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2012年02月05日

美和街道

美和(足久保)街道
・分岐点
 安倍街道の籠上・昭府・平和町の境目から美和街道(県道大川静岡線)は分岐する。街道は町境とも一致しているのであまり昔から変わっていないのではなかろうか。
 籠上から安倍口を経て、足久保、さらには栃沢、大川を結んでいた街道である。
 足久保地内では河原を歩いたと記され、古い絵図でもそのように描かれていてきちんとした道ではない部分があったようだ。河原道の雰囲気をとどめるのは谷沢の足様神社前の参道である。
 美和街道の途中途中にある集落から別集落に至る枝道も順次紹介するようにした。かなりの数の峠越えの道がかつて存在したようだ。
・狩野橋
 近代に作られた橋で、渋滞で問題になることが多かった橋である。橋を渡り終えると安倍川西岸の道(県道梅が島温泉昭和線)と合流する。
・供養塔(西ヶ谷)
 西ヶ谷の辻にあって分岐を示す。「庚申供養塔」、地蔵3基。
・七社神社(西ヶ谷) 
 供養塔の少し北にある。本殿、拝殿、堂、鳥居、家型道祖神か祠、祠、黒い溶岩4つ、手洗鉢の水は常に出ているので湧水らしい。
(枝道)・西ヶ谷と慈悲尾の増善寺との峠、乙女峠、乙女坂または跡見坂
 電線巡視路で安倍城址コースとなっている。峠は高圧鉄塔があり、上り下り各10~15分で麓と峠を結ぶ。西ヶ谷
・安倍城
 南北朝期、南朝方の有力武将、狩野介貞長の山城の居城。南に久住砦、北に内牧城等を従え、一大城砦群だったことが分かる。なお普段武将が山城に住んでいたわけではなく、非常時に使われるもので、普段は麓の館に住んでいたはずである。館は結城寺のある内牧周辺と考えられる。
・内牧城、古墳
 安倍城の枝城。結城寺の近くで現在茶園となっている丘である。
・結城寺(内牧)
 開基は工藤祐経(曽我物語で知られる鎌倉期の武将)と謂われる。古びた2基の五輪塔があり、彼または貞長の墓と謂われるが、はっきりしない。周辺はベッドタウンと化した郊外地だが、ひとたび山門内に入ると、しっとりした山の中の古刹という雰囲気が味わえる。なぜ開基が工藤祐経なのかという理由もはっきりしないなど、歴史的にミステリアスである。
・狩野介貞長墓(内牧)、板碑、地蔵2体他
 大正七年に記念して建立されたようだ。この近辺に彼ら一族の館もあったと思われる。他の石造物も置かれている。
山の突端部のこの場所から内牧と足久保境の尾根が電線巡視路になっていて登っていけるようだ。
・宇知ノ宮神社(内牧)
 丘の上にある。とくに古いものはなく、樹木も数百年というものはない。だが狩野貞長との関連性が指摘されている。この丘陵は北側の削られた山に接続していたのだろう。
 「内牧」の地名の牧は古代大和朝廷における官営牧場(軍用馬)の意とされ、「牧が谷」の牧と同様に考えられている。
(枝道)・内牧と新間の峠道
 通称「嫁っ子道」と謂われたように、両村の婚姻で使われ、里帰りにも使われた。内牧奥の西から新間一色に抜けたようだ。片道1時間だったという。現在通行できるか不明。
(枝道)・内牧、八十岡と水見色、新間の峠道
 単純に今の道に置き換えれば、高山市民の森ハイキングコースと重なる部分がある。高山の南の峠(鞍部)を境にして上り下りできたようだ。この峠から南に行けば新間にも出られたようだ。以上4地点が山の中でつながっていたのだ。現在の地形図でもある程度確認できる。ただしハイキングコースからはみ出た部分が、現在通行可能かは不明。
 現在のハイキングコースは八十岡から高山、水見色から高山がコースである。内牧から八十岡コースに接続できるか不明。新間から沢沿いに高山への林道に接続できるか不明。
・神明宮(与左衛門新田)
 馬頭観音らしき石仏あり。
・姫不動、供養塔(安倍口新田、安倍口小学校東側、安倍口公民館)
 お堂、庚申塔。
・熊野神社(安倍口新田)、樹齢500年程度の常緑樹あり
 昔の堤防沿い内側にあり、その外側が安倍口団地で昔は川原だった。神社に樹齢数百年にはなろうかという相当な大木があるということはここは流されない所だったということか。今は熊野神社だがかつては水神なのだろうか。
・祠、2基(与左衛門新田、「楽寿の園」土手下)
 何を祀っているか不明。
・河津桜植林(与左衛門新田、楽寿の園から松崎の美和街道と土手が合流する地点まで)
