さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |

新規登録ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年03月31日

・夕日峠(静岡県島田市~浜松市春野町~川根本町)

・夕日峠(静岡県島田市{旧・川根町}~浜松市春野町~川根本町{旧・中川根町})
 島田市川根、川根本町、浜松市春野町の境界尾根に夕日峠はある。湯島、雲見、田河内、原山、久保尾辻への尾根道の分岐合流点が付近に散らばっていて、総称して夕日峠と称されたのではなかろうか。一般的に峠というと山の鞍部を指すが、手向ける、こちらとあちらの境、越える所という意味でなら、ピークの分岐点やその付近を指して峠となるわけだ。静岡市の「権七峠」などが例だ。
 一般的に登り口は湯島や雲見となり、ガイドブックにはそうなっている。国土地理院の地図では春野町田河内の北からも登山道がのびているが、北斜面上の春埜山林道からの入山路は見られなかった。すでに廃道と思われる。今回紹介するのは登山道ではなく林道より格下の作業道のコースである。
 まず自動車で島田市川根家山から一つ北の駅であり集落の抜里を目指し、その境目の坂の頂点で左折し山に入っていく林道家山線を進む。(この林道は春野町と川根本町境久保尾辻までいける) 林道といっても舗装されて走りやすい。途中「鵜山の褶曲」の展望台・朝日の段を通過する。倉平への分岐点・一本杉も通過。
分かりにくいが地図上で島田市と川根本町の境を越え道が下りだすとすぐ、左に「大谷平松作業道」の標識と分岐するオフロードが見える。入口に鎖が張られ立ち入り禁止となっているので、徒歩または自転車で入る。標高870m。作業道は林道より安全性が低く切土したがけがむき出しなので、落石に注意すべし。ほぼ尾根づたいに道がついていてやや上り下りするものの登山道よりはるかにらくである。約3km歩くと夕日峠山頂と展望台の間を作業道が通過する。作業道はまだ延びていくようだ。そこまで行くと峠も展望台も距離数十m、標高差 10mである。峠の標高1000m、展望台で990m、その南の三角点966m。作業道入口からの標高差130m、距離3km。樹林帯の登山道と違い作業道からの周辺の眺めはよい。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 12:11Comments(0)

