までの記述を順序を逆にして掲載しているので、テキストはどちらか一方があればよい。掲載順次は、『静岡県歴史の道 身延街道』に準じて、静岡県境から身延山に向けて掲載する。
 また実際に当地に出掛け街道歩きを楽しむのならば、上記のテキストと付属地図の他、ゼンリンの住宅地図で街道筋周辺の掲載部分をコピーして持って行くと便利である。(地図は図書館で全面コピーできず、著作権の関係で半分以下にされるので、必要な部分に絞ること。)テキスト自体はそれぞれの県立や地域の公立図書館にある。「Y-1」等の番号はテキストに即し参照のためそのまま用いた。番号の無いものは私が改めて掲載したものである。私の調査は90年代末と09年12月~10年1月である。
 なお実際現地を探索するのならば、標識等がなく分かりづらいので、周辺住民に道を尋ねるしかない。
 山中の古い道を通りたければ、廃道化しているので藪に入る覚悟は必要で、それなりの服装になる。季節は草木が枯れ蜘蛛の巣が減り、やぶ蚊や蛇がいなくなる晩秋から春までがよい。私は国土地理院2万5千分の1地図と方位磁針も持参している。通りたくなければ古い道の出入口だけ見て舗装路を迂回すればよい。
 身延道の山梨県側は山梨県教育委員会の調査メンバーにより調査されているのだが、『山梨県歴史の道 調査報告書第七集 河内路・西郡路』を読むと、事前の文献調査を行った後、現地には自動車を使い廻り、掲載写真の中には明らかに車から降りず車内から撮影した写真まであり、ほとんど歩かざるをえない土地には行っていないと思われる。そのため少なからず抜け落ちている事項がある。よほど現地調査の予算がなかったか、日程がとれず、足早に自動車で通り一遍主な地点を回っただけになっている。その内容をまた静岡県教委のテキストもそのまま掲載しているので、抜け落ちている点はそのままである。ただし基礎的な文献研究及び地図上のルート確定などは地の利があり、よく研究されている面がある。また身延道に直接関与しない、郷土史全体からの観点で掲載されている事項もあるが、私は個人的に未調査にした部分もある。ただしこのテキストにより、身延道の現状がまとまった形で報告された意義は深い。