 近年、土手下にピンクの河津桜が植林されている。2月後半に咲く。
・はるな地蔵(はるなさん)、庚申供養塔(寛政)(中ノ郷)
 中ノ郷の丘陵先端部を削岩してグランド状にしたその先端部に祀られている。かつては山の上にあり、「じぞうはな」といわれた。人の鼻に似ていたからだという。災害予防とくに水除けとして祀られたようだ。今でも月1回おまつりをしている。隣に供養塔数基がある。
・大仙寺(中ノ郷)、庚申供養塔、水子塚、巡礼秩父34所廻り
 石塔(数基)の年号が安永(1700年代後期)のものがある。
(枝道)・中ノ郷と足久保の峠
 中ノ郷から裏山を上り、内牧から来た道と合流し諸川に下れたようだ。現在同じコースを忠実にはたどれないだろうが、裏山の尾根は電線巡視路になっている所があり、現在ある程度歩けるようだ。
・白髭神社(中ノ郷)
 小塚ヶ谷公民館隣、裏山を20m上ると朽ち果てた祠の奥宮がある。100m東に庚申供養塔数基がある。
・  神社(中ノ郷)
 第二東名高架をくぐり道路の行き止まりに鳥居がある。なんという神社名かは不明
・松崎山
 昔この辺りに安倍川を渡る賃取橋(有料)があった。今は第二東名の橋が開通間近である。
・松崎天満宮
 祠が祀られ、近年小さいながらも神社となった。
この先に松崎橋を渡ると足久保の地である。橋対岸先に美和中学(女優:酒井美紀出身校、実家が足久保だそうである)が見える。かつてそこは河原だったようだ。
○庚申塔について(「郷土美和」より)
 地区:年代、奥長島:不詳、口長島:1916・大正8年、谷沢:1810・文化10年、相沢:1695・元禄8年・他5基、栗島:1980・昭和55年、敷地:1727・享保12年、舟沢:不詳、神明原:1845~50年頃・流出天保年間、八十岡:1916・大正8年、遠藤新田:不詳、小塚谷:1822・文政5年、安倍口新田:1822・文政5年、内牧:1858・安政5年、西ヶ谷:不詳、
(枝道)・足久保諸川と内牧、中ノ郷の山越え峠道
 内牧側からはすでに廃道で道が不明となるが、諸川の舟渡池(諸川池)奥に進む林道諸川線を詰めて行き止まりまで進む。あとは徒歩で沢奥を進む。国土地理院2万5千分1地図では沢の右(北)を上ることになっているが、すでに廃道である。しかし沢の左(南)にテーピングがあり、電線巡視路となっている。この道を上り詰めると中ノ郷や内牧、足久保をつなげていた尾根沿いの山道に至る。尾根上も巡視路で少し切り通しになっている所もあり古い道が残存してもいたが、内牧に下る古い道はないようだ。ただ尾根沿いの廃棄茶畑にモノラックの錆びたレールが見られ、内牧側の麓から上っていくモノラックの錆びたレールも確かにあったので、このレールを頼りに藪をくぐれば山越えはできそうだ。藪好き、廃道好きな方だけどうぞ。なおこの電線巡視路の尾根道は北へ松崎、南へ狩野貞長墓や駿府学園、西へ高山や新間へとつながっていくのではないかと思われる。
・諸川池(舟渡池)
 堤防により仕切られた溜池のようだ。個人所有で勝手に立ち入れない。私が冬に見たときは水が抜かれてほぼ水なしだった。
・足久保交差点の板碑(忠魂碑)美和中学校前
 今の美和街道(県道大川静岡線)はここバス停:美和中学前で左(西)折する。直進する県道梅が島昭和線は近代の道で、油山方向に向かう近代以前の道は、足久保の山越え道であった。具体的には栗島峠、湯の島峠(東海自然歩道)、舟沢集落からの山越えなどであった。
・足久保口組札の辻の石道標
 県道が右左に蛇行する地点の理容店と酒屋の間に古色ゆかしい石道標がある。 
刻字がすでに読めないが、安倍七観音の法明寺への行き先を示していたようだ。
・地蔵、庚申供養塔;昭和五十五年(神明原公民館、新光明寺隣)
 左に八十岡橋があるが、新築の橋で以前の橋はもう少し先を左に曲がった所にあった。その地点は少し先に左折しながら堤防で道が消失する不自然な所があるので分かる。美和街道からそれて八十岡集落を目指す。八十岡への橋を渡って新光明寺を目指す。手前公民館に地蔵や庚申塔が安置。
・新光明寺(足久保口組神明原)
 馬頭観音;近代…見事なできばえである、双体道祖神、五輪塔2基、石塔2基、寺は元伝馬町にあったが類焼し、昭和46(1971)年当地転居。
・かさもり稲荷(新光明寺隣)
 謂われの書かれた看板が祠前にある。新光明寺裏門前にある。
・地蔵堂、石塔類(八十岡公民館隣、福寿橋袂)
