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2007年09月23日

掛川坂

    掛川坂(島田市金谷志戸呂~行田原~小鮒川)              
 1603年より11年間、東海道として使われた。しかし源頼朝の軍勢も利用したというので平安末の12世紀後期には利用されていたことが分かる。
 1600年徳川家康によって制定された東海道はJR金谷駅裏金谷坂石畳の有名な道の方だったが、1603年洪水で島田宿が消失しやや山側の元島田(島田市民病院や鵜田寺所在地)に移転し、島田市大鳥、大井川渡河、牛尾山、島田市(金谷町)志戸呂谷北という古代中世ルートが復活し、1614年まで正式な東海道になった。
 牛尾山南端から五和小、五和駅付近を西進、県道81号線大代方面に進む。山の先端部の大井神社に近づいた頃、南の谷北に折れる。谷北集落用水池の奥、茶畑の隣、杉桧植林地の突端に廃道となった切り通し「掛川坂」が薄暗く入口を開け山腹を上っている。冬から春先までなら雑草少なく蜘蛛の巣もないので、気色悪くても倒木や雑木をかき分け進むことはできる。丸石が一面ころがっているところがあった。もしやかつて石畳だったのだろうか。10分程上ると舗装道路(谷北と行田原を結ぶ道で上りきると行人塚前に出るいわば現在の新掛川坂である。出たところは山の中腹にあたる。)に出る。ここに朽ちかけた「掛川坂」案内板が落ちている。舗装道路は山腹を横巻きしてなだらかに行人塚にいたるが、「掛川坂」は真上の茶畑に向かい簡易舗装になった狭い農道として上っていく。上りながらやや左(西)の山頂部(行人塚所在地)をめざすと迷いにくく、10分程である。上り切る手前だけ土道になり山頂平坦部の道と合流し30m先に行人塚があり、先ほど横断した舗装道路とも合流する。行人塚は「正徳二年巳八月二日 帰真 満願院全行得道上座霊位」の石仏が祀られている。(「かなやの史話・民話・伝説見て歩く」山田好行 p.411 参照)舗装道路を広い平坦部に向かいまっすぐ進むとこれが小鮒川集落に向かい降りていく掛川坂旧東海道ルートである。途中左折路のあるところで石道標がある。「右 日坂 こぶながわ ?ひだり(巡れい)二十□(五)みち 九代□□」。 確かにこの道を左折すると遠江三十三観音霊場巡りの二十五番に行く道だ。逆に戻り掛川坂や観音寺坂を下ると、二十四番観音寺に行く道となる。
 (石道標はこれからの物も含め4つあるが、摩滅が進み判読困難である。過去に判読された資料を探す方がよい。掛川坂道から粟が岳等に分岐する道を標示している。「かなやの史話・民話・伝説見て歩く」には三つ載っている。)
 水道タンクのあるT字路に当たり、ここにも石道標「右□ これ御林日坂 左?しとろ」がある。曲がらずタンク横の狭い土道を直進する。タンク用地を抜けたところで石道標「□□□□□□□年一月大吉三□□ 右 無間山安田西□□ 左?こぶながわ □願梵□増威豆恭□□□□樂」がある。数本の道が交差しているが、ここもまっすぐを基本に進む。石道標「右 こぶながわ 左 中山日坂」のある左右分岐Y字路に出る。一旦左に進むと茶畑で農道は切れ、眼下に小鮒川が見え、登山道が植林内を下っていく。先ほどの石道標のあるY字路に戻り右に進むと、右の尾根沿い道と左の植林された暗い谷道に分岐する。どちらも軽自動車で通れる。左に進むと道なりに小鮒川集落に出られる。この途中道が広くなり右直角に曲がり小鮒川集落に出る直前、下に茶畑の原が見えるところで石塔「藤六地蔵」と地蔵「地蔵堂」が祀られている。(「かなやの史話・民話・伝説見て歩く」参照) 刻字は読めない。多分この道が旧東海道かと思われる。なお、右の尾根沿い道を通っても、茶畑内を紆余曲折すれば小鮒川集落に出られる。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 21:43Comments(0)掛川坂