・白鳥の砦(山梨県南部町万沢)Y-1
白鳥山自体がかつて物見のある砦だった。1569年武田信玄が駿河侵攻の際に作ったという。現在公園になっていて山頂まで車で行けるし、麓からの登山コースもある。山頂公園には標識等もあるので観察しやすい。
・白鳥天神社(南部町万沢)Y-2
 小葉山の県道沿いに見える。
・金山神社(南部町万沢)Y-3
 小葉山の廃屋集落内にあり、社叢は町指定天然記念物で、門前は身延道で狭いながらも江戸時代にでもタイムスリップしたかのように往時の面影を残しており、門前の身延道も含めて町指定景勝地にでもしたほうがよい。きわめて貴重な景観である。行き方であるが、県道沿いの家の裏に歩いて入っていくか、国52号線から歩いて上れるスロープを登っていくかである。
・境川の馬頭観音(南部町万沢)Y-4
 「興津筋O-61」、「岩淵筋I-69」に同じ。かつて甲駿田舎の里山荘のあった所の真下が、境川と国52号、杉山や古住田に向かう県道の合流点である。ここの空き地に石塔4基が立つ。境川の大石上にも1基立つ。この空き地の30m奥には石階段があり上ると墓地である。かつてここに旅籠屋甲州屋、両国屋があったのでその関係者の墓だろう。石塔を立てたのも旅籠屋である。今は誰もいない所だがかつては集落だったのだろう。この付近には小葉山集落(今は廃屋のみ、金山神社がある)もある。かつては賑わったのだろう。
・境川の供養塔群(南部町万沢)Y-5
 上記同。
・万沢の題目塔(南部町万沢)Y-6
 上記の場所に合祀されたようだ。もとは国52号の小葉山出口のもう少し北だったようだ。10年前、国52号沿いの境川分岐から万沢トンネルの間に2基ばかり馬頭観音があったように思うのだが、洞門が作られる等して見られなくなった。国52号を北上する。
・小葉山の一里塚(南部町万沢)Y-7
 屋敷平の分岐点付近にかつて木柱があり、戦後も横倒しになっていたようだが、見たことがなく消失した。
・万沢の身延道、残存部
 さらに国52号を北上し、万沢トンネル前で右上に上る道に進む。一旦峠のような所を上り越すとすぐ左に分岐する道があり、左に「随緑カントリークラブ← センチュリー富士コース 恋人の聖地← 白鳥山森林公園←」の看板で、右横には「甲府←→静岡」の交通標識がある。このゴルフ場や公園の看板裏の左(西コース)と右(東コース)にそれぞれかつての身延道の廃道切通しが北に向かって延びている。杉檜植林地内のごみや草木が繁っている中を進むと林道に一旦出る。
この林道は明治初期に作られ、国52号万沢トンネル北口近くから南に下がりトンネル北口真下のガード下から国52号西側を北に進み、次の水準点近くで橋上から万沢に至る県道に合流するルートである。明治期の身延道である。
 話をまた近世身延道に戻す。林道に出た身延道は林道を横断して下る。右(西コース)は高圧鉄塔の下から下って行き、空き地になっている所で終点となり、林道に吸収される。片道500m。
左(西コース)は林道を横断して下ってすぐ下の林道に吸収されて終点となる。この道は途中西の尾根に向かって上って行く分岐道があり、先ほどのゴルフ場や公園に行く道がヘアピンカーブで進路を180度変える所まで上って行って吸収される道になっている。片道400m。分岐道100m。
 吸収されたあと林道左下の沢沿い田畑の畦道になっている所を身延道は通っていたものと思われる。今は藪になっているが田畑の横を通って水準点のある所に出る。
・水準点
 駿河方面から万沢宿に入る身延道の南端にある。ここより南は藪になっていて道らしくないが、山と平地の境目の田畑の畦道になっていたはずの道である。この狭い藪寸前の舗装されていない小道のはずれになぜ水準点があるのかであるが、水準点は近代初期から主要街道に付けられ出していた。今なら国52号や県道、あるいはせめて自動車の通れる町道に付けられるべきだろうが、ここにあるということは、ここが一番の主要道だったということだろう。つまり近代初期において身延道本道の証拠と考えられる。
・馬頭観音22基一括合祀 
先ほどの林道が県道に合流する寸前、または水準点のある狭い道が見える所に馬頭が22基もまとめて祀られている。近辺に馬頭が見られない意味が分かる。しかし何で又馬頭だけを一括合祀したのか。この場所は明治期の身延道万沢側出口で近世の街道にもつながっているからここに移転したのか。
・万沢の道祖神(南部町万沢)Y-8
 身延道沿い万沢宿手前にあり、甲州に多い丸石道祖神と横に下部を欠いた石道標を祀る。「☞ 右□□ 道□□ 左ハ□□ 安□□」。おそらく身延道、万沢宿、駿州を示していたのだろう。
・万沢の口留番所(南部町万沢)Y-9
 橋を渡ると万沢宿で、目の前にガソリンスタンドがあり、その隣の住宅に説明看板がある。1582年徳川家康が通過している。吉田家が関守を勤め、現在の住宅及びGSも吉田家である。 
・万沢宿場(南部町万沢)Y-10 
 1580年の文書では内房、萬澤、南部の宿を継いで行った。後に内房から宍原に変わった。往時は賑わい、由比からも夜間に人足により魚が届けられるなど物資の集散が頻繁だったと思われる。昭和初期の身延線開通後さびれ、今は商店街というほどでもない半分住宅街になっている景観に宿場の栄枯盛衰を見る。
・広福寺(南部町万沢)Y-11
 山門や石塔(廻国塔、巡拝塔)がある。宿場の道が天神堂の台地にあがる所に位置する。
 県道を横断して身延道を進むと左側壁上に朽ちた石塔がある。もはや何物なのか不明である。
・天神堂遺跡(南部町万沢)Y-12 
 万沢小学校校庭拡張工事中に発見された。周囲は茶畑等の畑地の台地である。先土器時代の遺跡である。
・顕本寺前の五百遠忌碑(南部町万沢)Y-13
 寺の前に立つ。
・顕本寺入口の題目塔(南部町万沢)Y-14
 身延道を北上していくと万沢小を過ぎた辺りで左(西)に立つ。顕本寺参道であることを示し、向こうに寺が見える。この石塔は題目塔とも庚申塔とも見える。
・顕本寺(南部町万沢)Y-15
 お葉付きイチョウ(県指定天然記念物)があり、周囲も含め石塔類が多い。
・七面堂
 顕本寺墓地横で身延道が天神堂の台地から下る地点の付近にあり、石塔がある。古くからこの位置にあるのかは不明。この身延道は舗装され近道歩道として利用されているようだ。
・河内戸の渡船場(南部町万沢)Y-16
 十島との間で渡船していた。今の万栄橋下のようだ。万沢宿から本光寺や富士浅間神社に行く道を通って渡船場に行ったと思われる。万栄橋袂には新しい水神、題目塔、石祠道祖神がある。国52号、万栄橋交差点には石仏(地蔵か如来)1基がある。
・越渡の道祖神(南部町万沢)Y-17
 万沢の台地から身延道をつたって降りていくと県道に出てさらに越渡で国52号と合流する。そこに蓮久寺とその手前に道祖神がある。石祠で「道祖神 至誠如神」。
・蓮久寺(南部町万沢)Y-18
 寺というよりお堂がぽつんとあり、題目塔、五百遠忌碑の石塔がある。
万沢越戸の蓮久寺から西行まではほぼ河原と山すその境目を道が通っていたものと思われる。
 西行集落手前で越渡集落終わり頃の、遠藤宅裏の山際に小さな神社がある。この神社の鳥居の前か後の平坦な幅1.5m余、長さ10mの部分が、古い身延道の残存部と思われる。
・西行の渡船場(南部町万沢)Y-19
 西行峠手前の集落を流れ富士川に注ぐ川がある。この河口付近に渡船場があったと推定したい。現在、日本軽金属富士川第二堰堤となっている、その少し下流の堤防が2つに切れている辺りだろうが、推定できる物証はない。
・西行集落の石塔、西行峠への上り口
 西行の集落や畑地の中を身延道は通ると思われる。きっと山際の高い所を通っていたのだろう。西行公民館の北の畑に割れた石の道祖神らしきがある。次の角に石祠道祖神がある。この角を西に曲がり数軒行くと、五百五十回遠忌碑があり、上におと、かつて西行峠に安置されていたという西行地蔵?が祠に安置されている。
 ここから近代初期の甲駿街道ルートとしては、川向こうの遠藤秀雄氏宅に向かい、そこから斜面に取り付き、斜めに西行峠に上ったと思われる。
 また近世の西行峠上り口は、川向こうの遠藤氏宅に向かわず、もう150m直進して道が4つに分岐する所を右(北)の西行峠の山に向かう道を進む。山際に近付くと切通し道の廃道になる。右に墓地とやや新しいような石塔「奉参詣壱千ヶ寺供養塔 乃至法界 平等利益」がある。この上に西行峠や増野に上る自動車道が通っているようだが、草木が繁り視界不良である。
 西行集落には古めかしい墓地が多く、それを見るだけでも一見の価値はあるかもしれない。
・西行坂(南部町万沢)Y-20
 現在西行峠(坂)には車でも上れる道があり、西行集落からの旧道を破壊している。峠には石塔や石仏があり、他にも現代の石碑群がある。「盆中の富士」といって二つの山に挟まれた中に富士がある景色が絶景だそうである。伝説では西行が来たことになっているが、史実ではないようである。現在峠は公園で児童遊具や茶室用建物がある。
・西行峠の甲駿街道
 甲駿街道下山口が目の前にあるが、これは近世末ないし近代初期の道で山と河原の境目を行く近代の道につながっていく。道幅一間(1.8m)で坂がきつくなく作られている。国土地理院2万5千分の1地形図では、下ると国52号の歩道に出ることになっているが、現実は違っているようだ。道は最初のうち、標高差20mほど下っていくが、あとは等高線に沿い水平移動していく。200mも進むと一旦沢で道が崩落しているところに出る。すぐ下を通行して上に戻れるので怖くはない。ただその下の方を見るともう1本山道らしきが見えるので、地形図の下に下りきる経路はこれかなと思えるが不明。はっきり見える先ほどの続きの道(甲駿街道)をさらに進むと、斜面崩落防止用のネットに石が詰まっている所を通る。ここだけ道ではないが、まあ通れるので大丈夫である。また道になり狭いところもあるが平坦である。そのうち道幅だけでなく周囲も平坦な所が目立ち、かつて畑地かと思われるところを通ると、石垣がある所も通過する。そして不意に切久保の大曲のカーブ上に出る。増野から下って来た自動車道が切久保手前で大きく曲がる所に、甲駿街道は出る。もう1つ下のカーブには「右ハ山道 □□□□」の石道標がある所である。真下に切久保集落が見える。距離1km。
 この道は時期によって草だらけの廃道になることがあるが、09年12月には草刈がしっかり行われていた。また電線がずっと通っているので、それを目印に迷うことはない。
・増野の身延道、道祖神石祠、常夜燈(南部町増野)
 甲駿街道より古い身延道は、西行峠の茶室建物裏の高い所の左(南)側に狭い山道が延びている。アップダウンはあまりなくほぼ平行移動し増野の畑地や集落に出られる。この集落や畑地より低い所に西行峠上り口から延びる自動車道(林道)が通っていて、増野集落入口辺りに道祖神石祠と常夜燈が祀られている。おそらく移転してここにあるのだろう。現在自動車道で増野と切久保境の鞍部(峠、乗越、コル)を越えられるが、古い身延道は集落上端を通り七面神社上方も通り鞍部に到達したと思われる。
・切久保の身延道、石塔類(南部町切久保)
増野との境の鞍部から切久保一軒目の家に向かい下っていくコンクリート舗装された幅1間の道があり、身延道と推定される。切久保一軒目の家前で先ほどの自動車道といったん重なるが、この後も二つの道は付かず離れず切久保集落に下りきっていく。
・石道標(南部町切久保)
先ほどの自動車道を下っていくと、左道端に石道標がある。その背後上に古い切通しの道がついている。「右ハ山道 □□□□」、剥落であとは読めない。古い切通しの道を上ると150mで茶畑と佐野氏のお宅前に出る。
・石仏(南部町切久保)
 自動車道を下りきる手前右に3基ある。無論移転合祀であろう。「明治三十二季 馬頭観世音 十月大吉□□□」。地蔵:刻字不明。「明治四十二年 馬頭観世音 十月日」
 切久保集落に下りきる大きいカーブの尾根先端から増野方向に身延道はついていたようだ。地元老婆が大きいカーブの尾根先端が西行峠からの道だといっていた。さて切久保集落からどうやって身延道は北上するかといえば、切久保集落から東の国52号に出る所、北の丘に上る登山道がある。すぐに幅1m程の道になり丘上に出る。ここに石塔物がある。ただし昔から国52号に面した河原沿いから古い道が上っていくのは水難を考えると妙なので近世末から近代初期の甲駿街道ルートと思われる。ではもっと古い道はというと、国52号に出るのと反対に丘すそを左に進み墓石のある辺りから竹林を上ったと推定される。竹林周辺は畑地だったのか平坦な段々になっていて道は不明である。 
・丸石道祖神、常夜燈(南部町切久保)
「道祖神 安政三 □□□正月吉日」。「献燈 切久保中 南正大吉日 □永二丙辰」。丘に上りきった所の守り神と目印になる。さらに前方に進むと天白神社前で自動車道に重なる。
・天白神社、切久保から向島への身延道(南部町切久保)
 ちょうど切久保の丘上の真ん中で、ここから向島に向かって身延道は下っていくので目印や休憩場所になっただろう。自動車道は山の上に向かいカーブして上っていくが、古い身延道は竹林の斜面下を覗き込むと幅1mの踏み跡を見出せる。隣には墓石群もあった。どうも墓石を回り込むようにかつて道はついていたようだ。踏み跡を歩くとすぐ幅1間の道であることが分かる。石ころだらけだがかつては大八車も通れる緩やかな道だったろう。下りきる手前に首のない馬頭観音らしきがある。向島の手塚氏宅前で坂を降り切り自動車道に合流する。自動車道を進み上福士川橋に達する。左手前に地区集会所があり、祠が祀られている。渡り切った右に石塔がある。
 話を一旦切久保の丘上の天白神社前に戻す。ここから身延道本道とは違うが、自動車道で、町屋方向に架かる福士川橋に向かい尾根を下る道があり、その尾根伝いに降りる古い切通し道が残存している。福士川橋手前まで降りて左折し向島を目指すと、1軒目の家の手前右に馬頭観音が祀られている。ここから先は切久保天白神社からの身延道に合流し、上福士川橋に至る。
・石塔「橋供養 郷中 元治元年」(南部町町屋)
 昔から上福士川橋辺りが渡河地点で橋が架かっていたと思われる。祠や石塔があるということは渡河するのも大変だったのだろう。道をまっすぐ進み県道に出る。ここから右折してもよいが、少し左に折れながら山際の旧道らしきに出て右折するのがベストだろう。また県道に出てかつての内田氏宅跡の所を左折し斜面を上っていく。ちなみに内田氏宅跡には天使像等があり目立つので目印になる。この方はアーティストだったのだろうか。(09年12月)すぐ目の前に石塔3基が見える。
・石塔、町屋から峰への身延道(南部町町屋)
石塔、馬頭観音、「大念佛院」がある。もともとここにあるのかは不明だが、この付近のものだろう。この道は今自動車で上れるように改良されているが、かつての身延道である。途中で歩いて上れる身延道が自動車道の上についているので、そちらに上るとすぐ、丘の上で道祖神や馬頭観音が出迎えてくれる。
・道祖神、馬頭観音、4基(南部町峰)
身延道をたどり、町屋の上の峰という集落入口に着くとある。坂の上と下にそれぞれ石造物があり、古い名残を残している。このまま峯集落を道なりに直進していく。集落中央辺りの三叉路で石造物がある。
・道祖神、常夜燈、峰から弘円寺への身延道(南部町峰)
集落中心部で守り神の役と三叉路の道標とを併せ持つのだろう。ただし昔からこの位置なのかは不明。さらに道なりに進むと戦前の兵士の墓となんだか分からない崩れかかった石塔がある。ここで古い身延道はこの墓や石塔裏の家(坂本氏宅、東峰建設、望月氏宅)の裏に細い道を残している。途中石段にもなり約100mで赤い鉄橋を渡り弘円寺門前になる。
・峰のお堂や石塔類等の石造物群(南部町峰)
一旦弘円寺から話を、町屋の内田氏宅跡や「大念佛院」の石塔前の自動車道に戻す。この自動車道を上っていき丘を上りきり、眼下に町屋の福寿院や墓地が見え高圧鉄塔を過ぎた辺りに、お堂と6基の供養塔がある。ここを過ぎなお直進すると峰集落中央辺りで、峰公民館隣にお堂と3基の常夜燈がある。さらに直進すると先ほどの戦前の兵士の墓と崩れかかった石塔がある所に出る。これで弘円寺門前に話を戻す。
・最恩寺(南部町福士)Y-21
 *街道から離れているので未調査。
 村内最古の寺院で文化財もある名刹。
・弘円寺(南部町福士)Y-22
 弘円寺は江戸期中期建立で日蓮宗である。門前まで来た身延道は坂を下り山すそに沿って北上したようだが、今は道がない。おそらく今の川沿い付近を進んだと思われる。一旦下りきって石碑群前を通る。
・弘円寺入口の石碑群(南部町福士)Y-23
 参道入口に並ぶさまは圧巻である。かつて栄えた寺院であることが分かる。題目塔、遠忌碑等多数。参道を出て町道を北上しすぐ左折し左の山際の一番手前の家を目指す。この家の前の道が身延道と思われる。北上しT字路に当たると右に丸石道祖神がある。
・平の道祖神(一)(南部町福士)Y-24
 村の守り神兼道標の役割があったのだろう。ここで一旦左折しすぐ又右折し北上する。
・平の道祖神(二)(南部町福士)Y-25
 集会所の手前十字路脇に甲州に多い丸石道祖神がある。四角い台座石の上に丸石を置く形は駿河ではまったく見られないので珍しいが、甲州では数多く当たり前の光景である。
・平の道祖神(三)(南部町福士)Y-26
 石祠がない。付近には木造の祠らしきと、少し離れた所に真新しい双体道祖神が祀られている。どうも双体道祖神に付け直すことが流行しているようだ。
・八幡一宮諏訪神社(南部町福士)
 天然記念物の樹木もある神社。
・失物地蔵usemono(南部町福士)Y-27
 先の神社を90m過ぎた街道左手(西)の一段高い山斜面上の藪の中にあり、見つけにくい。別の板碑も近くにあるので、それがヒントになる。六地蔵幢touで失ったものが願を掛けると戻ってくるといわれての名だが、付近の人でも謂れは知られていず、失物地蔵と言っても通じず、六面地蔵または六面幢で通じる。この地蔵の横を山に上っていく古い切通し道があり、かつて真篠や近くの寺院の修善寺へ行く道と思われるので、身延道と真篠道の分岐にあったといえる。
 なお09年12月下旬、すぐ近所の望月氏とも探したが、台座があったとおぼしき地点に崩れていない平らなへこみを見つけたので最近まであったはずだが、そのとき現物は存在しなかった。周辺の藪が刈り払われていたし、誰かが盗難したとも思えないので、修理か安置し直すために一旦取り払ったものと推測する。また再安置されることを願う。
・身延道についての一考察
 10年前、この付近で野良仕事をしている老婆に話を聞くと、かつての身延道は今の山際と田畑の間の道より一段高い所を通っていたそうだ。だからその又一段上の見つけにくい所に失物地蔵があるわけだ。昔の道からなら見つけやすい位置だが、一段低くなった今の道からは見つけにくいのだ。今自動車道になっている山際の道はかつて田畑だったのだ。そして平野部は富士川まで一面家もない田畑や河原が続いていたそうだ。
 今の道より一段高い所を身延道が通っていたり、町屋を通らず峰の高い所や、西行峠から増野、切久保の高い所をわざわざ通すように、富士川や支流の氾濫原である平地を通れなかった証拠である。富士川の水量は昔に比べれば格段に少ないはずで、支流も含め数多くの砂防ダムや堤防建設により水量ごと押さえ込んでの今の川の姿であり、昔はこんなものではない怒れば恐ろしい日本三大急流の富士川だったのだ。
失物地蔵から200m北上すると川を渡り東海自然歩道の標識がある。その標識に従い北西に上っていくと、真篠集落に出る。自然歩道は南に進むが、身延道は北に上り地区集会所になっている、かつての栄樹庵の裏に進むが、今は裏から通れないので表を通って墓地横から古い身延道に入る。目の前の山はかつての山城、真篠砦である。身延道は城のすぐ下を通ったというより、道のすぐ上に監視のためもある城を築いたというべきか。ここで真篠砦を説明する。
・真篠砦
 16世紀中期に武田信玄の命により作られた。原大隈守が城を守った。甲斐駿河国境に近く直下を身延道が通るなど守備の必要性のある城だったと思われる。現在本丸等の曲輪や土塁、阻障(幾筋も溝を掘り敵が通りにくくする)がかなり残り、文化財として貴重と思われるが、城の出入り口のみ標識があるだけで、素人ではどこをどう歩いていいかも分からない状態で、ルート設定や標識設置が望まれる。本丸跡には2つの石祠道祖神がある。また身延道の上に阻障がある。
・真篠から原戸の身延道
 真篠地区集会所の栄樹庵の裏に石塔類がある。石塔類の裏の山林と寺の境目がかつての身延道でもっと道幅が広かった(1間=1.8m)と思われる。墓地横から身延道に入る。斜面下に神社の屋根や墓地が見える。竹林と杉檜植林地の中の薄暗い道を進む。斜面上は真篠砦の阻障があるなど古い雰囲気がよく残存している。真篠と原戸の境の鞍部に至る。ここまで平坦な幅広の道だった。鞍部には石垣と道祖神(木祠、2基)、常夜燈(「天保六 真篠」、2基)が祀られている。村境の守り神であろう。ここから下り道になり、150m植林地を進む。途中山腹へ平行移動していく道と原戸へ下る身延道が分岐する。ここに横倒しになっている「南無観世音菩薩」の文字塔がある。分岐の目印だろう。ここから50m下り沢の手前で直角カーブする所に土砂や倒れた樹木の根っ子がある。10年前通ったときは、確かここにも石塔があったと思うのだが、数年後及び09年12月に通ったときも見られない。土砂崩れで石塔が埋まったものと思われる。残念。ここから下は石垣の段々が見られ、かつての畑地か住宅跡と思われる。道は部分的にコンクリ修復されていて、今でも使われているようだ。途中3箇所沢を渡るが、水量が少ない時期だからだろうが、沢に付近の石を置けば足を濡らすことなく渡れる。沢の前後が少し道が削れているがというより、繰り返し修繕してきたからだろうが、おおむね安心して通れる道で、3つ沢を渡ると石垣の段々のある所を過ぎ、車で通れる原戸側の自動車道に出る。09年12月には途中1箇所、コンクリ舗装の下の土砂が削れてオーバーハングし、車進入禁止になっていた。樹木の中を抜けて明るくなると。原戸の集落である。
 それにしてもよく古道が修繕を繰り返しつつもそのまま残存していたものだ。今すぐにでも真篠砦とともに文化遺産として登録してよい道である。
・聴法寺、石塔類、題目塔、常夜燈(南部町楮根原戸)
 原戸集落内を道なりに直進すると、日蓮宗聴法寺門前に至り、古色をよく残した景観である。石塔類豊富で並んでいるさまは壮観で、先ほどまでの真篠から原戸への古い身延道の余韻もあって、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようだ。門前を下った先、集落出入口のガソリンスタンド(GS)裏に、題目塔2基(「文明四」、「明治」)、常夜燈1基(「明治十四」)もある。ここで道を下りきりGS表に出れば国52号であるが、その手前に山際を左の竹之花方向に進む道がある。この道が古道そのものか否かは不明だが、おそらく山際を進んだのは確かだろう。道は左の山際の畑地横を進むものと、右の竹之花に向かう道に分岐する。一旦右の竹之花に向かい橋を渡ると、Y字路に目新しい双体道祖神がある。
・竹之花の道祖神(南部町楮根竹之花)Y-28
 「石祠」とテキストにはなっているが、石祠は見当たらず、目新しい双体道祖神しかない。「平の道祖神(三)Y-26」で記述したように、双体道祖神化が進んでいるようだ。隣や裏に朽ち果てた古い石も残しておいてほしい。Y字路から先の右は国52号に合流し、左は竹之花の常夜燈の前に出る。
これも古い身延道ルートの一つと思われるが、先ほどの左山際畑地ルートに戻り、歩を進める。今は畑地より一段低い道になっているが、昔は山際の一段高い所を通っていたものと推測する。山際と川が接近する所に橋がある。おそらくもっとも古い古道はこの辺りで渡河したものと思われる。渡河した後、右折し先ほどの常夜燈の前に進む。
・常夜燈(南部町楮根竹之花)
 常夜燈は道標になっていたと思われ、常夜燈の裏に人一人しか通れない狭い歩道がある。おそらく身延道と思われる。楮根川を歩道の橋で渡り、畑を抜けて正行寺参道に出て、国52号との交差点の「正行寺入口の石造物群Y-29」に出てもよいが、おそらく畑を出て一旦左折し2軒先を右折するのが、まだ古道に近いと思われる。このまま直進できないが道なりに進むと、道がカギの手のように曲がる所に、丸石道祖神なのか、家の門の飾りの丸石なのかが祀られている。カギの手を曲がると国52号に合流する。しばらくして左の志村氏宅前を通るのが古道らしいと思うが、今道はない。大和峠まで国52号を通る。左右に近代の旧道の一部が残存している。
・正行寺入口の石造物群(南部町楮根竹之花)Y-29
 「五百五十遠忌碑」が見当たらない。
 題目塔と石祠がある。
・大和峠の身替地蔵(南部町大和字廻沢)Y-30
 国52号線の峠最高地点南脇に祀られている。他に供養塔2基もある。背後に上ると、石垣が幾重にもあり、かつては畑地や住宅の跡と推定される。また少し52号を下ると南脇のコンクリート側壁の向こうに近世の坂道らしき跡が数十m見える。
・大和峠の道標(南部町大和字池の久保)Y-31
 国52号大和峠を過ぎると右に大和川の谷があり、右に下る自動車道がある。これが身延道かというと、この周囲に家はないが、国52号に戻りもう1本先の右(北)に入る道の周囲は家があるので、こちらが古い道と思われる。「ゼンリン住宅地図93年版」では、はじめの右に下る道の記入がないのも証拠である。ただし「大和峠の道標Y -31」は新しい自動車道沿いに立てられている。おそらく移転したのだろう。題目塔で台石に「大和峠」と書かれているそうだが、よく分からない。ここは新しい自動車道だが、この先30mで古い身延道の自動車道に合流する。
・大和の道祖神(南部町大和字清水沢)Y -32
 さらに200m下ると左に石塔類がある。石祠、自然石の碑2基、常夜燈、丸石、力石が祀られている。内容からして移転合祀されたものだろう。(79年)テキストでは道路改良工事の際約1m 移動したとある。
 もう100m下ると人家の向こうの丘上に熊野神社が見える。ただ身延道に直接面しているわけではないので省く。さらに200m進むと左に鳥居が見え駒形神社がある。
・駒形神社(南部町大和字上ノ田)Y -33 テキストでは大和・塩沢両村の鎮守で大社だったという。町指定文化財。
 180m進むと塩沢川に至り橋があるが、30m右(東)向こうにも橋がある。古い身延道に沿うつもりなら右の狭い橋を渡り、直進していく。120mで広い今の県道(南部宿場前に至る近代の身延道、ちなみに南部宿から離れて通る国52号は現代の身延道といえる)の五差路に出て右に警察署がある。右折して広い県道を行くのも近代の身延道としてよいし、近世の身延道を通るなら右から2番目の狭い道を直進してもよい。狭い古い身延道の名残の道を行っても戸栗川橋手前で広い県道に出る。この狭い道沿いに遺物は見当たらないが、古めかしさの残るレトロな道だ。県道沿いも昭和の雰囲気の残る道であり、山梨県には近世身延道以外にも明治・大正・昭和の雰囲気の味わえる道が多く残っている。おそらく今後その手のマニアによって再発見されていくことだろう。街道見学愛好者にとっては将来有望な地域だ。
・戸栗川の渡し(南部町南部字町裏・南田)Y -34
 かつては渡船したが、その名残はない。左丘上に神社がある。
・内船八幡神社(南部町内船字船戸)Y -35
 *街道から離れているので未調査。
 地域を代表する古くからの神社。
・内船寺(南部町内船字寺廻り)Y -36
 *街道から離れているので未調査。
 13世紀建立の古寺で名刹。
・南部宿(南部町南部字西町)Y -37
 橋を渡ると、南部宿である。武田信玄在世中にすでにあったことが分かっていて、中世には存在したと見られる。近世の宿場を残す物は表通りには見当たらない。ちょいと古めかしい昭和の田舎町商店街という雰囲気である。宿場の県道メインストリートは近世末にはこの道だったのだろうが、中世には1本西の狭い道が街道と推定され、古い遺物もそこに多い。
・諏訪神社(南部町南部字追平)Y -38
 甲斐源氏の祖新羅三郎義光が1095年に創建した。
・浄光寺(南部町南部字上の山)Y -39
 臨済宗。中腹から境内に移転した南部氏一族の五輪塔、宝篋印塔の墓石がある。
・南部宿文書(南部町南部字外田、朝夷一郎氏蔵)Y -40
 朝夷氏蔵、中世末の南部宿に関する文書。武田信玄や穴山氏等の文書である。
・南部横宿の道祖神(南部町南部字西町)Y -41
 妙浄寺と宿場町をつなぐ道と中世の道の交差点付近にある。隣にあったはずの力石はなかった。今でもドンド焼きの時お祀りするそうだ。
・妙浄寺(南部町南部字北沢)Y -42
 今は日蓮宗でかつては真言宗、新羅三郎義光の創立。境内には「花釣瓶井」という伝説の井戸があり、日蓮がこの井戸水で村人の病を直したといわれる。他にも題目塔等がある。
参道を降りて「南部横宿の道祖神Y -41」に至る直前の中世の道沿いに3基の大きな供養塔(四百五十回遠忌碑、五百五十回遠忌碑、題目塔)がある。
・南部城山(南部町南部字北沢)Y -43
 山頂近辺に続く尾根沿いには人為的に削られた段がいくつか見られるので郭跡と見られる。上り始める所だけは道があるが、標識やルート表示はないし、山頂付近で道もなく、踏み跡をたどることになる。初心者ではさっぱり分からないだろう。
・城山烽火台跡(南部町南部字北沢)Y -44
城山頂上の窪地で付近には土堤や川原石があり、南に倉跡の窪地もあるといわれるが、分からなかった。頂上近辺は道も分からず完全な植林地になっている。保存活用するなら標識やルート表示が必要である。といって自治体に予算があるとも思えないので、南部町の郷土史愛好家が町内の歴史遺産に標識や案内表示を設置したらいかがだろうか。
頂上付近に馬頭観音「安政五年」があった。
・新羅神社(南部町南部字北沢)Y -45
 12世紀末南部三郎光行の創立、新羅三郎源義光を祀る。
・南部氏館趾(南部町南部字老瀬)Y-46
 法務局の裏で市川氏宅に「空井戸跡」と南部氏の説明看板がある。ここを中心に館があったようだ。北は富士川がぶつかる崖で東も川となり、南は一段低く南部宿が広がり、西は身延道が通り、その向こうに南部城山がそびえる。館跡は北の崖上の一段高い微高地にあり水害、防備にとって有利と思われる。南部氏といえば後岩手県に南部藩を築いたように大部分は東北に移住したが、一族の一部は残していったようだ。しかしこの館がいつまで使われたか不明らしい。付近北崖沿いに、石祠道祖神、題目塔、道祖神があり、東の堤防に「富士川舟運」説明版がある。法務局前・南部バス停のある宿場メインストリートに戻り、180m北上すると、中世の道とも合流する。ここが南部宿北端である。100m北上すると南部町医療センターがあり、付近は河川敷になり、こんな所を古道は通らないだろうと思える。テキスト付属マップでは今の河川敷自動車道よりもっと右の川に近い河川敷コースと左の山際コースの2本の道があったことを示唆している。しかしこんな河川敷をよく通れたものだと思っていると証拠のように安倍紙業入口に船寄せの松説明版がある。
・円蔵院の船寄せの松(南部町南部字御崎原)Y-47
 写真付説明版によると推定年齢500年の黒松の巨木で県指定天然記念物だったが、マツクイムシ被害により85年伐採された。謂れは2説あり、富士川舟運の舟が松を見ようと寄ったためとも、大水のときこの松に舟を寄せつないだためともいう。写真で見ると見事にしだれた松で周囲の木の2倍はあることが分かる。すぐ隣に2代目らしい小さな松が植えられている。どうもこの松周辺を通れたようだ。50m北上すると稲荷神社に上る石段が見え、左に自然石を祀りいかにも参道入口という趣の道がある。この道を上ると、円蔵院がある。
・円蔵院(南部町南部字御崎原)Y -48
 臨済宗で16世紀中ごろ穴山信友草創による。穴山信友の墓、仏涅槃図や信友画像の県指定文化財がある。境内前の石造物:石祠道祖神、石幢、供養塔、石灯籠、石仏等あり。
・円蔵院から中野の身延道(南部町南部字御崎原、中野)
 付属地図ではこの辺りで河川敷を北上し中野の「峡南養護老人ホーム慈生園」の東に出るように記入されている。河川敷を歩いたのだろうか。(中野の屋号「六本松」の若尾正氏の話)「慈生園の南東に下る古い道があり、渡船場につながっていた。母か祖母は渡船してその道を上がって嫁に来たと言っていた。また今はないが山道もあったようだ。」そこでこれは渡船によるルートと考えられる。ではどの辺で乗船したのだろうか。船寄せの松より北で船山川橋までの間だろうか。そして中野側の乗船場は慈生園南東下の砂利採取場付近であろう。
 では山道はどこを通ったのだろうか。もう私の勝手な憶測だが、円蔵院の西に下り今の御崎橋付近またはもっと上流の向田橋までに川を渡り、本郷か若宮を北上し清水原か慈眼寺辺りを上って中野に出たのだろうか。
・穴山信懸の墓(南部町南部字御崎原)Y-49
 *街道から離れているので未調査。
 信懸は梅雪の曽祖父で、墓は廃寺建忠寺北裏手山腹となっている。地図からすると若宮の若宮八幡宮参道付近のようだ。山道ルートならこの辺りを通ったかもしれない。
・六本松の一里塚(南部町中野字六本松)Y -50
 渡船で中野に着き幅1間の身延道を岡に上ると今の慈生園の駐車場に出る。そこから北上する道は慈生園横を舗装された自動車道となる。この道の慈生園反対側に畑と慈生園で建立した目新しい供養塔さらに古めかしい墓石が見える。(中野の屋号「六本松」の若尾正氏の話)「昭和17年、船の材料にするとのことで畑と慈生園供養塔の中間にあった松を伐採した。」とのことで、この慈生園供養塔付近を六本松の一里塚としていいようだ。そしてこの裏に墓石が多数あり、その向こうにも2箇所、計3箇所に墓石がまとまっている。テキストでは馬頭観音等石造物11基とされているが、馬頭らしきは判断つかず、どれも墓石に見える。新しい物で江戸後期か中期で、中には宝篋印塔や五輪塔といった中世末頃の壊れかかった物もある。松は1株で6幹に分かれていて六本松と称された。ここから甲駿の両府へ各14里、鰍沢・岩淵へ各9里で中央なので中野という村名になったのだろうといわれている。
 この場所は付属地図では若干ずれている。付属地図はずれや誤りがそれなりにあり参考にはなるが、ある程度のずれを修正しつつ判断する必要がある。この地図編集は誤りを覚悟の上で79年時点で分かる範囲内で推定した、その時点での最新推定研究の所産といえる。そしてこの地図があることでかなり具体的に現地を探ることを容易にした功績は大きい。ただし今となっては作り直したほうがいいとも言える。
中野で数人に聞き若尾氏にたどり着けたことがよかった。
 さてここから北上し150mで若尾氏宅前で中野のメインストリートに出る。100m進むと橋を渡り、右に地区集会所があり、石祠道祖神がある。さらにその先に水準点題目塔群が安置されている。(中野の屋号「六本松」の若尾正氏の話)では「あの題目塔は六本松から運んだものだと父か祖父にいわれた。」そうである。中野宿の家並みを過ぎ国52号に合流する手前左に馬頭観音「文化十四年」がある。
・中野の道祖神(南部町中野字根岸入)Y -51
 かつては中野宿中央の街道沿いにあったそうだが、今は中野神社の参道階段入口左にある。丸石(径15cm)と石棒(高70cm、幅25cm)がある。
・松岳院(南部町中野字宮内)Y -52
 臨済宗。穴山氏の乙若丸の開基で、夭折したので冥福の為創立したという。五輪塔がある。
 中野を出た身延道は、峰の窪付近を通り、国52号と付かず離れずにやや山上を通って横根中に至ったと思われる。
・桜清水(身延町横根中)Y -53
 横根中には、今は国52号から上る自動車道で行くことになる。峰の窪方向から自動車で上っていく道沿いで国52号の真上に神社(石灯籠2基、石祠道祖神、堂)がある。その神社付近に自動車道の切通しで寸断される、かつて歩いて上った切通し道が集落に向かって上っていく。自動車道を1本またいだ上に馬頭観音がある。ちょうど村の入口だからだろう。
・横根中の石塔
 南無馬頭観世音菩薩、12基(「文政十幸」、昭和期の物が多い)、「畜産 昭和十二年」1基、計13基が合祀されている。
 もう少し上に50m上ると石祠道祖神「大正八年」があり、ここから自動車道に向かって合流し、舗装路を100m歩けば、桜清水に着く。
 桜清水は、日蓮宗実教寺門前にある。日蓮伝説:日蓮が身延へ入山する際ここで休憩し泉の水を飲んだ後、桜の杖を立てたら桜の木になったという。何代目かの桜の木はすでに枯れたようで幹だけが残っている。泉は井戸になっていて、後はお堂がある。横は実教寺参道で題目塔が幾つか立ち見事な景観を作っている。実教寺にも題目塔がある。
 桜清水の標識は文字が消えていて、ここが桜清水か地元の人に確認するしかなかった。説明版がほしい。道の反対側には清水家屋敷跡という石碑がある。ここが身延道であろう。すぐ見える所に次の物Y -54がある。
・横根の道祖神(身延町横根中)Y -54
 桜清水の近くにある。この辺りが村中心部のようである。石祠で眺めの良い所に祀られている。後に江戸中期から後期の墓石2基も祀られている。
 この桜清水付近から榧の木峠を目指す、かつての身延道があったと推定されるが、現状は不明。
・榧の木kayanokiトンネル付近の馬頭観音
 国52号榧の木トンネル手前左に旧道トンネル入口及び谷津・清子方面に行く道がある。馬頭観音がある。この馬頭観音は一時ピンクの塗料を全身に塗られ完全にピンクの塊と化していたが、やっと馬頭観音の姿を見せるようになった。この道は近代以後の道なので、山腹にあった近世身延道から馬頭は下ろされたのだろう。ここから山の斜面を眺めると、切り立った沢が見えるなど、昔この山腹を通っていたと思われる身延道は崩壊しているかもとは思われる。舗装路を500m進むと道より一段高い所に馬頭観音2基が祀られている。ここからも相又坂本に行く榧の木峠を通れる道があったはずで、竹藪をかいくぐれば榧の木峠の身延道に合流する。竹藪の道は近代の道かと思われる。合流地点では横根中方面に向かう古い近世身延道と相又坂本へ行く近世身延道に分かれている。相又坂本を目指すと鞍部に題目塔がある。
・榧の木峠から横根中(桜清水)へ行く近世身延道
 順序は逆になるが、ここから横根中(桜清水)方向へ山道(おそらく近世身延道の成れの果て)を通った説明をする。先ほど説明したように、題目塔のある榧の木峠から東に進むと、亀久保方向へ下山する竹藪だらけの電線巡視路と、山の標高に合わせ水平に横根中(桜清水)方向へ進む道に分岐する。その横根中への山道を通る。最初道幅は1m近くあり、上り下りはなく、およそ水平移動していく。1箇所、木橋が通されていて林業用作業道として使われているようだ。長さ5mほど道が崩壊している箇所があったが、すぐ下を通って向こうに渡れる。分岐点から500m進むと,真下30~50mに亀久保・清子に行く舗装道路が見える。もう少しでトンネル入口付近だろう。この辺りで斜面はきつくなり、杉檜の植林地はガレてきて、道もおぼつかなくなる。ところどころ道幅はあるが、崩れがひどくなってくる。歩きづらく立ち行かなくなるので、致し方ないので、来た道を引き返さざるをえない。
 榧の木トンネル付近に近付くと、地形図を見ると分かるが、等高線間隔がつまり、きつい斜面であることが分かるし、トンネル付近の舗装路から、上の斜面を見上げると、切り立った沢も見えて、この辺りで古い身延道は崩壊しきっているものと推測される。
・榧の木峠(身延町横根中となっているが、相又坂本だろう)Y -55
 ここから榧の木峠を説明する。テキストでは横根中とされているが、相又坂本から300mの距離で、相又坂本とすべきだろう。峠には題目塔がある。さらに北の尾根に向かう山道もついているが、どこまであるかは知らない。峠近辺は平坦な段々が多く、かつて畑地だったのかと思われるが、今は荒れて淋しい杉檜植林地だ。近くには高圧鉄塔もある。
 題目塔「南無妙法蓮華経 道長山唯勝寺 元禄十一年戌寅六月十三日 谷口□□□□ 當寺三代正学律師日性」。
 峠を北西に300m下ると、相又坂本集落に出る。10年前の方がまだ道はきれいだったが、今はさらに荒れている。
・カヤノキ(身延町横根中)Y-56
 幅1.2mの峠道を下ると坂本入口前で動物除けネットと入口があるので自分で開け閉めして入る。題目塔のある下りだす所から300mで坂本の集落に出る。集落1軒目の家の手前の石塔類がある所に二代目の榧の木とやらがある。日蓮伝説で日蓮が杖を刺したら木になったということらしい。榧の木の付近に石祠道祖神、石塔類もある。  
・相又坂本の道祖神(身延町相又)Y-57
 集落1軒目の家の前の道が身延道で集落内を通り過ぎ、集落はずれで下の自動車道に出る所にY-57がある。石祠と石灯籠「天保十二年」がある。坂本北端の守り神のようだ。自動車道を少し進むと左に下って行く道があり、横に石塔が祀られている。しかしこの石塔は、形からして江戸後期の墓石である。何かの供養塔なのか、墓なのか刻字が読めない。そしてこの道は相又川に到達すると、そこで不自然に断ち切られている。つまりかつて橋があったが、今はないということで、明らかに古い身延道のルートを示している。この辺りで渡河し対岸の上村に出て相又上に進み、そこからまた相又川を渡り相又下の正慶寺前に進む。
・正慶寺(身延町相又)Y-58
 1290年創立で、日蓮入部の際、ここで粟飯を供したという伝説があり、粟飯寺ともいう。石造物豊富で門前の題目塔、宗祖腰掛石、石祠、寺横の石塔類群多数がある。伝説があるのなら周知を図り寺の宣伝も兼ね、伝説内容や寺の縁起を記した説明版を立てたらどうでしょうか。寺の前に橋があり渡る。昔もこの辺りで身延道は渡河したようだ。国52号を500m北上すると身延南小学校前に至り、そこを左折(西)し自動車道で次のY-59に至る。ただ昔の道は小学校裏山際を回り山際集落を通り川際のY-59に出たようだ。
・相又針山の道祖神(身延町相又)Y-59
 石祠「天明五癸巳」で、これから渡河することと村西端の守り神だったようだ。今は大城川を橋を渡って対岸へ出る。右折(東)し100mで左田畑に数段の石垣が見られ、ちょうど道の高さに水平に山際を進む石垣段も見られる。これが古い身延道である。
・小田の道祖神(身延町小田船原)Y-60
 石垣段を見つつ自動車道を進むと一段高い石垣上に石祠が祀られている。橋を渡り対岸の小田村の入口を示す守り神だろう。石祠前の身延道は石垣で囲まれ幅90cm程である。もとはもっと広かったのだろうが、隣に自動車道になる広い道が作られ、身延道の方は田畑の畦道として幅を縮小されたのだろう。それにしても破壊されずよく残存しているものだ。さらに自動車道に沿い古い身延道を見つつ東進する。自動車道は平地に沿って下っていくが、身延道は等高線に沿って水平移動していくのがよく分かる。身延道は数軒の集落内を通過し、その先の山林内に消えていくが、おそらく山林内に旧道は残存しているものと思われる。
・馬頭観音(身延町小田船原)Y-61
 自動車道で国52号に交差する所(大城入口)の右に高山工業所があり、左向かいは崖となっている。崖の右に階段が付いているので5m上ると幅1mの古い身延道が見え、その一段上に自然石に馬頭観音の文字を彫った物が見える。古い身延道は多分先ほどの山林内に続くと思われる。ここから小田船原方向へは国52号のコンクリート側壁として削られてしまっていて消失している。だがこの馬頭観音前まではよく残存したものだ。
 ここから国52号に出て、古い道はないので小田洞門の左側壁の5m上にかつての道があったはずだと思いながら進む。
・小田の道祖神(身延町小田船原)Y-62
 先ほどの交差点から500m北上すると小田船原の善行寺参道入口が左(西)にある。善行寺は700m参道を上った所にある。国52号より5m高い所に集落の道があり、おそらく先ほどの馬頭観音前の身延道からつながってきていた道の名残だろう。国52号に面した参道入口に石塔類7基が立つ。無論移転合祀されてきたのだろう。
国52号より上に旧道がかつてはあったはずだと思いながら、国52号を400m進むと船原の妙正寺参道前に到達する。
・船原の道祖神(身延町小田船原)Y-63
 参道を100mも上ると妙正寺に出る。この寺前の道が身延道で、善行寺参道の途中からここへ山林内を通ってつながってきたはずである。石塔類が並ぶ。石祠「道祖神」、石灯籠、題目塔「天保、天明、寛政、慶応、元禄」等、多数が並ぶ。左隣(南)の家の前か後の道が身延道として善行寺参道の途中につながっていただろう。この地を一里塚とも呼ぶそうだ。
 北へは国52号へ降りていく道以外に、国52号より一段高い家や畑に進む道があり、身延道であろう。その先は山林となるが、残存部はあるだろう。国52号から身延山への県道?へ進む。この辺りで一段高い家と畑がなくなり左側壁が絶壁となってくるので、その手前で昔の道は今の道の辺りに合流してきたのだろう。この辺りから自動車道はそのまま身延道である。身延山入口交差点で左に身延山惣門が見える。