 八十岡橋から道なりに八十岡集落に入ると右に地蔵堂がある。付近の橋袂にも供養塔がある。
庚申供養塔;大正九・享保十二・不明、石塔、畜生供養塔;新しい、巡礼供養塔
・団子石(八十岡林道奥)
 集落はずれから2km林道を奥まで詰めるとある。高山市民の森登山口。
・地蔵堂(足久保口組舟沢)
 美和街道に戻る。舟沢集落内の右の旧道に入る。地蔵堂が右にある。すぐ先で拡幅された現県道に合流する。先右に寺が見える。
・南叟寺(足久保口組舟沢)
 県道からの参道沿いに石塔類がある。「南無阿弥陀仏」:元禄、葷酒入山、庚申、地蔵×2、石塔。
・浅間神社(足久保口組舟沢)
 南叟寺を過ぎ小さな川を渡るとすぐ右に集落内路地があり、その先に小さな神社がある。「静岡市指定天然記念物:いろはもみじ」の大木がある。この奥の沢沿いをかつては道があり、油山の「下」地域に出られたようだ。
(枝道)・舟沢と油山の山越え道、油山道・回状道
 舟沢集落奥の沢を詰め山越えしたようだが、現在通行できるか不明。
12年1月2日、油山下地区を沢沿いに奥に詰める農道がある。途中で西に折れるがすぐにすさまじい藪となる。通行不可。そのまま直進する道も堰堤手前で登山道となり、すぐに廃道でルートは不明。
・庚申供養塔:享保十二(足久保奥組敷地)
 街道に戻り、飛沢橋を渡る。敷地集落である。法明寺参道は右の村前橋を渡るが、その地点を左折し、山に突き当たる所に庚申供養塔:享保十二がある。昔からここに安置されていたかは不明。多分移転されたものと推定する。法明寺目指し村前橋を渡る。
・山神社(足久保奥組敷地)
 川沿いの参道右奥に小さな神社がある。
・石塔類(足久保奥組敷地)
 川沿いの参道が急に山斜面に取り付き急坂になる地点にある。当国十七番三十一番、西国三十三所巡礼供養塔:安永六、□国□六十六部供養塔:明和七、地蔵×2。
・法明寺(足久保奥組敷地)
 安倍七観音の一つ。行基が来たりて木像を彫り安置したと伝わる。また木像を七箇所に安置もし、それを安倍七観音という伝説がある。
七箇所…法明寺、増善寺(慈悲尾)、建穂寺(羽鳥建穂公民館及び建穂神社、今は廃寺で寺がなくかつてあったのは建穂神社周辺で寺の遺物は公民館にある)、徳願寺(向敷地)、平沢寺ヘイタクジ(平沢ヒラサワ、平沢観音ヒラサワカンノン)、霊山寺(清水区大内、大内観音)、鉄舟寺(清水区村松、久能観音、旧名は久能寺、かつては久能山東照宮地にあった)
街道に戻る。
・硯水泉の石碑類
 足久保小学校の先に、硯水泉の石碑類多数がある。今はまだ新しいので郷土史的には取り上げられないだろうが、将来のことを考慮し今一応取り上げておく。硯水泉はこの地で霊力のある水が近年出たということから、商品化されたものである。隣には温泉の湯権現もある。
・天満宮(足久保奥組栗島)
 栗島の家の裏にある。常夜灯×2、丸石。
(枝道)・栗島峠(湯の島峠)H450m 
 橋を渡り、沢奥を詰めると行けるはずだが、道の整備具合は不明。集落内峠道入口道端に「馬頭観音」(上下2つに折れている)。
数十年前にトワ山から尾根伝いに栗島峠まで歩けた。
 湯の島と栗島を結ぶ峠道で国土地理院地図上ではルートが示されているが、12年1月2日廃道、湯の島よりH300m辺りで倒木や道不明で通行不可。
 この峠道を再生し使えるようになると、1本北側の峠道「油山峠(相沢峠)(東海自然歩道)」とともに使えるようになり、油山温泉やホテルりんどうを含み、油山温泉―油山峠―相沢―栗島―栗島峠―油山温泉という周回往復ルートになって同じ道をピストンせずに往復できてハイキングコースとしては使い勝手がよくなる。相沢や栗島の集落は古い石仏、お堂、優秀賞花壇、足様神社等があってそこもハイキングコースとしてよい。 
・相沢 
 栗島先で相沢橋を渡り1.2km先に集落がある。相沢橋と集落の中間点の道沿いに全国花壇コンクール最優秀賞の花壇がある。集落手前にお堂、延命水、延命橋、石仏、祠4基。集落入口道端に石塔6基(庚申供養塔5、南無観世音菩薩1)、集落内曲がり角「法印之碑 昭和」
(枝道)・打越峠 
 相沢から北の沢を詰めると打越峠を経て玉川に出られたが、今は沢詰めの道は崩壊した。代わりに舗装された林道で峠越えできる。
(枝道)・油山峠(相沢峠)、東海自然歩道、H400m  
 相沢から東海自然歩道ルートの東へ向かうと、ホテルりんどうとその駐車場で竹銘堂茶園(多分ホテルの駐車場に改変され消失)を過ぎ湯の島峠を越え湯の島に出られる。東海自然歩道なので迷いにくいし、かなり整備されている。 
