2019年10月20日
掛川市の石道標
・掛川市(石ヶ谷、美人ヶ谷、大和田分岐点の石道標)林道美人ヶ谷線、
掛川市中心部から上西郷を目指し北上する。上西郷の石ヶ谷の谷地への分岐を進む。かつての石ヶ谷温泉または獅子岩等の巨石群方向である。石ヶ谷に入った所で道が左右に分かれる。左が旧温泉・巨石群方向だが、今回は右(北)方向を取る。これが林道美人ヶ谷線である。800mも上ると茶畑の尾根上に出る。本道はさらに尾根を登っていくが、右下の美人ヶ谷に下る道の分岐点がある。ここに判読不明だが、石道標がある。付近で野良仕事をしていた古老に聞くと、「大正期頃の道標で、大和田から来て美人ヶ谷と石ヶ谷との分岐を示すものだ」とのこと。
まだ他にも無名の道標が数知れずあるのだろう。
・掛川市五百済(イヲズミ)・龍登院門前
石道標「右掛川 後堀之内 左中内田村 道」、字体は楷書の漢字で大きさも一定化していて近代のものである。昭和初期頃か。右は現在舗装路になっている市道で掛川市内を目指し、左も舗装路で中内田方面へ抜けられる県道につながる市道ではあるが、かつての旧道は平野と山際の狭い道と考えられるが、すでに旧道は消滅していると思われる。後ろの道は現在のキウイフルーツカントリー農園に向かう道と思われる。農園で舗装は終了するが、その先の丘陵地を上り、現在の菊川市内中心地JR菊川駅付近のかつての堀之内村に行けたものと思われる。なお掛川方面への旧道(里道)に関してはつま恋施設の西端から杉谷方面にかけて3つの手掘り隧道トンネルを調査した記事をネット検索で知ることができる。また「五百済(イヲズミ)」では掛川層群といわれる火山灰層の地層があり、丘陵地を削った崖地に見ることができる。これもネット検索できる。
地名の「五百済(イヲズミ)」は五百でイヲで、地元の人たちは「ヨーズミ」という発音をする場合もある。
掛川市中心部から上西郷を目指し北上する。上西郷の石ヶ谷の谷地への分岐を進む。かつての石ヶ谷温泉または獅子岩等の巨石群方向である。石ヶ谷に入った所で道が左右に分かれる。左が旧温泉・巨石群方向だが、今回は右(北)方向を取る。これが林道美人ヶ谷線である。800mも上ると茶畑の尾根上に出る。本道はさらに尾根を登っていくが、右下の美人ヶ谷に下る道の分岐点がある。ここに判読不明だが、石道標がある。付近で野良仕事をしていた古老に聞くと、「大正期頃の道標で、大和田から来て美人ヶ谷と石ヶ谷との分岐を示すものだ」とのこと。
まだ他にも無名の道標が数知れずあるのだろう。
・掛川市五百済(イヲズミ)・龍登院門前
石道標「右掛川 後堀之内 左中内田村 道」、字体は楷書の漢字で大きさも一定化していて近代のものである。昭和初期頃か。右は現在舗装路になっている市道で掛川市内を目指し、左も舗装路で中内田方面へ抜けられる県道につながる市道ではあるが、かつての旧道は平野と山際の狭い道と考えられるが、すでに旧道は消滅していると思われる。後ろの道は現在のキウイフルーツカントリー農園に向かう道と思われる。農園で舗装は終了するが、その先の丘陵地を上り、現在の菊川市内中心地JR菊川駅付近のかつての堀之内村に行けたものと思われる。なお掛川方面への旧道(里道)に関してはつま恋施設の西端から杉谷方面にかけて3つの手掘り隧道トンネルを調査した記事をネット検索で知ることができる。また「五百済(イヲズミ)」では掛川層群といわれる火山灰層の地層があり、丘陵地を削った崖地に見ることができる。これもネット検索できる。
地名の「五百済(イヲズミ)」は五百でイヲで、地元の人たちは「ヨーズミ」という発音をする場合もある。
Posted by 兵藤庄左衛門 at 18:02│Comments(0)
│古道