・鏡円坊(身延町梅平) I-64
*(身延山久遠寺関係の僧坊については、街道研究との関係が薄いと判断し未調査にした。)
・身延山惣門(身延町小田船原)Y-65
 1665年建立で、国52号の左(西)にそびえ、身延に着いたことをじっかんさせる。この内に門前町が形成され、山間部を通って来た者にはまるで別天地の繁華街である。
・Y -66、Y-67、僧坊関係
*(身延山久遠寺関係の僧坊については、街道研究との関係が薄いと判断し未調査にした。)
・南谷の道標(身延町身延)Y-68
道路右手上に祀られる。二つに分割されている。割れたのか。「左かふ福道當国鰍沢□之吉」、他に石塔「地神」もある。かふ福は甲府の意である。
ここは南谷と称されるようで、西谷に至る前に東谷への分岐がある。東谷への分岐道を通るのが、近世身延道の延長で、韮崎や甲府に行く西河内路とも駿洲街道とも甲駿街道ともいわれるものである。先ほどの石道標は東谷分岐に元はあったのだろうか。
・Y-69~Y-92、僧坊関係
*(身延山久遠寺関係の僧坊については、街道研究との関係が薄いと判断し未調査にした。)
・日蓮上人草庵跡(身延町身延) Y-93
 西谷に草庵跡が残っている。1274年から1282年まで草庵で生活した。ここより上には高座石といって日蓮が説法をした岩が残っている。
・身延山久遠寺(身延町身延) Y-94
 日蓮宗総本山、1274年、日蓮が西谷に草庵を造ったのが始まりという。1475年に現在地に寺院が完成したという。江戸時代に参詣で賑わった。幾度も火災に遭っているが、再建され、文化財も多い。