(ただ近年東海自然歩道や周辺の指定ハイキングコースも含めて以前ほどきれいに整備されないようだ。もしかすると財政難による予算縮減のあおりもあるかもしれない。これからは公的機関の定めたルートといえども整備状況が劣化するのは覚悟した方がいいだろう。)
 油山温泉より200m奥の沢を渡り(H180m)南西に進む。東海自然歩道なので標識、道の安全状態はよい。多分迷いにくい。一部急坂やガレ場はあるが登山初心者向き、家族向きハイキングコース。峠(H400m)は植林で展望なし、ベンチあり。油山峠からトワ山東ピークに尾根沿いに行けるはずだが不明。相沢側はさらに補修された安全なコースだが、一部沢沿いのガレ場上コースなのでちょくちょくガレるのだろう。豪雨や地震直後はコースがガレやすいだろう。相沢のホテルりんどう前に出る。
・足様神社(足久保奥組)
 相沢橋を渡り、左折し川の土手沿いの道を行くと、神社がある。常夜灯×2。神社前の河原の土手道は舗装されていず、昔河原を歩いたという美和街道の名残そのままのようだ。だが神社が昔からここにあったのか不明なので、この道が旧街道などとは即断できない。しかし河原道の雰囲気は味わえる。 
 この神社について「美和郷土誌」は古代の純粋神道との関連を推定している。足坏をアシクボとも読めるので、足久保地名の発祥とも関連付けている。古代の純粋神道というのは今風に言えば日本古来の土俗宗教・修験道と関連付けられると思う。法明寺も古来は修験道と関連していたかもしれない。谷沢の佐藤家が鍵取で禰宜(神主)であった。神社にまつわる用品も保存されている。
 足久保の地は川の流れる湿地帯があり、その河原道を行き来したと考えられている。そこに葦が生えていた谷地なので、葦窪アシクボつまり当て字で足久保となったという仮説がある。
 資料では足坏となっているが、現在足様神社となっている。近年名称を変えたようだ。名前が足様というのだから、足について願い事がある人たちが縁起担ぎに参詣するのによいかも。例えば足を怪我した人、ランナー、陸上競技者、岳人などに知らせる価値があるかも。
(枝道)・谷沢、水見色峠・東海自然歩道
 今の街道を進むと谷沢集落手前の沢沿いに、新設の地蔵が安置されている。
谷沢集落内の谷沢橋袂に庚申塔、他×3、また大谷沢に沿って1軒奥に行くと、そこにも庚申塔:文化十、石塔がある。
ちなみにこの道「林道谷沢線」は東海自然歩道で、途中林道をそれて水見色峠を経て大山へ行く。かつては峠から下って水見色集落へ行く道であった。婚姻や産業のための道として利用していた。現在林道を忠実に進めば高山市民の森を経て新間や水見色に出られる。
谷沢集落を抜け現街道を進み、天神橋を渡る。旧街道は足様神社から直接天神橋袂に通じていたかもしれない。
(枝道)・水見色と坂本の峠道
 通称「回状道」と呼ばれた。水見色西ノ谷から山越えで坂本に達した。この山の尾根部分は「愛郷の道」(藁科中学が整備している道)となっている。おそらく西ノ谷奥の神社から上り、愛郷の道の尾根で峠越えをし、坂本一色に下ると思われる。
(枝道)・水見色と新間の峠道
 水見色と新間一色尾郷に通じていた。幕末に清水次郎長も通ったことがある。距離約2.6kmである。
・荒神社(足久保奥組口長島)
 この先、口長島に至ると、右上に荒神社がある。庚申、庚申:昭和五十五、狛犬:昭和十五×2、常夜灯:大正六×2。少し先に狐石もある。
・狐石(口長島)
 狐石と呼ばれる大石の壁面に茶の由来を彫り刻んである。しかし今や正確には読み取れないが、別紙に書き写され一緒に展示されている。周囲には「聖一国師碑」、石碑がある。
 付近の家の生垣に石塔がある。
・奥長島
 奥長島入口に板碑がある。奥長島集落を過ぎた右茶園の石上に「海野助兵衛の碑」がある。
「突先山、釜石峠、栃沢ハイキングコース」の標識に従って車道を進む。車道が行き止まりとなる。美和中学前から約10kmである。ここから沢沿いの登山道または中腹の登山道を経て釜石峠に至る。歩行時間:1時間45分または2時間。以前、車道行き止まりの少し手前で北の尾根に取り付く「大棚山」西から上るコースの標識があったが今は未確認。
・釜石峠(奥長島、栃沢)
 奥長島と栃沢の峠。歯痛地蔵と呼ばれる大日如来が祀られる。かつてはお堂もあったようだ。大川から静岡市街に出るにはこの道を通ったようだ。
