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2014年03月21日

川根路

~川根路~
’14 3/9
調査は今後随時行っていきますが、しばらく休業するので、記事内容は中途半端なまま放置します。今後おいおい少しずつおこなっていくつもりです。
 基本的に大井川沿いの街道を下流から上流に進む予定です。島田市、旧金谷町の旧東海道と川沿いの道との分岐点から始めて静岡市井川駅までとしたいですが、まだ未定です。
 途中川根筋の秋葉街道に重複するがそれはそれでおもしろかろうと思います。
*川根筋の秋葉街道については『古街道を行く』鈴木茂伸(静岡新聞社)や広谷氏のホームページ『東海道山筋紀行』を参照ください。
 
・お茶の郷(島田市金谷)
 
・桜トンネル(島田市川根町家代)
 
・音戯の郷(川根本町千頭) 
 
・草分観音堂(川根本町千頭163⁻1⁻2) 
 ・庚申塔 昭和六年 郷平安全、・手洗石:昭和十五年、・お堂:草分け観世音菩薩、
・地蔵2(川根本町千頭1199)川根大橋袂、 
 
・泉頭四郎兵衛の墓(川根本町千頭950⁻2) 
 ・昭和十六年、代々諸精霊 千頭院開谿明到居士 弘徳院圓光盛満居士 
・秋葉常夜灯、町指定文化財、建造物(川根本町千頭973⁻2) 
 ・説明版:指定:平成17年3月23日、創建は詳らかではないが江戸時代末期慶應元年(1865)秋葉山信仰の象徴として造建されたものといわれている。最初は寺島区にあったが、その後千頭西区に移築された。本体は寄棟造りの精巧華美な造りである。先人たちの優洽なる遺制を継承し、屋字の修理と上屋の新築を成就し、平成18年2月、千頭3地区区民一同が、此処、川根本町千頭沢屋に再建した。  川根本町教育委員会 
・豊川稲荷千頭別院(川根本町千頭901) 
 ・石碑:神社名:昭和六十年、・石稲荷2:昭和六十年、・手洗石:昭和六十一年、・石燈籠2:新:、・織部型石燈籠:新:、・祠:、・石稲荷4、・石燈籠:欠:、
・交通安全地蔵尊、燈籠(川根本町千頭806) 
 