2009年03月28日

しみず道、志ミづ道

・しみず道、志ミづ道(静岡市清水区追分、追分羊かん本舗~清水区本町港橋)
 起点は旧東海道、追分二丁目、追分羊かん本舗前の石道標である。元は道の反対側にあったそうだ。石の左右に「是より志ミづ道」と彫られ、正面は「南無妙法蓮華経」と彫られている。一文字ずつの終わりの線を延ばすように彫られ、さもひげのように延びているので「ひげ題目」と称され各所にある。建立者名から谷口一族の物と見られ、このような立派な谷口一族の「ひげ題目」も各所にある。伝わる話では旅の途次、勝手に金を出し立派な「ひげ題目」を建立し去って行ってしまうのだそうだ。この立派な石道標が存在するため、「しみず道」も有名になったのではなかろうか。
 細い道「しみず道」に入っていく。狭いが車等が通り地元の交通路となっている。入江小と逆川の間を通り、JR線と静鉄線の二本塚(ふたもとづか)踏切(追分二丁目)に出る。かつて魔の踏切と云われ事故死者や自殺者を出してきた。脇に厄除地蔵が安置され由来説明板が表示されている。左方向に森がある。「文殊稲荷神社」(桜橋町)である。文殊は穴山梅雪が江尻城に祀ったものを廃城後ここに遷座したという。ならば四百年だが境内の樹木からもっと古いと推定される。もっと古くから神社があり、そこに文殊も遷座したのだろう。
踏切を渡ると左に静鉄電車「桜橋駅」で交通量の多い南幹線に出る。渡ると清水文化会館で道なりに進むと県道を渡り、清水中央図書館と洒落た洋風レストランの左の路地に入っていく。この図書館の2階には郷土資料室があり、本稿を書くに当たっての資料もここからのものがある。お世話になってます。図書館裏のこの辺り少し古めかしい昭和の住宅地、下町の風情が残る。付近にはもっと狭い路地が散在し、あたかもレトロとノスタルジーの昭和にタイムスリップしたかのようだ。あと10年もすれば消失するだろう。この雰囲気に浸るには今しかなかろう。
 広い道、久能街道に出る直前左に「昌庵(子育て)地蔵」(入江岡町)の祠がある。久能街道を右(南)に5軒行くと法律事務所と電気屋の間に路地がある。電気屋の塀に「上清水村札の辻跡」(上清水町)とある。「志ミづ道」のプレートもかかっている。電気屋に高札が残っているそうだ。
 20mも進むと左に「上清水八幡神社」(上清水町)がある。境内に源義家の伝お手植え大楠がある。1087年に彼が祈願したという伝があるが、この時期東海道は庵原の地を通り、せいぜい南下したとしても秋葉山(西久保)下を通る北街道ルートだろうから、彼が来たのならこの時代すぐ横は海だろうから、軍船に乗ったのだろうか。神社を後にし進むと右に神戸商店というレトロな駄菓子屋がある。道は右(南)に折れる。「折下道」という下り坂である。由来は海に下る道だそうだ。古代中世はこの辺りから海であろう。
 この「折下道」を下る手前左(北)に下る路地がある。この道を下り道なりにまっすぐ行き浜田小の横を通っていくと、住宅の塀に挟まった「チャンチャン井戸」(浜田町)と説明板がある。良質の水が出て清水の名の由来になったといわれる。
 「折下道」に戻り下ると右に「禅叢寺」(上清水町)がある。白穏の作品があることや清水次郎長が手習いに通ったこと等が知られている。境内に説明板がある。
 寺の門前から東に進み広い通りを渡ると左(北)に「専念寺」(上一丁目)があり、廻船問屋播磨屋の墓がある。寺の門前周辺はこれまたレトロなはんぺん屋、惣菜屋などで昭和の風情を楽しめる。
 ここで道からはずれるが、「ぶんかさろん・しみず 志ミづ道」で紹介されている付近の史跡を紹介する。(上一丁目)の巴川沿いには「八雲神社」があり「徳川水軍御船場跡」で、奥宮裏が「江川」の暗渠で、近くに「萬世橋(よろづよはし)と記念碑」とその説明板がある。
 再度「専念寺」前に戻り東、萬世橋方向に進みすぐ右折(南)する。「志ミづ道」のプレートもかかっている。下町風情の中を通り県道を渡り、まっすぐ進むと三番目の交差点で正面に清水保育所となる。ここで左折(東)し道なりに南東に進む。ちなみに清水保育所は「清水町役場跡」でその西側道路は「江川端」という川でかつては運河として船で行き来していた。その南にエガワ歯科医院がありかつての江川家の子孫で「江川端」の名の由来だろう。この近辺には石蔵が多く、かつての廻船問屋の名残である。
 本町で路地を抜け右折(南)し「実相寺」門前で県道を左折(東)し港橋で終点である。その手前で「廻船問屋鈴木家」がある。南への通りは「次郎長通り」で次郎長の生家がある。「廻船問屋鈴木家」の裏の巴川沿いには「西宮神社」があり力石等がある。その北には「上総稲荷神社」があり「袋城の石」がある。港橋向こうに「甲州廻米置場跡」があり、甲州から幕府に納める年貢米を置いた所で現在も山梨県有地がある。「実相寺」は石仏豊富である。「実相寺」裏は「妙慶寺」で山門や鐘楼がある。「実相寺」手前に「成就院」がある。「妙慶寺」をさらに南に向かい矢通りという道を渡ると住宅の裏に「美濃輪神社」がある。袋城城主、馬場美濃守信春が築いた掘割等があったが、埋め立てられ美濃輪町となった。エガワ歯科医院の南に「妙生寺」がある。
 「志ミづ道」周辺は見事にレトロな雰囲気が残っていて一見の価値ありである。しかも今後消失していくことが予想されるので今のうちに見ておくしかなかろう。できれば静岡市清水区の観光名所、歴史遺跡として保存していければ幸甚であろう。

・参考文献
「志ミづ道」ぶんかさろん・しみず
「追分今昔記」府川松太郎(先代、追分羊かん経営者)
「ふるさと物語」清水市
「岡地区のあゆみ」岡地区まちづくり推進委員会
「安部郡入江町誌、第二編 第六章 第一節 道路附道搬具」
「江尻宿之変遷」片山寅平
「季刊 清水17-23号 昭和56~61年(1981~86)、思い出のまち清水今昔譚 失われたものへの回想と愛惜」
「静岡懸安部郡清水町沿革誌」清水町役場 本多丹弥
「ゼンリン住宅地図、清水市」
「昭文社都市地図 清水市」
  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 17:59Comments(2)古道