峠から南尾根を通ると突先山に至り、さらに大山を経て坂本に出られた。
峠から北尾根を通ると中村山△1007.0mを経て樫の木峠に出られ、玉川または大川に下れた。現在樫の木峠から中村山方向への尾根道は、一見すると藪道のように見受けられる。
  釜石峠H820m。以前と峠の位置が変わったような気がする。この峠、平で広く東西50m幅ある。以前標識や歯痛地蔵は東端だったと思うが、今は西端である。歯痛地蔵(大日如来像)「是より 右ハ美和村あしくぼ 左ハ玉川村たくみ」となっていて、東の足久保奥長島と北の中村山・樫の木峠経由内匠へのコースを示す。西へ下る道は栃沢へである。  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 18:36Comments(2)古街道

2012年02月05日

久能街道(大谷←→駒越←→鉄舟寺)

久能街道(大谷←→駒越←→鉄舟寺) 
・序文
 久能山東照宮道の後半部分である。前半は近世東海道伝馬町の西之宮神社や伝馬町小学校近くの石碑辺りから南下し高松交番までである。消失したところもあるが、残存部らしきもある。
 後半は高松交番で東に向きを変える。ここから東大谷や西平松バス停辺りまで区画整理され直し旧道は消滅した。久能山東照宮入口まで旧道は一定の幅(車が通れる広さ)でまっすぐではないが、それでも曲がりを抑えたストレートな通りといえる。
この道はいつ作られたのだろう。明治20年代にはすでに旧道がメインストリートとして使われていたことは分かる。旧道より北に時々路地が現れるが、だいぶ狭く紆余曲折している。江戸時代初期に家康の葬儀が通過し石蔵院前で舎人が殉死したことは知られている。おそらくこの葬儀の列は旧道を通ったのではなかろうか。もしかするとこの葬儀のために拡幅工事をしたのかもしれない。
 東照宮入口より東へは一旦東照宮鳥居前参道に入ってから東に向きを変え狭い道を上り勾配で東に進む。この道は先ほどの道より曲折し狭く勾配もきつい、古道の趣がある。おそらく東照宮より先の道なので葬儀に関係ないので拡幅等を行わなかったためなのか。
 久能山東照宮道が高松の交番にて東に経路を変える。
・薬師堂(高松公会堂裏)  
 高松交番の西南にある。鳥居、石塔:「奉納大乗妙典六十六部…文化五戌…」、他全4基、手水鉢:「大正十三」、地蔵2基、大日如来、社、祠、「庚申塔文政十三年…」。
広い車道は東に直角に曲がるが、旧道は車道の南裏にあり、南裏路地として東進する。大谷から久能、駒越、さらに鉄舟寺までの歴史遺産と道を紹介したい。
大谷川橋を渡り、南6軒先に格好屋商店がある。
・格好屋商店(大谷2265) 
 元回漕問屋で大谷港からの物資を配送していた。東京から格好良い物を仕入れていたので屋号になった。岩崎氏宅。11年4月周辺は区画整理され直し西側角の大村酒店は営業しているが、格好屋や他の店は見当たらず、新しい家ばかりである。
 付近には西から「格好屋橋」「隠居橋」「郷蔵橋」の橋があった。川は暗渠で道となり橋の面影もない。東大谷あたりまで区画整理され直し旧態はない。
 旧道は広くなった大谷街道交差点で消失する。ここから八坂神社に向かう旧道辻の地蔵祠前に出る。旧道より古い道は車道より北を通っていたかもしれないと思う。
・八坂神社(大谷) 
 創建不詳、棟札1672,1854年、元牛頭天王社、樹木100~300年、石鳥居:明治二十九年建造昭和六十二年再建、石灯籠:元和三1617年、慶安元1648年、手水舎:文化三1806年。
・海岸山大谷不動明王、加羅倶利堂(大谷) 
 地蔵祠東先を左折するとアスレチック広場のある大谷不動の山に行ける。参道途中に庚申塔等の石塔14基、地蔵7基が安置されている。大谷不動の由来は漁師が漁をしていて網にかかったのが石仏で、それを祀ったものだという。大谷不動の西側には地蔵堂(地蔵、大日如来)がある。歯痛封じの地蔵である。倶利伽羅堂という。石灯籠:元和二年、六地蔵、80cm×1.5mの台石。
・東大谷地蔵尊、祠(大谷25611→移転、東200m) 
 『久能山東照宮道』や『大谷街道』参照。2011年4月細かった道は広く付け直され、旧道のルートも付け直され周辺も区画整理されて新しい家ばかりで、旧態がほぼない。地蔵は東に移転した。