 いったん身延山に着いたがその先を補足したい。しかし2000年か01年に甲府市の山梨県教委を訪ね、テキストの全面コピーを許可してもらい、山梨県立図書館でコピーしたものを自宅内で再発見できずにいるので、今のところどうしようもない。いったんしまいこむともう二度と出せないのはよくある話だが、今回のように困ってしまう。こういう文章打ち込むだけでも一苦労で保管資料の整理をまったくする余裕がない。そこで思い出せる範囲でチョコチョコと…。内容は確証もてません。今後再調査できたら書き直しますが、ちょっと再調査する余裕があるやらないやらで…。
・東谷から一里松、杉山を経て下山手前で国52号に合流する身延道
 東谷へ分岐しても商店街は続き、その次に僧坊が列を成す。本堂近道や身延山大学への道をやり過ごしさらに僧坊を過ぎていくと、田舎道となるというか、ここまでもかなり急勾配七曲の坂道である。今の自動車道は七曲に作るが、徒歩や馬を前提にして作られた古い道はこの付近のどこかに残存しているのだろう。おそらく僧坊の境界線や僧坊同士の連絡道になっているだろう。
 僧坊が切れてきた頃、また僧坊があるのだが、身延道の目印になるものなので紹介する。「清正公堂」、町指定文化財。文化年間に作られた物を、文政年間に再建した物である。
 一里松には、かつて数本の大松がそびえていたという。
 杉山には、「姥子の石造物群」があり、五百五十遠忌碑「天保二年」等の石造物多数がある。近くに日蓮が湧き出させたという伝説の泉が大杉の根元にあり、休憩場所だったようである。
 「産児神さんごじ」といって、安産を祈願して柄杓の底をぬいて奉納する風習があり、付近の祠に祀られている。
 他にも古道、遺物、いくつも見られたと思う。そして国52号に合流するのだが、近世や中世の道もここにいたっていたかは分からない。ただ近代初期の甲駿街道はここだったろう。また合流地点のすぐ東の川側に境宮住吉神社があるのでこの辺りは水難に遭いにくい地点だったのだろう。そして合流する所に駿洲街道の記念石碑が立つ。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 14:41Comments(0)古道

