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2009年04月26日

石神峠、静岡県芝川町~山梨県南部町、西沢峠

   石神峠、静岡県芝川町上稲子大田和ー山梨県南部町柿元
 芝川町富士川沿い身延線稲子駅前から稲子川沿いに北上、地蔵堂バス停、地蔵堂橋前に「白水山→」の道標あり。それに従い西側林道を上るとまた「白水山→」道標あり。登山道に入る。上っていくと石塔と墓があり、裏へ上ると杉林の中へ入る。しばらく斜面をジグザグに登る。突然幅1mの道に出る。これが旧道、由緒ある道で普請を繰り返したとおぼしき室町期以来の道である。→①
 地蔵堂の「白水山→」道標を無視し、さらに稲子川を北上する。1kmで次の集落、門野に至る。「白水山→」の道標が西側斜面に上る林道を指している。上っていき、数箇所の「白水山→」道標に従うと、林道が切れ、廃屋の所で登山道になる。幅1mの道を登って行く。少し登るともう一方の上り口と出会う。これが地蔵堂からの道である。
 →①こちらの旧道をさらに登っていく。道は斜面に対し巻くように作られ切通しになっていて、急斜面にならないよう勾配が緩やかである。30分かけ、標高差150m、距離1km上ると頭上に白いガードレールが見え雑草茂る斜面の登山道から上の林道に出る。ここが県境の石神峠、標高480mである。左側、南尾根へ「白水山→」の道標がある。距離2.5km、標高811m白水山である。多分歩行時間70~80分だろう。この県境尾根の山行記は静岡労山のものを参考にできる。
 さて話を石神峠に戻す。林道脇塀上に数基の石塔が祀られている。立派な石塔もあり見ごたえ十分、他に破損した物もあり、古くから幾代にもわたり祀られていたようだ。説明看板も立てられている。室町期に甲州佐野の住民によって作られた馬も通れる峠道であったことが分かる。ここから真下の集落・柿元に下る旧道もあるはずだが未確認。この峠道、林道開設や林道直下が雑草に覆われそうで廃道になるのは時間の問題、旧道を楽しめるのも今のうちだろう。
 林道「石神峠線」がこの石神峠を通っている。この林道は、門野より1km奥の落合集落、三叉路を左折、西沢方面へ、2kmで左折石神峠方面へ、(ちなみに直進道は1.5kmで西沢にて行き止まり。西沢から南部町下野に至る西沢峠またの名をナタノ峠登山道があるはずだが未確認。) 峠のかなり手前で林道は登りきってやや下りながら石神峠に出る。距離西沢分岐より3km。県境尾根を切り通すと西斜面に沿って下る。ちょうど天子湖の東を北に向かう。下りきると、湖より北の佐野川を橋で渡り山梨県道に出る。峠から距離3km。
 地図1/25000「上井出」

 石神峠~柿元の旧道・古道、現在・山梨県分収林の歩道。石神峠の山梨県側をひょいと覗くと、幅1mの下る登山道がある。幅は十分で緩やかなので歩きやすい。馬道の名残だろう。上を見ると林道のガードレールが見える。林道の下を旧道が通っている。500mほど進むとまだ新しいコンクリ製石垣で崩れかかる路肩を補修してある。今でも使われている道のようだ。300mほど進み樹間から天子湖の湖面が見えるようになると、さらに道なりに直進するやや狭い道と、下に下る道の分岐に出る。下に行くのが柿元への道で、直進路が佐野への古道である。佐野への道はおそらくこの先、天子湖や林道で消滅しているだろう。現在ルートとしては柿元コースをとる。七曲りの道を下るとさらに下る道とダムへ向かう平坦路に分岐する。下り道は少し下ると湖面のごみをダムに近づけないためのフロート(浮き)を固定している所に出て、道は消失する。ダム開設以前、谷に下り柿元へ向かう旧道の名残だろう。平坦な道はやや道が破損しているが楽に歩ける。ダムの堰堤上に向かうので、ルートとしてはダム開設以後の新道であることが分かる。ダムの堰堤を渡る。あまりの高さというか、高所恐怖症なので自分の足元がしびれてくる。渡った先に柿元集落があり、柿元の町道に上がりきる所に古道の登山道らしき七曲りの道が下っていくのが見える。先ほどのダム開設以前の谷に下る道と接続していた古道かもしれない。(’09,4/26)
 ・西沢峠(ナタノ峠)
 石神峠の尾根伝いの3km北に、西沢から南部町下野に至る西沢峠またの名をナタノ峠がある。登山道に行くには、落合から林道で丸目滝に出て、直進道(または右の道ともいえるか)をとる。1.5kmで西沢にて行き止まりだが、その400m手前の右に廃屋と左に別荘(フミオハウス)らしきが見える所が出発点のようだ。別荘の右(北)に山に上る登山道があり、鳥獣保護区の標識もある。沢を右に見て数分上ると今度は左(南)に鳥獣保護区の標識があり、一本南の沢沿いの道に換え、沢を左に見つつ数分進む。急斜面の狭い沢沿いの道で破損がひどくなり、進む情熱も根性も無く引き返す。あと距離100m、標高差30mだったのだろう。(’09,4/26)

