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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2009年02月21日

物見塚、高尾山(牧之原市、島田市)、富士山静岡空港、石雲院

・物見塚、高尾山(静岡県牧之原市、島田市)、富士山静岡空港、石雲院
 物見塚、高尾山は富士山静岡空港用地となり消滅した。
 旧榛原町と島田市の境界尾根である。物見塚は三角点があり標高△210m、高尾山はその距離250m東南に同程度の標高であった。新幹線高尾山トンネルの上に高尾山はあった。さらに東南に500mで石雲院となる。ということは高尾山頂辺りがターミナルビルのようだ。 
 どのようだったかというと、尾根付近は一面の茶畑で、尾根の所だけが防風林というか境界線らしき林になっていた。物見塚は山頂周辺だけが塚らしくこんもり林として残っていた。下界を見れば大井川が一望できた。茶畑なので車ですぐ周辺まで行け、茶畑を徒歩1~2分で到着した。また高尾山からこの境界尾根を東南750mで中世城跡に行けた。付近は茶畑として開墾されているため、素人には城の遺構は分からなかった。
 ターミナルビル南方谷下の古刹石雲院に寄る。石雲院のすぐ裏手が空港展望所で、空港が開港すれば空港駐車場から徒歩数分ですぐ展望所または石雲院に行けるはずだ。開港前の休日は空港展望所へ行く車が多く、石雲院の参道が狭いうえ急坂のためなのと上の駐車場が狭いため渋滞する。参道直前のふもとにも駐車場があるのでそこへ駐車すればよい。参道入口から本堂へ300m。本堂から空港展望所へ100m。たいした距離ではないので、渋滞を車で過ごすより歩いた方が早い。
 石雲院は木彫りが見事。丁石等の石造物もある。休日には地場産品の露店が出る。明らかに空港展望所見学者目当て。付近にはビオトープ赤池などがある。


  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 16:16Comments(0)

2009年02月15日

湯沢峠(静岡市清水区出羽イヅツバ、湯沢)

・湯沢峠(静岡市清水区出羽イヅツバ、湯沢)国土地理院2万5千分1地図「和田島」
 このコースも、市立少年自然の家のマップや職員から詳細を聞くとよい。多分コース整備はされているだろう。興津川出羽(西)からでも湯沢川湯沢(東)からのどちらからでも上れる。
 興津川沿いの県道を北上し出羽・湯野に出る。興津川に架かる橋を渡り(標高258m)沢沿いに東へ上る。距離1kmで出羽の滝に出る。地図上では沢沿いに峠(614m)に至るが、実際は北に巻く道を通り、700mで湯沢峠「標識33」に至る。下ると「34」があり、湯沢の入り口(329m)に「35」がある。湯沢~湯沢峠間未確認。
*コース確認89年、20年経過、今後再確認必要。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 17:31Comments(0)静岡市山間部の峠道

2009年02月15日

四十坂、前沢峠(静岡市清水区吉原、高山)

・四十坂、前沢峠(静岡市清水区吉原、高山)、国土地理院2万5千分1地図「和田島」
 この付近のコースを知るには、和田島の市立少年自然の家のコースマップを入手するとらくである。コース詳細についてもそこの職員に連絡を取り教えてもらうのがよかろう。この付近にはその施設で建てた標柱が随所にあり助かる。道もたいてい草刈りしてある。
四十坂は、吉原から布沢川の吉原水源地に向かうトンネルをくぐる。(高山へのトンネルではない。) 500m 進むと尾根を越える。その右(北)尾根に少し道がついている。50mで登山道となる。それが四十坂である。以前は標識番号「99」になっていた。200m 進み上ると標識「100」だった。800mさらに上ると「17」前沢峠となった。四十坂は甲州武田軍の軍用道路「棒道」とも云われるが、詳細不明。
「17」前沢峠には、高山集落北の裏山に取り付けるコースが西「19」にある。上っていって中間点に「18」があり、「17」前沢峠に至る。峠で北へ進むと下降して前沢集落に出る。
高山集落北の裏山の北「21」は上っていくと「20」があり、前沢への農道に出る。
*コース確認89年、20年経過したので今後再確認したい。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 16:46Comments(0)静岡市山間部の峠道

2009年02月15日

・久能街道(静岡市清水区駒越~清水区入江交差点)