2010年01月17日

御穂神社参道(静岡市清水区三保半島)

・御穂神社参道(静岡市清水区三保半島)
 塚間の渡し(塚間郵便局西北西500m)に建て直された石鳥居と常夜灯がある。史蹟紹介看板もあり分かりやすい。ここから東へ旧道を通って御穂神社に至るのが参詣道である。東方面から来る人は興津辺りで船で渡ったのだ。
 西から来る人はというと、駒越の久能道を「二十三夜観音」の所で曲がり、駒越小、キリスト教会を通り京宝院前で今の国道150号線を渡り、今の県道三保街道ではなく、狭い旧道で「瀬織戸神社」前に出る。
その直前に「折戸の渡し跡」の看板が出ている。昔船で渡る三保への西の入り口だったのだ。ここから道なりに2.5kmで御穂神社である。「瀬織戸神社」はやや小高い所にあり、どの程度の津波を防げたのだろうか。古い石造物「供養等」がある。年号は摩滅して判読不能。全体の様子から江戸末期の物ではなかろうか。この近辺で見られる石造物の中では古いものだろう。
というか三保半島には古い石造物、木造物がさして見当たらない。御穂神社の東方面、宮方の微高地に縄文遺跡があり、古くから微高地に人が住んでいたことは証明されるが、付近の神社仏閣で江戸期の物すらあまりない。
 「瀬織戸神社」をあとにして旧道を御穂神社へ、周辺は少しレトロな昭和の風景だ。旧道から話がそれるが、清水南高周辺に神社の祠跡や松並木沿いに目印になるいくつかの「○本松の跡」がある。御穂神社500m 手前で旧道が二手に分かれる。そこに「里程標」があり、御穂神社を指し示している。
 御穂神社にもさして古い物が見当たらない。「御穂神社」で見つけた古い物としては、門前の常夜燈で「天保七年」1836と「弘化三年」1846の2種であった。常夜燈近くの庭の境には古い常夜燈の笠の部分がいくつもおかれていて、もっと古そうだが、笠だけでは年代が分からない。あとは日華事変等戦時中の板碑があった。
 ここから真崎方面を目指す。スーパーの前に表面が摩滅しきった石道標らしきがある。妙福寺は近在では大きい寺で、古めかしい物がある。
 今後神社仏閣墓地でどのくらい古い物があるか年代を調べたらおもしろそうだ。
・神社(伯良、佐久、藤五郎、御穂、瀬織戸、)
・寺(妙福寺、)
・墓地(塚間、折戸、妙福寺の北)
・その他(自治会館、公園、史跡)

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 14:34Comments(0)古道

2010年01月04日

身延街道、岩淵筋

 序文
テキストは、『静岡県歴史の道 身延街道』(静岡県教育委員会)98年を用いた。これを基準として説明していく。テキストによる調査は79年に実施され、再調査を97年頃行ったようだ。これらの本が往時の身延街道と現状を周知させたことは意義深い。そのため基準としてのテキストとして用いる。しかしその後の現状改変や調査研究の進展により、書き換えられるべきことが出てきていることも、後に具体的に述べるつもりである。テキストに記載されていることはなるべく述べないようにしたので、本文を読む際、テキストも傍らにあった方が理解できる。
 また実際に当地に出掛け街道歩きを楽しむのならば、上記のテキストと付属地図の他、ゼンリンの住宅地図で街道筋周辺の掲載部分をコピーして持って行くと便利である。テキスト自体はそれぞれの県立や地域の公立図書館にある。「I-1」等の番号はテキストに即し参照のためそのまま用いた。番号の無いものは私が改めて掲載したものである。私の調査は90年代末と09年12月である。
 古街道の一部が残存している所が随所にあるが、保存活用が図られているのは、木島から風の宮までの部分が東海自然歩道になっているだけである。あとはほったらかしで貴重な価値に気付かれもせず、消失していくばかりになりそうである。将来必ず古街道は城跡や遺跡のように、価値あるものと受け止められる時代がくるはずなので、今のうちに保存策をとるべきである。一旦消失したらおしまいである。また常夜燈や馬頭観音等も将来必ず文化財として脚光を浴びるはずであるので、今のうちできる限り保存を図るべきである。これまた消失すればそこでおしまいである。