説明版「宝永六巳丑(1709)年より宮小路入口、行部沢家の屋敷内に祀られていましたが東大谷・西大谷の区画整理に伴い東大谷山田喜代司様こう様の御寄進により土地を譲り受け移転安置し供養する。大正寺 平成二十一巳丑(2009)年三月吉日」
この2年前1707年に宝永地震があり、それへの供養の意味があったのだろうか。
・祠、お堂(東大谷) 
山際にある。かつては各個人宅の裏で祀られていたものであろうが、区画整理で山際に新道ができ見つけやすくなったというものか。
・かわなび、静岡市治水交流資料館 
大谷川放水路(後久川)河口の東側で東西大谷公民館隣で放水路の操作場にある。七夕豪雨等について知ることができる。現代の施設だが、歴史資料に触れられる。
・釜屋、篠田氏宅(大谷2726) 
 東大谷バス停を通過した先、篠田氏宅がかつての田中助右衛門鋳物工場:釜屋跡である。区画整理で旧態がない。
・大谷港跡(大谷2508)、浜橋付近 
 大谷境バス停を南へ行くと浜橋になる。この付近がかつて駿府への荷をあげ降ろしていた港で、格好屋が問屋だった。区画整理で旧態がない。
・慈恵院慈恵観音教(西平松63) 
 西平松バス停前。この付近から旧態をたどれる。
・西平松閻魔堂、西平松公民館・老人つどいの家 
 説明版「久能街道沿いに江戸時代からあり、通行人の休憩所と安全を願う場所。毎年8月14日祭り。閻魔大王坐像中心、十王坐像、脱衣婆坐像、地蔵菩薩立像、司命立像、司録立像、計15像。」
・たい泉寺(西平松183)、(たいは小偏に台つくり、小台) 
 久能街道から左折(北)し山に向かう。山すそにある。
・天羽衣神社(西平松175) 
 久能街道を横切る橋を渡り山に向かい北に進むと山すそにある。三保とは違う伝説をもつ神社である。説明看板、伝説:「中平松に住む男が仕事帰りに駒越の浜の松に掛かる羽衣を見つけ家に持ち帰った。天女は取り返すため素性を隠しその男の許に行き仕えた。三年後隙を見て羽衣を取り返したが霊力が尽きていたのでお清めをしているところを見つかった。天女は事情を語り氏神として祀れば永く守護すると誓い天に帰った。そこで村人は氏神として祀ったという。」石灯籠、狛犬:近代。
・江雲寺(西平松170) 
 石塔26:「奉納 観 供養 安政五 七月壱日」「奉納 善光寺如来 明治三 三月」「奉巡拝 善光寺如来 一国三十三所 當村 明治十八年三月吉日」「奉順禮一国三十三所観 信州善光寺 天保六 七月七日」「奉順拝 一国三十三 信州善光 天保十五 七月」「奉順禮一国三拾三所供養 明治三 七月」「奉納 本州三拾三所観世音 信州善光寺 供養 文政十三寅年 七月上」「奉順拝 西国三拾 天保十五 七月」「奉納西国三十三所観世音菩薩供養 寛政四子年 五月十七日」「奉順拝 本州三十三所観世音 信州善光寺 供養塔 文政元」「奉納西国三拾三所 文政十一子年」「 寛 」「三十三所」「三界萬霊 文政六」「前住貞岳  」「詳鶴祖瑞□肴 寛保二」「三界萬霊」「圓寫稍瑞岳□ 文化十三」「――女 明治十――」「西国三十三所 安永」「西国秩父坂東供養塔 安永四」、比丘尼の墓?:「 五 」「 天保五 」
「奉納壱國三十三所」「奉納壱國三十三所」「奉順拝西国三十三所 天保十五 七月」「三十三所」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 」「奉順禮一国三十三所 信州善光寺」「奉順拝一国三十三所」。
六地蔵:「文政十三」
・道祖神(中平松) 
 石造り道祖神。消防第13分団小屋隣。
・龍珠院(青沢39)青沢公民館、青沢老人つどいの家 
 久能街道を東進し殿谷川を渡ると青沢であり、北側2~3番目の路地を北に進むとある。記念碑もある。
 青面金剛祠、地蔵、庚申塔3:「卍庚申供養塔 萬延」石塔、手洗石、板碑、石塔12?:「――三拾――等」「西国三拾三処」「奉□□□三拾」「奉順礼一国三十三」「――三十三所」「西国三十三所供養」「一国三十三所供養」
・八幡宮(古宿14) 
 久能幼稚園前を過ぎ、川も過ぎると古宿であり、すぐ山側に左折し北進するとある。石灯籠「弘化」。手洗石「明治十八年」。すぐ横を「すんぷゆめひろば」へ行く新道が通り周辺の様子は変貌している。
・継全寺(古宿29) 