・久能街道(静岡市清水区駒越、国道150号線駒越局前交差点~清水区入江交差点)
 起点を分かりやすく、国道150号線三保久能街道の駒越局前交差点とする。交差点南に「油観音跡」がある。交差点から北に進むのがこの「久能街道」である。なお久能の街道は複数あるので、「久能街道、駒越~入江コース」とした方が分かりやすかろう。
 街道からそれるが、この付近、国道150号線を西に進むとJA清水駒越支店があり、「大イチョウ樹」(保存樹木)「地蔵堂」がある。その西の丘上に「駒越神社」がある。この交差点付近が駒越集落(ムラ)の中心地であり、街道はここでT字路となり、東に三保、西に久能、北に入江(清水江尻宿旧東海道方面) に通ずる交通の要衝だったはずだ。西に折れ国道150号線に沿い進むと500mほどで国道の南側に細い道というか畦道みたいなものがある。これが旧道「鉄砲道」である。
では付近の説明を終え、本街道に話を戻す。
 駒越局前交差点から北進する。200mで小さな筋違い十字交差点に出るが、その左(西)数軒手前に「里程標」がある。小さな交差点、スーパーマーケット前に「二十三夜観音」がある。 
街道からずれ、この交差点から西進すると旧・万象寺跡の「一石五輪の墓」へ行けるが、細かい道筋になるので地元の人に聞くか、事前に図書館等で郷土史資料を参考にしてもらいたい。小さいながらも中世の墓石が見られる。現在万象寺は駒越2丁目に移転している。
また街道からずれるが「二十三夜観音」から東進すると、駒越小学校、キリスト教会、「京宝院」を通過して国道150号線に出る。国道を渡ってさらに東進できる細い道があるが、これが昔の御穂神社への参道であった。この道については「御穂神社参道」として別に述べたい。
 久能街道に戻り「二十三夜観音」から北進すると、旧道らしいひなびた街を進む。600m で大橋川を渡る。30m で広い道の交差点に出る。この広い道の西突き当たりは市立清水病院になる通りだ。交差点を渡るとすぐ西に「加茂神社」である。水車記念碑など各種石造物があり一見の価値あり。北進してすぐ道東側に「加茂のお地蔵さん」祠がある。なんともレトロな通りだ。さらに北進すると、東側に「八幡神社」「寿昌寺」「東向寺」が連続して見える。西には変電所がある。すぐ広い道の交差点に出る。この広い道を西進し突き当ると、「天王山神社、天王山遺跡、筆塚」がある。本街道の交差点に話を戻して、交差点を渡り北進を続ける。西側酒屋の横の少し引っ込んだ所に分かりづらいが、「宮加三神社、力石」がある。風情がよい。150m北進し東に「村松神社」が見える。由緒ある数本の大木も見える。150m北進すると広い交差点に出る。渡って50m で西に日蓮宗「海長寺」がある。この付近では寺域が広い寺で石造物も豊富だ。100m北進で西に龍華寺に行くあじさい通りの交差点に出る。あじさい通りを西進150mで日立体育館前に立派な「龍華寺への石道標」が見つけられる。この石道標は移転してこの位置にある。この街道交差点に戻り北進する。250m で西に左折し不二見小正門前に出る。(この先の本能寺の二本手前の左折路であるが、おそらく三本手前を左折し、今は通れないが北西に進んで不二見小正門前に出るのが古道であろう。)
 (西に左折しないで直進で北進するルートは後述する。)正門前の細い道を右折(北進)し「本妙寺」に出る。この交差点に久能街道石道標がある。さらに北進400mで「村松稲荷神社」がある。境内に内容不明な石塔がある。
さらに北進400mで左に「秋葉山常夜灯」昭和11年3月建立(北矢部一丁目)がある。向かいは丸山米穀店である。一本先の左折路から「新定院」が見える。石塔、お堂等がある。北進してすぐ交差点で東に清水次郎長の墓で知られる「梅蔭寺」が見える。「梅蔭寺」に向かう東西の道を「矢通り」という。北進を続け100mで右(南岡町6-20)に「馬頭観音」が祀られている。すぐ先で直進できずいったん左(西)に回りこみ北進する。(右へ回りこむ道は下道で後述する。)200mで「月見里(やまなし)稲荷神社」の森が見える。
 その手前右に「まぶねの地蔵」が祀られている。もう数軒分北進すると左に「秋葉山常夜灯」(下清水町)がある。もう150m進むと右折路側に「牛道」、こちらに「久能街道」と書かれた表示板が民家の塀に貼られている。以前この手前に「青石地蔵」というものがあったらしいが見つからない。(牛道は後述する。)一本先の左折側に千体仏で知られる「光明寺」が見える。
東の牛道先に「下清水八幡神社」がある。境内には徳川頼宣が父家康のために建てた、清水御殿を偲んで建立した「列祖殿址の碑」がある。源為朝の笠と印籠があるとの伝説である。楠の大木もある。久能街道はすぐ先、 北進で広い記念塔通り、モダン道路の交差点に出る。右に「カトリック清水教会」がある。1935年建築で畳敷きの礼拝堂などすでに文化財に匹敵するものである。ここの石垣は「清水御殿、御浜御殿、列祖殿」の名残といわれる。
 渡って東に「慶雲寺」その裏に「禅叢寺」が見える。「慶雲寺」の反対側の西の中消防署裏が「馬場屋敷跡」といわれるが何もない。50m北進で「志みず道」に出て、東に「上清水八幡神社」の樹木も見える。200m北進で南幹線交差点や静鉄入江岡駅、JR線路をまたぐ。300m北進で旧東海道入江交差点到着。その手前に「淡島神社」「入江八幡神社」「法岸寺」が西側にある。かつてこの商店街で漫画家さくらももこの実家が八百屋をやっていた。「栄町公園・入江八幡神社」は彼女たちの遊び場だったはずだ。「淡島神社」の一本北の斜めの道はかつて軽便が通っていた線路跡である。「法岸寺」は朝顔日記のモデル・深雪の墓があり、石塔類も多い。入江交差点にはかつてあった石道標の台座があるとの、説明板が貼られているが現物は見られない。