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 21:14Comments(0)石神峠

2009年04月01日

・東海道(静岡市清水区入江交差点~清水区草薙)

・東海道(静岡市清水区入江交差点{入江二丁目、入江南町}~清水区草薙)
 入江交差点は東海道と久能街道が分岐するところである。東北に進むとすぐ巴川に架かる稚児橋に出る。橋を渡ればすぐ江尻の宿である。
 交差点を南西に行くのが久能街道(別項参照)である。ここにかつてあった石道標の台石についての説明板が貼られている。交差点から数軒目にかつて八百屋(三浦青果店)があったはずだが今はない。これが漫画家さくらももこの実家だったはず。ということは漫画「ちびまるこ」の家である。
 交差点を起点に東海道を西進(下る)する。左5軒目に「法岸寺」入口となる。朝顔日記のモデル・深雪の墓がある。古い石塔類もある。「法岸寺」裏手に「栄町公園・入江八幡神社」がある。これがちびまるこの遊び場の神社のはず。
右12軒目に「東明院」入口。さらに右6軒で「慈雲寺」入口である。左三つ目の角にはかつて「みつや菓子店」があり、ちびまるこまんじゅうを売っていた。焼き饅頭でちびまるこの顔を焼印してあり、中身は黄身餡であった。テレビアニメ「ちびまるこ」’91~の第一期シリーズで、オープニングテーマ曲とともに映るみつやという店は、これがモデルである。もう十数軒進むと広い道(県道入江富士見線)に出る。すぐ左手に「さくら幼稚園」が見える。もうお気付きだろうが、さくらももこの名はここからとられている。
広い道を渡り進み左三つ目の道の先に入江小学校の北入口が見える。さくらももこやJリーグ・清水エスパルスの長谷川健太の出身校である。二人は同級生で漫画のキャラ・ケンタは無論彼だが、同じクラスになったことはなく、まったくかかわりはなかったようだ。
ちなみに私は漫画キャラ・まるこの親友たまちゃんのモデルと同じ職場に1年いたことがある。彼女の話では、彼女の丸めがねは高校からであり、花輪君は確かに金持ちだがあそこまでではない、はまじなどもあそこまでずっこけてないなどであった。そしてたいてい実在のモデルや体験があり、漫画ではかなりデフォルメしているという話だった。これは第一期シリーズでのことだ。その後は架空話になっていく。はまじは本を2冊出版していますね。1冊は読んだことあります。何やら庶民の哀歓が出ていました。近所の評判では、まるこの父・ヒロシは本物そっくりだとか。
入江小東入口には周辺観光マップが設置されている。入江小北入口から1ブロック進むと左に古式ゆかしい「追分羊かん本舗」が見える。ここの先代の経営者は郷土史家で有名な府川松太郎である。その店先に立派な石道標がある。ここから左に入る細い道が「しみず道」(別項参照)である。右の道は渋川道という。200m進むと右に「延寿院」があり、文化財である室町期の様式を残す本堂が古式ゆかしい。裏側に春日神社がある。本来はもっと南にあったのだが道路建設で移転した。
街道に戻り、付近左に「都田一家供養塔」がある。戦後昭和に府川松太郎が立てた。森の石松を切った都田一家(通称、都鳥)を、ここで清水次郎長一家が切り殺したといわれる。
全国的に見れば、「ちびまるこ」も「清水次郎長」も作り話だと思われるだろうが、初期の「ちびまるこ」はかなり作者・さくらももこの現実生活が反映され、侠客「清水次郎長」は実在し、郷土では英雄である。ただし「清水次郎長」は、道を通ると事前に知られただけで、付近の家々が雨戸まで閉めたといわれ、周辺住民は怖がったようだ。しかし筋をきちんと通している堅気の者に直接嫌がらせをすることはなかったようだが。