・燈籠(川根本町千頭805) 
 石塀の端が石灯籠になっている。というか石燈籠を端にして塀を築いたというべきか。
・敬満大井神社(川根本町千頭801)林道横沢線、 
 ・石柵:昭和五十七年、・大杉:数本、・祠4、・常夜灯2:立太子記念、・常夜灯2:新:、
・石鳥居:平成元年、・手洗石:明治二十七年、・石碑2:供進(手偏に昔)定郷社敬満大井神社:昭和九年、・石鳥居:明治四十四年、  
・説明版:鎮座地:榛原郡川根本町千頭750番地、祭神名:伊弉再(諾)尊、天児屋根命、日本武尊、瀬織津姫命、境内社:八幡神社、誉田別尊、宝物:鰐口 応永26年銘一 永正6年銘一(静岡県指定文化財)、銅製 釣燈籠 文政11年銘一、由緒:創立年代不詳だが、古老の伝に依れば「景行天皇の御宇日本武尊東征の際、伊弉再(諾)尊、天児屋根命の二柱を勧請し社名を敬満社と号し、のち日本武尊、瀬織津姫命の二柱を配祀して敬満大井神社と謂う」とあり。明治6年3月郷社に列せられ、大正4年10月15日神饌幣帛料供進社に指定された。大正9年11月本殿並びに拝殿の新造営を行う。八幡社は創立年代は不詳であるが元千頭八幡山に鎮座の所、明治7年、久能社、中森社、神明社、草別社とともに境内社として合祀奉斎した。昭和21年6月15日宗教法人令による神社を設立し、昭和28年6月25日宗教法人法による神社を設立登記した。   平成7年10月吉日 
・大井神社(川根本町奥泉294-22) 
 ・石鳥居:昭和三十年、・石碑:大井神社 平成十年、・石燈籠2:昭和十五年、・狛犬2:皇紀二千六百一年 東京帝国大學醫學部卒業記念、・手洗石:、・青面金剛:大正九庚申年、
 ・丸石、・如意棒、
  ・説明版:鎮座地:榛原郡川根本町奥泉261番地、御祭神:彌都波能賣命みづはのめのみこと、合祀:立山神社、祭神:大山袛命おおやまづみのみこと、由緒:創立年代不詳なるも古老の伝ふる処に依れば、亀山天皇の御宇文応年中己(1260)に社殿を建立祭祀せりと謂う。而して当時の社地は、字栂ノ間出が元の社地であり、降りて文亀二年(1302)11月24日現在の地に御遷座。立山神社は元境内別殿なりしを明治七年1月合祀された。文亀壬戌二年11月24日の棟札を始め、元禄丙子九年、宝永丙戌三年、享保辛丑六年、宝暦巳十一年、文化巳六年と年次を追いて棟札現存せり。大正四年から六年にかけ本殿雨覆並びに拝殿の改築を行う。大正九年6月村社に列せられ、大正九年9月神饌幣帛料供進社に指定される。昭和二十八年6月宗教法人法による神社を設立登記した。昭和63年3月本殿雨覆改築、平成10年12月拝殿を改築する。  平成10年12月吉日  之建
  ・大井神社前の県道の向こうの窪地はもとは池で穴を掘って水抜きして開墾したものである。穴も計算違いで二度掘っている。
 「大蛇と娘」伝説もあり、『本川根町の伝説』や『静岡ふしぎ里かくれ里』鈴木茂伸(静岡新聞社)に詳しい。この池に大蛇がいて、池のほとりで洗濯した娘を追いかけたが、娘は寺に入って助かったとも、池に引きずり込まれたともいう。大蛇はすぐ野守の池に去ったとも、怒った村人がトンネルを掘り苦労の末、池の水を抜いて大蛇を追い出したともいう。
・長島ダム 

・お堂(川根本町犬間427平田) 
 ・鐘、・お堂 
・レインボーブリッジ 

・岩瀧不動堂(川根本町犬間) 
 ・説明版:文久の初めの頃犬間村は疫病が流行して困窮しておりました。ある日、志太郡高田村の日正坊と名乗る修験僧が現れ「村に疫病が流行しているのは不動明王の祟りがあるからだ。この川の上流に不動明王の宿る石があるから私が祈祷してあげる。もし疫病が鎮まったならばその石を滝の傍らに運んでお堂に納めて供養するがよい」と告げました。」ほどなく疫病は治まり村は平穏になりました。村の若い衆は法印のお告げによってその石を探しにゆき、ここにお迎えしたといわれます。村人は鎮座の滝を「不動の滝」と名付けその傍らに堂宇を建立、文久3年10月28日、観天寺和尚玲童興師によって開眼供養の法要を行いました。以来毎年1月には法印の司宰による供養祭を行って今日に至っております。また堂宇の中に石の地蔵菩薩が併置してありますが、これは昭和28年まで不動堂の真下に村の自家発電所があってその守り仏として祀ってあったものです。  
   平成13年1月吉日  岩瀧不動堂奉賛会 
・若宮神社(川根本町犬間) 
 ・石鳥居:平成九年、・手洗石:昭和四十四年、 
・川根本町やまびこ資料館(川根本町90⁻1) 
 