・岩淵起点、常夜燈(静岡県富士市富士川地区岩淵舟山町)I-1
旧東海道から岩淵の身延街道への分岐点は、旧東海道を岩淵一里塚方向から北上してきて光栄寺手前で急な下り坂となって富士川に向かい降りていく途中、左(北)に狭いが平坦な道が見える。ここからが身延山道の分岐である。光栄寺門前手前に常夜燈がある。刻銘はない。 
・題目道標(岩淵舟山町)I-2、3
 光栄寺門前に2つの題目道標が並置されていて、刻字に対して向きが変になっている。I-3はもとは北の小山吉津にあったのだが移転してきた。
・妙見宮常夜燈(岩淵舟山町)I-4
 「身支度場I-7」で西へ行く道が妙見宮への参道で、身支度場から50m ほど西に移転し、道標と共に祀られる。
・秋葉山常夜燈(岩淵舟山町)I-5
 身延道より一段下の中道沿いに立つ。周辺は昔ながらの路地裏を残す。
・秋葉山常夜燈(岩淵舟山町)I-6
 新妙寺ごと移転されたようだ。未発見。身支度場の北西の裏山(現:サービスエリア)にあったようだ。
・身支度場(岩淵舟山町)I-7
旧東海道から身延街道へ分岐し、光栄寺門前の題目道標を横目に進むと、ここで一旦行き止まる。もう数軒先まで進めるが、富士川サービスエリアSA(富士川楽座)前で道は消失し行き止まりである。植松氏宅の前に石段があり、これが「身支度場」といわれるもので、旅人が身支度するのに利用したようである。
現状、ここから下の県道に降りて富士川楽座方面に北上する。県道の斜面上で富士川SAの端あたりをかつて身延道は通っていたようだ。
・水神宮跡(岩淵舟山町)
 多分かつての身延道沿いにあったのだろうが、富士川SAにより消失したのだろう。県道沿いに跡としての石碑が建立されているのがよい。
・題目供養塔(岩淵天ヶ淵)I-8
 現在富士川楽座の県道東側富士川崖淵駐車場に祀られている。かつてはこの下の斜面中腹で富士川から眺められる所にあった。船頭たちが川舟から直接見られる所に祀ったのだ。しかし崖の中の藪に埋没してきたので上に引き上げ、駐車場前で川が見られる位置になりよかった。隣には身延道とは関係ないが、富士川の水流を弱めるための「聖牛」という仕掛けの模型が展示され、県道の向う楽座入口には「富士川水運の舟」も展示されている。説明看板もあり、地域の文化遺産を紹介している。またどうも東京駅の模型らしきも県道沿いに置かれていて、各種資料収集や、地域経済の発展と文化の発信地になっていくのはよいことだろう。また楽座を起点として身延道の馬坂峠・風の宮を経由し野田山健康緑地公園までを東海自然歩道として認定しているのもよいことでおもしろい。
・馬頭観音碑(小山)I-9
 楽座を過ぎるとすぐ信号のある交差点になる。ここで川沿いの新県道ではなく、1本左の旧:県道の住宅街の中を行く。ここが身延道であるが、あるいは左の住宅街の裏の1段高い所の道かもしれない。すぐ左手の植松家の前庭にしっかり馬頭が祀られている。10年程前向かいの家で保管されていて、わざわざ見せてもらったが、今は通りからすぐ見えしかも手入れもされていてよい。近所に聞いて回りわざわざ見せてもらうと、あとでしっかり手入れされるようだ。こういう野仏も将来文化財になる価値あるものと認識してほしい。
・秋葉山常夜燈(小山)I-10 
 先ほどの植松家の先で旧:県道から山合いの1本上の道に曲がる。すぐに常夜燈が見える。
・馬頭観音碑(小山)I-11
 先の常夜燈の隣にあるとなっているが、10年程前にもなかったように思うので、消失したのだろう。
 古い身延道は旧:県道の1本上の道を進み松雲寺の先で農道となり木島の前で消失していく。
・馬頭観音碑(小山)I-12 
 旧:県道の植松家数軒先の前庭というか畑に安置される。すでに刻名が見えない。
・馬頭観音碑(小山)I-13
松雲寺前駐車場の旧:県道沿い草むらにある。
その手前、旧:県道から寺に曲がる所に石の道標がある。
・石塔類(西国巡礼塔、「南無阿弥陀佛」、地蔵:宝暦年間)
木島手前で今の県道と旧:県道が再び分岐し、その旧:県道側の脇に石塔がある。おそらく古い身延道も小山の畑のはずれからここを通ったのだろう。この先で木島集落の中に斜めに上っていく道が身延道だろう。一旦上りまた降りて左斜面上に上っていく。
・常夜燈(水神燈、庚申燈)(木島)I-14
 身延道沿い、左の木島公会堂裏の見えにくい所に安置される。
・馬頭観音像(木島)I-15
 道が合流する見えやすいところにある。この上に登る石段は円通寺への参道である。その横には題目塔類がある。
東海自然歩道バイパスコースの説明版がある。平成19年度にここから南に伸びる農道を通り富士川楽座までと、ここから身延道を通り馬坂峠・風の宮に達し、野田山健康緑地公園までの区間が東海自然歩道バイパスコースとなった。木島から風の宮までの身延道が環境省管理の歩道になったのだ。まことに喜ばしいことだ。
・道標(不動道)(木島)I-16
 「不動堂二丁」を示し、隣に常夜燈がある。一旦不動道の奥に祀られたが、身延道沿いに戻ったようだ。
・馬坂峠mazaka(木島~南松野)I-17
 木島集落を過ぎ上っていくとみかん畑の中を進んでいく。コンクリート舗装を過ぎると土道となる。以前は草ボウボウの廃道だったが、さすが東海自然歩道である。通りやすい。ただ周辺は以前同様ゴミ捨て場と化している。道が上りになり、細くなるあたり、以前はあまりの藪に本当に通行できず引き返さざるをえなかったことがうそのようだ。峠といっても山の鞍部(コル)ではなく、山の中腹を通りその一番高い辺りで木島と松野の境の所をさす。ちょうど第2東名の上、または旧県道が松野に入る所の「交通安全石碑」が立ち、急カーブになる所の真上の斜面といえばいいのか。 
・常夜燈(木島)I-18
 第2東名手前の崖が窪んでいる似つかわしい所に常夜燈と地蔵が安置される。本来は第2東名真上の馬坂峠のすさまじい藪の中にあったので、現在なら空中ということになる。つまり峠も本来の安置場所も第2東名上に消失した。しかし似つかわしい代替地があってよかった。しかも欠いていた火袋には新しいものをつけてもらっている。以前第2東名開発のため峠上の樹木を切り倒し下に落としたため、下の常夜燈に当たり藪の中で散乱した。その写真と身延道の現状をアピールし保存してほしい旨をしたためた手紙を、当時の富士川町教育委員会(現:富士市教委)に出した。このように似つかわしく保存され、身延道も東海自然歩道として再出発できるなどとは思わなかった。失礼ながらこの場を借りてお礼を申し上げたい。
・馬頭観音像(南松野)I-19
 馬坂峠が消失し、第2東名の下に回り込む階段道が新たにつけられ、東海自然歩道となっているので歩きやすい。第2東名下を迂回しまた上がると風の宮になる。ここに石塔類や宮がある。
・題目供養塔(南松野)I-20
 風の宮にある。
・風の宮(南松野)I-21
 上記馬頭や題目塔ともども安置される。第2東名開発によってどうなるものかと思っていたが、風の宮公園という名称で展望台が作られ周辺樹木を伐採したので、360度眺められる。以前は昼でも暗かった。ここから古い県道に出るまでの歩道も舗装され歩きやすい。これも身延道である。旧県道に出る所に駐車場と馬坂峠・身延道の説明版が立つ。周辺への周知に役立つだろう。この道は文化遺産、歴史遺産です。また野田山健康緑地公園への標識もある。
ここからしばらく古い身延道は不明となるが、おそらくこの旧県道を通り、南松野に達し、秋葉山常夜燈I-22のある志田運送松野倉庫裏の墓地に回り、望月家陣屋I-23裏の一段高い樹木の植えられている所を通り、血流川を渡ると、吉添・丸崎の題目道標I-24前の身延道に出るものと推定する。
・常夜燈(秋葉山)(南松野根方)I-22
 身延道から旧県道が作られた際移転され、旧県道沿いにある。
・陣屋(望月家)(南松野根方)I-23
 旧県道に向かっているが、おそらく昔は裏が表門だったろう。屋号は「陣屋」らしい。
・題目道標(南松野丸崎)I-24
 旧県道を通り血流川を渡り土手沿いに下ると、すぐ旧県道の1本東の狭い道に出る。これが身延道である。対岸は望月家陣屋I-23裏沿いの土手樹木がある。身延道を進むとすぐ左に題目と馬頭が見える。
・馬頭観音碑(南松野丸崎)I-25
 上記題目とともに安置される。道はまっすぐで舗装されるが、それでも昔の名残を残す。この道は原方の公会堂まで続く貴重な残存部分であり、説明版なり、標識なりを設置し周囲への周知並びに歴史遺産であることをアピールすべきだ。こういった細い道も破壊は1日ですむが、復元するとなれば莫大な予算と手間が必要になる。地元住民に不便を囲って保存しろとはいわないが、その貴重な価値に気付くことなく消失すればそれでおしまいである。少なくとも周知されるべきで、松野の遺産としてふるさと自慢のひとつになればよい。馬坂峠・風の宮同様、何らかの遊歩道として保存活用できないだろうか。
・題目道標(南松野市場)I-26
 身延道から外れ旧県道沿いに保存されている。かつては身延道にあった。
・題目供養塔(南松野市場)I-27
 上記と同場所に保存されている。かつては身延道にあった。
・身延道(南松野原方)I-28
 松野ふれあいセンターや他の道が開発され、区画が整理され部分的に身延道が改変されたが、何とか古い道並は維持している。そしてふれあいセンター北に古い石道標が出現した。
・石道標(南松野原方)
 「右イチバ道 左身延みち」と読みたいが、いかがだろうか。
・水汲み場(南松野原方)I-29
 遠藤家手前の側溝にある。身延道から外れるが次の双体道祖神前の遠藤家西側にもある。
・道祖神(南松野原方)I-30
 双体道祖神で身延道の静岡県側では興津筋の宍原平山に3つ集まってある以外には、当所だけであり、富士川以西では珍しい。旧県道沿いにある。水汲み場や石橋の裏になる。
・石橋(南松野原方)I-31
 石橋が1枚ある。双体道祖神前の道と身延道が交差する所にあるが、これがテキストに紹介されたものかは不明。
・秋葉山常夜燈(南松野原方)I-32
 原方公民館(かつては庚申堂)前にあり、名号碑等と祀られる。
身延道はここで一旦消える。昔は公民館横を通り富士川第二中に至っていたようだ。迂回して旧県道に出て第二中と第二小の間を通り、第二小を過ぎたらすぐ左折する。その向かいの家が望月家で題目塔がある。
・題目供養塔(北松野久保地)I-33
 かつては富士川第二小付近にあったようだが、今は隣の望月家に安置される。庭には別の石塔もある。また第二小入口には古い形式の郵便ポスト、富士溶岩の柱状列石、二宮尊徳像が安置されている。ここで道を西にとる。
・身延道(北松野久保地)I-34
 旧県道より1本奥の路地を西進する。身延道がよく保存されている。途中で二手に分かれ、一方はつくろい場(北松野ふれあい広場)に至る上道であり、もう一方は旧県道を越え有無瀬川橋付近でまた古い県道に合流したらしい本街道である。これも歴史遺産として保存活用されることが望ましい。せめて標識や説明版があるとよい。自治体だけに頼るわけにもいかなければ、松野の自治会内に郷土史好きな面々がいるなら、町おこしとして標識や案内板を立てるとよいだろう。
・常夜燈(北松野清水町)I-35
旧県道と身延道本街道の交差点に立つとされる。美容院の前である。
・馬頭観音碑(北松野清水町ごさわ)I-36
 新しい県道の新有無瀬川橋より上流側の河川敷畑内の道に3箇所石塔類がある。身延道以外の旧道があったものと推定される。もう少し上流側には水神も祀られる。また対岸の河口際の水田に馬頭観音が安置されている。この周辺の屋敷内にも石塔が散見される。有無瀬川河口付近は石塔の宝庫である。
・題目道標(北松野清水町つくろい場)I-37
 つくろい場とは馬の休憩場で馬をつくろったからである。現在北松野ふれあい広場となっている。周辺には馬頭観音、題目碑、道祖神、祠、遭難した高岡姉妹の像などがある。周辺を調べればなお出てくるだろう。
・道標(荒澤不動尊道) (北松野侭下町道下)I-38
 旧県道と有無瀬川沿いに由比に至る県道の交差点にある。由比方向に上っていくと荒澤不動尊に至る。その石道標である。
・甲子堂(北松野侭下町)I-39
 旧県道の秋山魚店裏にある。堂は立て替えられコンクリ製である。中に庚申塔、大黒天像がある。この辺り道は狭く古そうだが、つくろい場からや有無瀬川橋から甲子堂へ直接つながりそうなルートがないので、周辺は区画され直した住宅地と考えられる。
・萩氏居館(北松野侭下町かまえ)I-40
 甲子堂から旧県道を西に行き、1軒先の交差点が立場と考えられる。身延道は北上するが、萩氏居館へは南進する。2軒先の渡辺家が裏門という屋号である。さらに数軒南の家が表門だそうである。そして渡辺家の西に宇佐美家がある。そしてこの道を南進すると松野城山前の神明宮に至る。
・宇佐美氏屋敷(北松野侭下町かまえ)I-41
 萩氏居館の跡を引き継いだので同位置と考えられる。現時点でその系譜を継いでいるのは渡辺家西の宇佐美家のようだ。ただ古いものはほぼないようだ。
・立場(北松野侭下町道下)I-42
 先ほどの旧県道と松野城山前の神明宮から伸びる道の交差点であり、身延道は甲子堂前からこの交差点・立場に進み、北上する道に進む。
・常夜燈(秋葉山・山神社・七面社・不動尊) (北松野侭下町) I-43
萩氏居館(宇佐美氏屋敷)より1区画西で神明宮から岡成の題目道標I-45方向に行ける道筋にあり、身延道本筋からは離れている。またこの道筋に道祖神等もある。
・常夜燈(七面山・秋葉山)(北松野半在家)I-44
 かつては県道富士宮由比線と岡成へいく身延道に続く道の交差点にあったようだ。今は少し北にずれた所の家の前に安置される。
・題目道標(北松野岡成)I-45
 身延道は立場で北上した道筋(ガソリンスタンド横の道)を2軒先で西へ曲がる。この西進する道は半在家の常夜燈I-44が本来あった場所から延びる道である。そして岡成で橋を渡るとまた南進する。岡成の橋の袂に題目道標ある。「ひだり みのふ道」の表示がある。この近辺身延道の残存部である。標識や説明版により周知を図るべきである。南進した身延道は川に沿い旧県道で西に曲がり妙松寺前またはゴルフ場方向に向かう。
・常夜燈(北松野大北町) I-46
 身延道をはずれ、旧県道沿い大北公民館前の妙松寺前を越えた先に竿を半分土中に埋めた形で安置される。
・常夜燈(正八幡宮・秋葉山)(北松野大北町) I-47
 身延道をはずれ、旧県道沿いで新県道に出る前の大北八幡神社前に安置される。
・常夜燈(秋葉山・半僧坊)、道祖神の石祠
 岡成から旧県道を西進すると旧県道は大きく右カーブし北に方向を変える所で、左のゴルフ場に向かう直線路に入る。すぐにまた左斜めに細い道がある。これが身延道と考えられる。進むとすぐ左に常夜燈「秋葉山 半僧坊 明治二十三年 山田村中」がある。もう目の前には妙松寺墓地が見える。その手前に「道祖神の石祠」がある。道祖神前を右にカーブし妙松寺前に達するが、目の前をゴルフ場へ行く道に開削されたようだ。次の題目供養塔I-48のある門前の後背地丘上に、道祖神前から延びていく身延道が上って行ったようだ。門前の後背地丘上の斜面と道祖神前から上がる道の斜面が符合する。昔の門前はもっと上だったはずだ。今の門前より上に上った身延道は、上の門前辺りで左手の墓地に向かい抜けて、墓地左上隅の石塔「妙法□覚酔禅門」または手前の馬頭観音碑 I-50、51前を通って、墓地左上隅の身延道へと向かう。 
・題目供養塔(北松野山田) I-48
 毛通り出発点の妙松寺門前に常夜燈ともどもに立つ。この位置が門前になったのは近代以後と思われる。古くはもっと上のはずだ。
・妙松寺(北松野山田) I-49
 萩氏や宇佐美氏の後押しによって興隆した寺である。曼荼羅、萩殿古城跡之図、愛染明王像、山門といった文化財豊富な寺である。
・馬頭観音碑(北松野山田) I-50
妙松寺南の墓地横に安置される。
・馬頭観音碑(北松野山田) I-51
 妙松寺南の墓地横に安置される。
・石塔「妙法□覚酔禅門」
 妙松寺南の墓地横の道を上ってI-50、51の馬頭観音を過ぎ、墓地が終わって山林に入る所に土に埋まりかかった石塔がある。多分寺の裏門があり、身延道に出られたのだろう。身延道はここから山林内を進み、しばらくは畑の野良道となっているが、畑を過ぎると廃道と化していく。
・台山峠(北松野山田~台山) I-52
 妙松寺から廃道化した道を15分も上り、一旦平坦地に出て本線は左に進み、目の前の下り方向には工場に下っていく古い道跡も見える。右(北)の一段高い平坦地内を十万部と呼ぶようだ。鉄塔のある台山山頂を西に巻きながらゴルフ場のある平坦地に出る。ここから先はゴルフ場で進めない。後方向へ進むと山頂にすぐ出られるが、鉄塔以外ない。かつては山城の跡のようだ。
ちなみに身延道は台山峠から実験場、送り神、峠の一本松を経て、ゴルフ場北西端から下り、毛通りの富士川町(富士市合併)と芝川町(富士宮市合併)の境より100m 東の辺りで毛通りへ合流する。毛通りへ合流してから西に進み町境をちょうど越えた所で平坦地に出て、毛通り自体は南(左、廻り沢方向)にカーブしていく。そのすぐ手前で右(北東)のNHK鉄塔に向かう林道とすぐ向こうにも右(北西)に向かう林道が見える。手前右のNHK鉄塔方向への道(この道は「宮峠 I-70」にもつながるので後述する)をとる。進み出してすぐ道左の草むらの中に小川のような側溝のような切通しが見つかる。推定するに川ではなく、身延道のルートと思われる。ただ今ここは草ボーボーで通れないかと思う。この身延道はNHK鉄塔林道から次第に離れ、先ほどの右(北西)に向かう林道方向につながっていくので、右(北西)に向かう林道を通って行ってもよい。では右(北西)に向かう林道を通って行って500mで車では進入できない狭い歩道となる。歩道を100mも歩くと本来はここで先ほどの身延道の切通し側溝道と合流するのが分かったが、09年12月には草ボーボーでさっぱり分からない。合流は分からないが、歩道左手に高さ5mほどの丘を越える峠道が見える。これが「落合道I-71」である。
毛通りの富士川町と芝川町の境より100m 東の辺りで、毛通りへ合流する身延道」について説明する。毛通りの町(市)境はそれまで崖っぷちの自動車道だったのに、そこだけ平坦な分水嶺になり、来た道も含め全4本の道のH型の交差点になるので分かりやすい。ここから工場(北松野)方向へ100m 戻り、高さ3m程の崖を上る踏み跡を見つけられる。上って左(東)を見ると幅1mの土手が山奥につながっているのが見える。土手を20m進むと切通しの古道の廃道が見つかる。あとは切通しを目印に歩けるところを何とか歩けば、ゴルフ場北西端真下に出る。ゴルフ場境下には動物撃退用の電撃ショック電線らしきが張り巡らされているので、触れないほうがよい。多分触れても死なないしそれほどのやけどもしないのだろうが、痛いことだろう。あとは来た道を戻るだけである。これが近代以前の身延道本道で落合道につながる道である。よく残存していたものだ。標識や説明看板を立て保存を図るべきだ。あるいはゴルフ場手前でUターンする自然歩道としてもよかろう。できれば台山峠のゴルフ場手前で行き止まりになる身延道と、ゴルフ場北西端の身延道までを、ゴルフ場北側境下に距離1.6kmの迂回路としての自然歩道を整備すればつなげることも可能ではある。10年前より通行困難な廃道になっている。歩行距離片道350m。
毛通りを富士川町と芝川町の境より400m 南の巡り沢方向へ下り、毛通りの下の沢の対岸からゴルフ場西端へ通じる身延道
ではこれで古い身延道は終わりかというとまだある。北西端の身延道行き止まりからゴルフ場境を推定250m南に行った所で消失している古道もある。
取り付き口は、毛通りを富士川町と芝川町の境より400m 南の廻り沢方向へ下り、毛通りの下の沢の対岸から上っていく幅1.5mの踏み跡らしきを見つけることである。ヒントは沢が合流する中洲の少し上流で、中洲にはタイヤや赤いラジカセのごみがある所(09年12月)の対岸である。沢近くは踏み跡がぐしゃぐしゃだが、上に行くに従い、かつての道だったものが廃道になっていることが分かる。ゴルフ場北西端の身延道より平坦で幅広で大八車等でも通行可能に道普請(設計・施工)してある。ほぼ尾根伝いに道を平坦に進むよう巻いてある。ゴルフ場西端手前で行き止まりとなる。これまた電撃ショック電線らしきが張り巡らされているので、触れないほうがよい。来た道を戻るしかない。ここから推定250m北に行くとゴルフ場北西端の身延道に出るはずなので、ゴルフ場西側境下に迂回路としての自然歩道を整備すれば、周遊コースにできるのだがなと思う。09年12月歩行してみて10年前よりさらに通行困難な廃道になっている。歩行距離片道350m。距離は推定でゼンリン住宅地図4500分の1をもとに計測。毛通りまで戻ってきて、さてこの古道は沢へ出てからどこへ進んだかであるが、2通り考えられる。1つは毛通りに出て廻り沢に下っていく。2つ目はこの沢沿いに毛通りより下の谷を400m下って廻り沢の田畑に至るものである。2つ目の推定の方が合理的であろう。この身延道の取り付きとしては沢合流地点の尾根そのものにも巻きつつ上る登山道もついている。この登山道の方が急坂で狭く古いと思われ、のちに付近に平坦化した幅広の道を付け直したのだろう。登山道は上り100mの距離で平坦化した道に吸収される。この道も文化財候補として保存活用を図るべきだ。
・題目五輪塔(北松野十万部) I-53
 右(北)の一段高い平坦地内を十万部と呼び、大きな石塔が3基安置されている。
・題目供養塔(北松野台山) I-54
 ゴルフ場のはずれにあったようだが、この題目供養塔、文化14年の白芹句碑、昭和18年の供養塔ともに、次のI-55,56同様東海自然歩道はたご池畔の石塔場に移転している。