 (西に左折しないで直進で北進するルート)「清水みなと道」
  「久能街道」の村松一丁目で、不二見小正門前に出ず西に左折しないで、直進で北進する。50mで左(西)に道が開ける。清水消防団第五分団前の道で、ここの電柱横に石道標があったが見られなくなった。隣家に尋ねると、剥離し危険そうなので2年ほど前に取り払ったのだろう。今はどこにあるか知らないとのことだった。どこかで保管されていることを望む。この石道標が「南久能山道、清水み奈登道、江志里海道」と刻まれた物と思われる。さらに20m北進で「本能寺」がある。この本能寺前の道が清水みなと道で、北進していくと村松原、幸町、八千代町、梅田町、上を通りしみず道の一本違いとなり、江川端と合流する。上の江川端合流地点で江川端を南下していくと松井町で清水小西端を通り、この先の浄念川を渡る。川水はこの川から江川端へも流れているようだ。さらに南下すると市民体育館前に出て本能寺のすぐ東通りになる。江川端ルートと本能寺西の通りは平行している。さらに浜沿いの東に次郎長通りがやはり平行してあり、本能寺方向に向かい手前の市民体育館前で途切れる。より内陸側に旧久能街道があることとあわせ四本の通りが平行し南北をつないでいたことになる。しかもそれらが不二見小東側の本能寺辺りで合流するような道筋をとっている。四本の通りは基本的に内陸側が古く、海が開拓されるにつれより浜側に道ができていったというダウンムーブメントの法則が適用できるだろう。これら地元で浜道、海道、港道と云われる道の調査研究は「ぶんかさろん・しみず」等が行うとのことで成果を待ちたい。

・牛道
  「牛道」は、「久能街道」の「青石地蔵」や「光明寺」がある辺りから「下清水八幡神社」へ抜ける道である。付近の民家の塀に表示板が貼られている。神社を過ぎ広い道を横断し、上二丁目に到達するまでである。その昔港に向かう牛が通った道である。
さらに直進する路地は「井戸小路」といわれる。「井戸小路」に平行するもう一本南の路地を「おばけ小路」という。「井戸小路」と「おばけ小路」の間の小さな路地を袋小路や引出し小路と称した。上二丁目と本町の境で富士見橋に行く通りを「ふだのつじ」という。

・下道
  「久能街道」が大名行列などでにぎわっているときに地元の人が裏道として利用した道である。先ほどの「久能街道」上、梅が岡と南岡町の直進できないところ、田中畳店前を右に行くのが、「下道」である。いったん右に行きすぐ北上する。決して右折しそのまま右(東)の梅蔭寺方向には行かないこと。やや広い道を横断した先で道が分かりにくいが、右斜め方向に路地が続いている。すぐに「月見里(やまなし)稲荷神社」が左に見える。さらに右斜め方向に進んでいくと三五教道場と「福厳寺」の間を抜け「下清水八幡神社」の右に出て、牛道と合流する。

  


Posted by 兵藤庄左衛門 at 15:36Comments(0)久能時観音道