・河内地蔵堂(川根本町梅地275) 
 ・不動?青面?六臀:文政元寅(弐卯)年七月、・小さい木造仏像:数個、・観音:宝永七、・地蔵、・小さい地蔵:多数木造あり、・地蔵、・観音:嘉永三、・地蔵、
  ・説明版:河内地蔵の由来:湯の河内沢の左岸に地蔵場と呼ばれる平場があります。そこは静岡へ抜ける街道にあたり、梅地の村人たちは旅の無事を祈って小さな地蔵を建て、手厚く供養していました。ある年の暮れ、地蔵場を通りかかった川狩り人夫の一人が「なんて粗末な地蔵だ、生があるか試してやる」と大鳶で叩き割ってしまいました。その人夫は川狩りの最中、足を滑らせ激流に飲み込まれてしまったそうです。その後梅地の村人は壊れた地蔵に代わる新しい地蔵を祀りましたが、その地蔵には貞享二年(1685)と刻まれています。更に年月を重ね、地蔵は少しずつ梅地に近づき梅雲寺の跡地に祀られていましたが、平成13年この地に安置されました。  平成13年4月20日 梅地地区 
・新:平和観音、梅地神楽説明版(川根本町梅地365⁻1)接阻峡温泉会館 
  ・梅津神楽:静岡県指定無形民俗文化財:説明版:昭和47年3月24日指定、保持者:梅津神楽保存会、起源:室町時代の応仁元年(1467)京都では足利将軍家の相続争いから応仁の乱が生じました。この頃、京都梅津(現右京区)の里に住んでいた築地氏が一族を率いて都落ちし、信州飯田を経てこの地に至って村を開きました。築地氏は京都の梅津に因んで梅津と(後に梅地となる)氏神を歓請して自ら神主となり、その社前で奉納したのが梅津神楽のはじまりと伝えられます。梅津神楽は大井川、安倍川流域に広く分布する神楽との共通点が多くみられることから、駿河神楽の一つであると考えられています。
   祭典:梅地の谺 石神社、犬間の若宮神社の祭典の前夜祭に奉納されるもので、昭和31年より両神社で隔年交互に行われています。神楽の奉納は、毎年接阻峡温泉会館で1月第3土曜日に行われます。当日は正午に神楽祭が始まり、午後4時から神楽が奉納されます。
  すべての舞の基本となる「幣の舞」をはじめ、「三宝の舞」「八幡の舞」「鬼の舞」「八王子の舞」「須佐之男の舞」「梅津流太刀の舞」「殿の舞」「恵比寿・大黒の舞」「翁の舞」「五方の舞」「金丸の舞」「宇須賣の舞」「米の舞」「大弓の舞」の16の舞があります。神楽当日には、同じ舞が2回演じられたり、ある舞が演じられなかったり、順番が入れ替わったりすることもあります。また「ヘンバイ」という特別な祈願のある時にしか行われない儀式もあり、この地域では新築の地固めや安産祈願などの特別な祈願のある時に行われてきました。近年では安産祈願や接岨峡温泉のボーリング調査、長島ダム工事の時に行われました。   川根本町教育委員会 
・谺(谷令)石神社こだまいし(川根本町梅地310)
 ・石鳥居:昭和五十五年、・手洗石:大正四年、
 ・説明版:祭神:石凝姥命いしこりどめのみこと他2神、由緒:応仁の乱(1467~77)は京都を荒廃に帰したが、この頃京都梅津に住む築地清右衛門菅原の重常という武士が都落ちしてこの地に至り梅地村を開き、氏神として谺(谷令)石こだまいし神社を創建したと伝えられている。築地氏は梅地において砂金採取を生業としたので祭神は金鉱採掘ゆかりの神「石凝姥命」(八咫ヤタの鐘を鋳造した神)を勧請したものであろう。御神体は繭形をした円石で閏年の祭りの時、神の沢で御神体を清め真綿と和紙で御神体を包む神事がある。谺(谷令) 石の社名は昔は児玉石で蚕霊こだま―蚕玉―児玉と蚕と石の関係を説く学者もいる。明治になって谺と(谷ヘンに令、谷令)の文字が使われるようになったが、木の精、木魂こだまが聞こえる境内は、心のやすらぎの場所となっている。県指定無形民俗文化財「梅津神楽」は当社に伝わる郷土芸能で隔年冬祭りに奉納される。 


・大井神社(静岡市井川閑蔵2246⁻3) 
 かつての閑蔵林道今は県道を川根本町千頭方面へ下り閑蔵駅前で閑蔵の集落へ下っていくとある。
・金属鳥居:、・子安観世音:大正十五年七月、
・説明版:鎮座地:静岡市井川2246‐3、祭神:岡象女命みづはのめのみこと、例祭日:1月2日、由緒:元禄元年創建と伝えられる。







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Posted by 兵藤庄左衛門 at 23:56│Comments(0)古道
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