~あいせん道~
・題目道標(北松野石塔場) I-55

 東海自然歩道はたご池畔にある。「南無妙法蓮華経愛染明王、ひたりあいせん道」とあり、はたご池からの自然歩道があいせん道である。途中平坦地があるが、そこに愛染堂があり、明治初期に廃寺になったので、愛染明王像を妙松寺に移したという。

~芭蕉天神道~
・道標(北松野石塔場) I-56

 東海自然歩道はたご池畔にある。「右ばせう天神道」となっていて、今はゴルフ場になっている送り神という所から芝川町大晦日おおづもり芭蕉天神社に至る道標である。

~近代の身延道~
・毛通りkedoori(北松野山田~芝川町内房廻り沢) I-57

 明治期に石畳を敷くなど整備され身延道となっていった近代初期の街道。石畳上に舗装され、今でも付近住民の生活道路で自動車が通行する。「けどおり」といえば付近住民に通用する。松野の妙松寺門前から北側の工場まではよく整備され古色はまったくないが、そこから廻り沢までは、初めて利用するとまったく人気のない不気味な深山幽谷の山岳道路にすら感じる。そしてこの道路沿いから近代以前の身延道の残存部に4本(宮峠 I-70、落合道I-71、ゴルフ場北西端の身延道、ゴルフ場西端の身延道)行くことができる。

~芭蕉天神道~
・道標(芝川町内房廻り沢) I-58

 「右ハ芭蕉天神由井道 左ハ松野岩淵村 巡沢望月ふく建立」。毛通りが巡り沢の集落に達したあたりにある。道標から田んぼの中のあぜ道を進み巡り沢川を渡渉して大晦日への町道を越え山林内の廃道と化した古い芭蕉天神道に通じていく。毛通りと古い芭蕉天神道の分岐を示す。09年もう刻字が読めない。
・天神道(芝川町内房大晦日oodumori~廻り沢) I-59
芭蕉天神道は身延道の中でも興津筋や岩淵筋より古いといわれ、今川義元の妻が甲州から嫁ぐときにも使われたという。ルートは清水区由比町北田の旧町役場付近から芝川町大晦日おおづもりの芭蕉天神社を経て廻り沢に至るものである。詳細は『古街道を行く』鈴木茂伸(静岡新聞社)刊を参照されたい。今後このブログであらためて紹介したいと思っているが、仕事も忙しいのでいつになるか未定である。
廻り沢付近の山林内に古道が廃道として残存し、たどっていくと林道を一旦経由し再度山の中の廃道に入り、大晦日最高点のカヤノキのある所に達する。由緒ある芭蕉天神道は廃道になっていても残存し、町道周辺には石仏が散在している。是非説明看板なり標識を立て保存活用をはかってもらいたい。
・馬頭観音碑(芝川町内房大晦日) I-60
 大晦日の町道(自動車道)沿いにある。おそらくかつては古い芭蕉天神道沿いにあったのだろう。
・道標(芝川町内房大晦日) I-61
 「弘化三年 右 由井 左 天神」。ちょうど町道の芭蕉天神社参道の分岐点にある。これ以外にもかつて由比町北田の東海道からの始発点にあった道標も境内手前に安置されている。他にも猿田彦や庚申塔がある。
・芭蕉天神社
京からの奉幣使がこの地の大納言石で亡くなったので祀っているといわれる。馬上の天神という説もある。その大納言は公家の久我家の先祖ということになっていて、かつて寄付名簿に女優の久我美子の名も見えた。戦前お参りブームだったことがあり、由比へ特別列車が出たことがあるそうだ。なお身分の高い者が直接当地を通過することはありえなかったともいわれるので、その使者だったのかもしれない。
・大納言石
 天神社分岐より少し由比方面に町道を行った上に古い天神道と大納言石がある。