 古宿バス停を過ぎ左折し進むと山すそにある。石塔3:「大乗妙典供養」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 明治三拾□ □月吉日」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 供養塔 七月吉日」、石塔9:「奉納西国三十三所霊場供養塔 寛政六寅 四月吉翔日」「奉順禮一国三十三所霊場供養塔 寛政六卯寅八月吉日」「奉順―――供養」「奉順拝信州善光寺如来  
―――三十三所供養塔」「奉順禮一国三十三所」「奉納西国三拾三所観世音供養塔 天保十二 七月」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 供養塔 明治三十九」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺」
 この辺りの人々は西国三十三所や一国三十三所を回り、お礼参りに信州善光寺に行くことが一般化していたようだ。
・地蔵堂 
地蔵2、庚申供養塔3、継全寺門前の古い生活道路沿い(おそらく江戸期初期以前の旧道)の分岐点にある。
・阿弥陀堂(安居55)  
石塔3:「宝暦」、どうも墓石らしい。
・安居山石蔵院(安居272) 
 久能小や久能JAを過ぎ古安川を渡り、安居バス停をも過ぎると、左にある。お葉付き公孫樹(葉がついたまま結実することが珍しい)が有名。家康が崩御したとき慕う武士が門前で殉死したことでも知られる。
 井出八郎右エ門墓(殉死した舎人、下級武士)、顕彰碑、地蔵堂
 その先に神社がある。
・安居神社(安居288) 
 街道を左折するとすぐ参道でその先に拝殿がある。創建不詳、再建文化元年(1875)、句碑?:判読不能、石灯籠:「安古大明神 元和二」2、立派な物で刻字もはっきり読める。徳川家康が死んだ年で江戸期初期の物がいまだに健在であることから、しっかり保存されたか、それなりの高級品であると推察される。江戸幕府が家康死去に際し高級品を奉納したのか。ソテツ2、
 隣は寺である。
・宝台院別院(安居291) 
 宝台院自体は静岡駅前、常盤町2丁目にある静岡市を代表する古刹にして名刹である。本院は家康の守り本尊を祀ってあり、家康の変わりに矢を受けた傷もかつてはあったが、修理してしまい矢傷はなくなってしまったという。家人の野上氏より聞いた話である。他にも家康の妻で秀忠の母の西郷の局の墓もあるなど、寺宝は貴重だ。
 ここはその別院である。
 柳沢川を渡ると、左の山に東照宮が見える。
・柳澤橋:石碑 
 橋の袂に古い石碑がある。
・廃道のかつての日本平ハイキングコースだった所、一応立ち入り禁止 
 柳沢川に沿って上っていく林道があり、林道がなくなってからは、歩けそうな所を行くと、入り込んだ人たちによりかすかなコースが設定?されている。一種の裏本のような裏コース登山報告や知っている人たちの道案内で登山可能である。建前上、一応危険なため立ち入り禁止である。1970年代の豪雨により、日本平ロープウェイ駅前から久能へのハイキングコースががけ崩れで歩行禁止となった。その他にも多くの日本平周辺コースが廃道となっていて、冒険好きは冬に入り込むチャンスではある。ただし自己責任です。
・久能山東照宮(根古屋390) 
 家康が崩御して最初に埋葬されたところである。日光にはのちに祀り直された。しかし全国的には日光は知られていても、静岡市にあることはほとんど知られていない。石段で行くもよし、日本平からロープウェイで行くもよしである。かつては武田氏の久能山城があり、勘助井戸が残る。それ以前は名刹古刹の久能寺(現鉄舟寺)があった。現在東照宮、博物館があり、家康権現を祀った石造物もある。神社は国指定重要文化財になった。
 麓には梅園、売店など門前町の風情が漂う。
・徳音院(根古屋392)  
 東照宮参道石段入口前にあり、かつての東照宮の別院寺院だったが、寺院は明治になり廃止されお堂(一聖天堂、他一堂)だけが残った。石灯籠「両大師」
・八幡宮(根古屋318) 
 参道途中の売店「かどや」で東に曲がり進むのが、かつての旧道ルートである。老人ホーム(かつての保養所久能荘)の裏にある。石灯籠:「元和二」2、立派な物で刻字もはっきり読める。先ほどの安居神社の物と同類と推察される。これも高級品の奉納物か。
 旧道はホテル横の滝が原川を渡り住宅のある所を少し上り、また下って現在の旧国道に合流する。ここまでが古街道らしさが残っている。
・白髭大明神神社(清水区蛇塚120、中組) 
 さらに東進すると久能街道と旧国道150号線が合流し、その先で清水区となる。さきの八幡宮からの道も滝ヶ原川を渡り清水区に入る。唐津川手前の道を北に進むと神社がある。