 供養塔からさらに進むと、大沢川に架かる「金谷橋」に出る。由来が書かれていて、東海道の道しるべもある。昔牛は橋を通らず横の土手を下りて川の中を渡ったので橋の横を「牛道」といった。安藤広重「東海道五十三次」の「江尻」の絵は、この辺りから描かれたものがあるようだ。
 橋を渡り進むとすぐ右に広い道がある。右折して50m、お堂と小さな池、厄除地蔵がある。「姥が池」である。乳母と赤ちゃんの悲話、災難から救われた男の話が伝わる。昔は松の大木があった。この広い道を150m進んで左に入ると、「達磨寺」がある。’70創建で修行の寺である。
 街道に戻り西進する。踏切を渡る。この踏切、JR東海道線と静鉄線が通り下手すると、いやうまくすると両線の上下線計4本の通過を見られる。500m進むと坂の上の土手に「久能寺観音道」(別項参照)石道標がある。その20m手前左に細い道がある。これが久能寺観音道である。
この土手で右折して静鉄狐ヶ崎駅の裏・北に向かう。線路の向こうに森があり、「吉川八幡神社」である。山口県岩国市吉川藩主の出身地の神社である。ここの地名が吉川でここの地侍から出世し大名になった。旧鳥居は静岡市地域登録文化財(石造物)第一号である。吉川氏ゆかりのものはもっと北の吉川中心地に館跡説明板、吉川氏発祥の墳丘がある。また土手の左を進み大型スーパーと自動車学校の上に「聖一国師堂」がある。
 もとの土手に戻り進むとすぐ先の池の前に、「東海道の説明板」がある。200m進むと左に「上原地蔵堂」があり、江戸幕末官軍と幕府の話し合いが行われたと説明されている。もう200m進むと左に有度十七夜山千手寺で石塔類が多い。
 400m進むと南幹線に合流する。50m進むと右スーパー駐車場前にたぬきの置物などと一緒に一里塚跡碑と説明板が設置されている。
 南幹線を進むが、一説には左奥の南幹線に平行する路地が東海道だともいわれる。ただしこの道は途中で消失する。
 草薙と草薙三丁目の境の道で清水第七中学校前に「草薙神社参詣道」(別項参照)東側入口の説明板がある。左折し南を目指すのが「草薙神社参詣道」である。中学の前で南幹線沿いのお宅の裏を通るのが東海道の名残ともいわれるし、その可能性はあるが、現状通れない。
 中学を通過した次の左で南幹線より一本南を平行している通りに入れる。おそらくこの道こそが旧東海道だろう。150m進んで橋を渡った右の自治会館に「水準点」が設置されている。これは国道や県道などの主要道にあることが多く、あえて裏道につけることは少ない。ということはこの裏道が主要道なのか。20m進むと南幹線に大きな鳥居があり、「草薙神社参詣道」を示す石道標も設置されている。今南幹線沿いにこれらが設置されているが、旧道から移転したのだろう。
西進するとこの先広い道の前で、道はガードレールを挟んで断絶する。しかしルート自体はそのまま西進していくのが分かるので、回り道して向こうの西進路に行く。おそらくこの辺りに昔の「草薙神社参詣道」西側入口があったのだろう。この南250mで「ひょうたん塚古墳」がある。西進する街道を300m行った先右に「鳳林寺」があり石塔がある。300m進むと「閻魔坂と仁王」説明板がある。ここは閻魔坂である。すぐ先左に「東光寺」がある。寺の裏側に「熊野三柱神社」と「谷田宮古墳」、その先には「やぶきた原樹」、さらには県立図書館、県立美術館、静岡県埋蔵文化財調査研究所、県立大学がある。
 「東光寺」を過ぎた次の交差点は左に「平沢観音道」(『古街道を行く』鈴木茂伸等参照)、右に「龍爪街道」(『古街道を行く』鈴木茂伸参照)である。右奥には「津島神社」と石塔類のある「普済寺」がある。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 00:38Comments(0)古道