~再度、身延道岩淵筋~
・馬頭観音像(芝川町内房廻り沢) I-62

 祥禅寺手前に付近のもの18基を一括合祀している。
・祥禅寺(芝川町内房廻り沢) I-63
 穴山梅雪はじめ穴山家の菩提寺として栄えたが、今は本堂と庫裏だけが残っている。門前の庚申塔は見事である。

~本成寺から塩出の身延道~
・浅間神社(芝川町内房尾崎) I-64

 もとは宮峠に富士宮浅間神社の別宮として建てられた。門前に内房からの道と橋上や塩出へ行く道、付近に瀬戸島に行く道がある。庚申塔や石燈篭があり、町指定文化財である。
・本成寺(芝川町内房尾崎) I-65
 七堂伽藍を配している。浅間神社下にあった題目碑が山門右にある。日蓮や穴山梅雪等が宿泊している。富士宮釜淵(釜口峡)からの道、 内房からの道が来ていて、寺の南から峯・塩出につながる身延道兼七面山及び白鳥山登山道が峯の岡上に延びている。白鳥山登山看板標識があり分かりやすいが、由緒ある身延道であることも説明されるとよい。
・題目道標(芝川町内房峰) I-66
浅間神社、本成寺をめぐり峯への道を上り白鳥山登山道を行くと、山林に入った途端題目道標がある。峯から塩出に行く身延道と七面山道の分岐点に立ち、かつては草に埋もれていたようだが、登山道が整備されたためか、道はきれいではっきり分かる位置にある。「南無妙法蓮華経法界 七面宮 安永二癸巳二月 身延道 願主善入日理」。ここから山道を下って塩出方向の県道に向かい降りていく。道幅1.2m程はもとはあったと思われる。
・石造三面観音立像(芝川町内房峰)、町指定文化財
身延道沿いにあり、馬が転落等するので供養のため建立した。一段高い所の岩に三面観音が安置されている。常夜燈もある。身延道と三面観音についての説明看板がある。山の斜面沿いだが、ここだけ少し広くなっていて休憩場所だったようだが、すぐ横が崩れていて拡大すると常夜燈類も危険である。
・馬頭観音(芝川町内房峰)
 10年前にはなかったように思うので他所からの移転だろう。三面観音を少し下った岩上に安置されている。大分小振りな耳長な可愛い馬頭である。
・馬頭観音(芝川町内房峰)
 10年前にはなかったように思うので他所からの移転だろう。次の題目碑I-67の手前で山林出口の手前である。これも耳長な馬頭で、落合の境川沿い河原付近にかつてあったもののような気がする。「明治十五年一月十八日」
・題目碑(芝川町内房峰) I-67
 峯集落の山から下る身延道と塩出からの河原道が出会う所にある。周辺が刈り取られ背後の沢には砂防ダムが作られ、塩出の県道からも見えるが、車を運転しながらでは発見しにくい。芝川石材作業場の裏である。「南無妙法蓮華経 長遠山本成寺日容建立 維時文政四辛巳歳寄進人足楠金」。ここには説明標識がないがここにもあるべきだ。 
・供養塔(芝川町内房峰) I-68
塩出集落のはずれの県道の落石防止柵の中にあるので見つけにくい。塩出集落のはずれにある。もとは山中沢と境川の合流点にあった。宝永二(1705)年の洪水により境川右岸の塩出集落の35名の死者供養のため建立した。その後塩出集落は境川左岸に移転したといわれる。
もと塩出集落が境川右岸にあったのは日当たりは悪くとも、対岸の今は集落の所が日当たりがよく畑に適していたためである。
・山中沢と境川合流点
 かつては上記の供養塔I-68があったり、塩出右岸の道が通っていたりした他に、明治初期の9年に作られたはずの甲駿街道が山中沢沿いを進みこの地点で境川を渡っていた。証拠に橋脚の跡や道跡としての石垣跡の残骸が残っている。山中沢沿いの甲駿街道は国52号の野下・山口方面分岐点から山中沢に沿い境川まで続いていた。今、国52号が大きくカーブする茶畑と墓地、神社のある山中というかつての集落跡の墓地裏から山中沢に向かい道がついていたようだ。ちなみに国52号の野下・山口方面分岐点近くの山中沢に下りると不法ごみ捨て場と化し沢の横に多少平坦地があって、かつて道があったのかもしれないとは思うが、確たる証拠は発見できなかった。
・題目塔(山梨県南部町万沢境川) I-69
 国52号線から古住田へ分岐する県道沿いにある。4基が道沿い空き地にあり、もう1基は川の巨岩上にある。
興津筋O-61に同じ。かつて甲駿田舎の里山荘のあった所の真下が、境川と国52号、杉山や古住田に向かう県道の合流点である。ここの空き地に石塔4基が立つ。境川の大石上にも1基立つ。この空き地の30m奥には石階段があり上ると墓地である。かつてここに旅籠屋甲州屋、両国屋があったのでその関係者の墓だろう。石塔を立てたのも旅籠屋である。今は誰もいない所だがかつては集落だったのだろう。この付近には小葉山集落(今は廃屋のみ、金山神社がある)もある。かつては賑わったのだろう。

~身延道岩淵筋~
・宮峠(芝川町内房巡り沢~落合) I-70

 宮峠は松野からの身延道が内房に下るもっとも古い街道とされる。
行き方は「台山峠I-52」の記述を参照してほしい。その続きから記述する。町(市)境の毛通りH形交差点から右(北東)のNHK鉄塔に向かう林道を進む。鉄塔のある辺りで林道が終点となる。尾根が2本あるので鉄塔裏の東の尾根に取り付く。10年前途中まで歩くと山仕事をしている老夫婦に会い話をした。浅間神社や宮司の家があったことは知らないが、宮、宮峠、殿畑といった地名は残っているそうだ。残存部はまったく確認できなかった。
・落合道(芝川町内房巡り沢) I-71
 「台山峠I-52」の記述を参照してほしい。その続きから記述する。町(市)境の毛通りH
形交差点から右(北西)に向かう林道を通って行って、狭い歩道進み、左手に高さ5mほどの丘を越える峠道が見えるので越す。廃道とはいっても草木がなく杉檜の植林地の中を切通しがきちんと見渡せ、迷うことなく進行できる。歩きやすく以前より石ころが減ったようだ。どうも手入れをする人がいるようだ。下り坂が緩やかになった、ちょうど中間地点あたりで「馬頭観音」がある。「大正二年九月二十三日」。テキストでは林地の境界で柿の古木があるとの記述があるが、10年前にも杉檜植林地の薄暗がりの中で境界も柿もなかった。この辺りから平坦な段地があり、かつては畑や住宅の跡かと思われる。もう少し下ると10年前にはなかった、左手に明るく手入れされた空き地が見える。廻り沢祥禅寺方向へ向かう道の取り付き点であろう。左へ向かわずこのまま道を直進し降りていくと、道はかなり手入れされ歩きやすくなっている。普段使っている人がいるようだ。その人が先ほどの土地を手入れしているのだろう。沢の横を降り切ると目の前に水田とその先に内房保育園がある。せっかくの古道・身延道は文化遺産としての価値があるので説明看板や標識を立て周知を図り保存する必要があろう。自治体がすぐできる予算がなければ、地元自治会の郷土史好きな人たちがボランティアで動くといいのだろうが…。歩行距離片道1km。

~釜口峡の身延道~
・釜口峡(芝川町内房瀬戸島) I-72

 県道改修により付近の題目塔類も集められ一括合祀された。かつて吊り橋があった跡は残存していない。なお繰り返し県道や川岸が改修されているので、昔の様子は分からない。しかしこれだけの石塔類を保存してあることはすばらしい。
・道標題目碑(芝川町長貫釜口峡) I-73
 少し場所は動いたが上記の通り一括合祀された。
・題目碑(芝川町長貫) I-74
  上記通り移転一括合祀された。
・題目供養塔芝川町長貫釜口峡) I-75
 上記通り移転一括合祀された。

~橋上の身延道~
・板碑

 八幡神社上の現県道から参道に入る所にある。
・題目碑(芝川町内房橋上) I-76
 三十番神参道を少し上った所の右にある。「南無妙法蓮華経法界霊 橋上山寛妙寺□延四未歳五月吉日 十九世日□立主」。きれいになっていて法界の下に霊の字が見える。この辺り参道の道幅は1.5mある。
・道標(芝川町内房橋上) I-77
 三十番神参道をかなり上った標高250m付近の右にある。もう少しで三十番神の祠がある手前である。「妙法 右まんざわ 左やまみち 文化十三丙子六月日 橋上山日通立之」。ここから万沢方面に向かうと廃道であるがふみ跡らしきは途中までついている。標高250~300mを平行移動していき上り下りは少ない。500m進んであきらめて引き返す。ちなみに万沢の県道大沢橋付近にこの道が下りてくるはずなので、橋近くの「猟銃禁止区域 山梨県」という標識の辺りから山に取り付く。尾根付近に踏み跡があり、途中石垣もあり、かつて何かを祀っていたか畑か住宅があったと思われる所もあった。さらに上に踏み跡はついていて標高250mより上に行く道がかつてはあったと思われる。おそらくこれが万沢~橋上の身延道の成れの果てだろう。 
・富士川水運祈願石塔(芝川町内房橋上八幡神社境内) I-78
 八幡神社境内にあり、橋上村船頭衆が建立。「明和二乙酉歳 奉納 御寳前当村船頭中 十二月大吉」。他に朽ちた石塔がある。水準点が鳥居内の境内にあり、本殿目の前を主要道が通過していたものと思われる。本殿を過ぎるとすぐ道は直角にカーブしこの上の山の三十番神の万沢道につながっていたものと思われる。神社南の畑と今の県道の間に旧県道らしき平坦地があるようだ。そこから神社に道が延びていたのだろう。

~落合から塩出の身延道~
・旧塩出村道(芝川町内房) I-79

 どうも内房郵便局付近から山に上り今の本光寺の右手の茶畑内付近の旧本光寺を登り、河原の上の山沿いに移動し河原に近い落合の天神という所に出て、これまた低い位置の天王という宮まで進み、そこから山越えして塩出右岸の今の畑地に出ていたようだが、直接たどることはできない。ただ付近を探索したければ長田橋手前の落合のJAから境川土手を進み畑の向こうの林の中へ進む。川からは相沼の吊り橋があって河原に道がついている。この道を伝って山林内を上っていける。多分天王からの山越えと重複する道かと思われる。塩出方向に下りだした途中で踏み跡がなくなる。多分道がしっかりついていれば下れたのだろう。
 10年前JAからの土手沿いに明治期の馬頭観音があったが今回見つからない。しかし峯~塩出の身延道沿い「題目碑I-67」の付近にあったもののような気がする。なお吊り橋からの道が山林に入る前になお境川土手に進む道もあり、土手に達すると行き止まりになるが、その手前に「馬頭観音」の文字碑がある。
・内房の古地図(芝川町内房塩出) I-80
 遠藤家所蔵。「松野村境~字廻り沢出 七百四拾五間 字廻り沢出口~字境川橋(現長田橋)全長二百七拾三間」。ということは松野境から廻り沢まで1.3kmで、廻り沢から長田橋まで500mである。記録者は明治17年没である。松野村境はどこなのかであるが、今の芝川・富士川町境を適用して国土地理院25000分の1地形図で計測してみる。毛通りが廻り沢の水田に達するまで約1.5km、落合道で祥禅寺に達するまで約1.25kmで、どうも落合道を使っているようだ。この時期毛通りはなかったのか。ゼンリン住宅地図3000分の1で長田橋から内房小学校南の橋袂までを計測すると、約510mだった。

*テキストに関しての感想
テキストのI-55から80にかけては一見するとルートをはずれて説明されているかのように感じるが、途中で分岐する支線ルートやもっと古い道、あるいは近代初期の道をその都度説明しては、また本線に戻るという仕方をしているのでこのようになる。『古街道を行く』でも同様である。だが初めて説明される人にしてみれば、どこで支線に分岐し、いつ本線に戻ったのか、また時代区分によってどうルートが変更されていったか分かりづらいので、一旦本線をすべて説明してから、あとで項を起こしてどこからどこまでの支線であるかや、時代によるルートの違いを明確にして、支線ごと時代ごと区分して説明していく方が分かりやすかったろう。
  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 19:31Comments(0)古道