なお現在の国道150号線バイパスは海岸沿い堤防上のサイクリングロード上になっている。
 祠、鳥居「明治元年」
・お堂、蛇塚公会堂(清水区蛇塚221、中組) 
 石塔類12:「文政八年 奉納西国三十三所供養塔」「文政九年 蛇塚 奉納西国三十三所供養塔 七月吉日」「元禄十七甲申天 奉納西国三十三所供養塔 願主蛇塚村」「宝暦十二壬 ――助譽是心大徳 三月二 」「奉納當国三十三所蛇塚村 元文元辰七月朔日 同行」「奉順禮當国三十三所観世音」「□奉禮念大悲観世音――西国三十三所」「圓寂全得――」(墓?)「――供養塔 蛇塚」「奉順禮當国三十三所観世音」「宝暦三 禅□信士心 十二月三――」(墓?)等
・龍宮神社(清水区蛇塚382、新田原) 
 さらに400m東進すると神社というかお堂がある。説明板碑の概略:「明治4年、古老の古記書による。正安元(1299)年五月中頃、海を漂流してきたものが漁網にかかる。木像あり。社建て祀る。信心すると御利益が増したので、社を造営すること数度に及んだ。古記書は先年の大時化で消失した。」
・龍源寺(清水区増114) 
 濁沢川を渡りしばらくすると増集落となる。やや山沿いに古い道が曲がりくねりながら通っている。そこに寺がある。石造物:地蔵2。
 いったん国150号に戻り進むと左山手に神社がある。
・伊勢神明社(増206) 
 人家の出入り口付近から左への山道を歩いて上る。
・石塔(増259) 
 国道沿い人家の石垣壁沿いに安置されている。
石塔3:「奉請庚申供養寶塔敬白」「□百所之観世音菩薩 宝永三丙戌歳□秋廿日 増村居住同行 笏(竹冠なし)現 伊右門 忠右衛門 太郎兵衛 忠三郎」「奉納西国三十三所 」
・清苺神社、記念碑「石垣いちご発祥の地」(増260) 
 新しい神社なのだろうか。これまた人家の横から「ヘレン・ケラー来園」の看板に沿って農道を上る。横に記念碑「石垣いちご発祥の地」がある。
・萬象寺(駒越西二丁目9) 
 かつてはこの地ではなく、もっと東の駒越中1~2丁目辺りの古びた五輪塔が多くある所であった。移転したためか常夜灯が古いくらいで他の石造物で古い物が少ない。
・鉄砲道(駒越西二丁目17) 
 萬象寺前の国150号線向かい裏に舗装のない歩道というかあぜ道がある。これがかつての鉄砲道といわれる。久能街道の古道残存部とも考えられる。
 幕末から明治初期の海岸警備隊や軍隊が鉄砲練習の行き帰りに使った道という。
 鉄砲道から駒越神社の南に出る道がかつての久能道古道であろうか。
* 駒越神社、延命地蔵堂、大公孫樹、その先の久能街道駒越出発点については、「久能街道駒越ルート」を参照されたい。ここで駒越ルートに接続した。

 ここから先は萬象寺辺りから北進して鉄舟寺に至る「久能寺観音道ルート」への接続ルートを紹介していく。
 萬象寺の西の柑橘試験場や清水社会福祉事業団前を通過する道は山すそを掘って水平直線にした道で明らかに新道だが、かつては山すそに沿って曲がりくねる細い道があったはずだ。また萬象寺の東のもう少し低い所を通る道もあったと思う。両方とも開発され古い道はなく直線化した車道となっている。どのみちこの先の忠霊塔公園東入口または西に向かうだろう。
・忠霊塔公園(迎山町1)  
 
・殿沢の古墳
 殿沢から清水病院前辺りに抜けるのだろうが、ルートをたどることはできない。この辺り旧道が分からない。

・天王山神社、筆塚、天王山公園、古墳(宮加三789) 
 古墳で神社で目印になるランドマークだ。

ここから古い観音道は左斜め上(北西)に進んでいく。東邸の西から旧日本平道路(日本平アウスタ道路)を横切り、北進する。このルートが旧観音道と思われる。
・龍華寺(村松2085) 
 庭がきれいで有名。高山樗牛の墓もある。
 門前を南北に通過する道が観音道である。ここから鉄舟寺に至るのだが、道に沿っていったん広い新道に出て鉄舟寺に至るのか、もう少し山際を通って鉄舟寺に至るのかが分からないが、どちらかあるいは両方がルートだったと思われる。山際ルートは幾分たどれるが鉄舟寺までは通れない。
・鉄舟寺(村松2188) 
* 「久能寺観音道」、「安倍七観音霊場巡り」を参照。
  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 17:51Comments(0)古道