ビデオ『歴史の道百選 東海道』全3巻 TDKコア 

兵藤庄左衛門

2012年05月04日 14:57

☆ビデオ『歴史の道百選 東海道』全3巻 TDKコア 
箱根、小夜の中山、鈴鹿峠を紹介している。いつか行ってみたくなる光景だ。もっとも古道らしいところをうまく見せている。歴史的紹介も手際よい。
○・『歴史の道百選 東海道 第1巻 箱根路』(箱根湯元~箱根峠~三島宿)約35分  
箱根旧街道は小田原宿から芦ノ湖畔、箱根宿を経て箱根峠を越えた三島宿までの八里30kmで、遺跡や石畳が多く歴史の面影が色濃く残る古街道である。
箱根湯本、小田原から4km、早川に架かる三枚橋からはじまる。~早雲寺:北条早雲遺言で作られた、北条文化、北条五代の墓、北条早雲像、枯山水香爐峰(北条幻庵作)、鳴き方独特ヒメハルゼミ~正眼ショウゲン寺、地蔵信仰、石仏石塔、曽我堂、曽我五郎槍突石、箱根旧街道、ハコネサンショウウオ~大沢坂、石畳、江戸期のもの~、 1’18”経過開始
 畑宿、箱根寄木細工発祥地、シーボルト絶賛、間の宿 ~畑宿の一里塚、23里目、石畳、排水路の石畳~甘酒茶屋~お玉坂、1702年処刑~、6’32”
 お玉ヶ池、那津奈可池なづながいけと言われていたが関所破りで処刑されたお玉にちなんで名がついた~白水坂(城見ず坂)秀吉軍勢が北条軍から攻撃受け城を見ずに退却したため伝~天ヶ石坂~休憩広場:二子山展望、♫箱根馬子唄♬~権現坂、ここから下り坂、芦ノ湖~湯坂道(鎌倉古道)、アジサイ、芦ノ湖~、11’06”
 箱根神社、もとは箱根権現、関東の鎮護神、山岳信仰、18’19”
 箱根杉並木、650m区間残存、樹齢350年の杉は生育に適さない松から植え替えられたと推定される、 19’17”
箱根関所跡、昔山裾が芦ノ湖に最も迫っていた場所に設置、箱根関所資料館、20’37” 
 箱根宿、幕府が小田原と三島から50戸ずつ移住させて開設、今も町名に小田原町、三島町が残るが往時の面影はない、本陣跡:箱根ホテル前の楓の木:樹齢400年~芦川の石仏~向坂~ 、21’47”
箱根峠、西坂、箱根竹、元はキセルの原料で箱根峠道に敷いていたが労力が大変なので石畳にしたという~兜石坂~施行平、ウツボグサ、ホタルブクロ~念仏石、自然石に南無阿弥陀仏と刻む~願合寺の石畳、ニホンミツバチの巣~雲助徳利の墓~、23’01” 
 山中城跡、畝堀、北条氏築造、秀吉小田原征伐落城、障子堀、本丸跡、矢立の杉~宗閑寺、豊臣と北条武将の墓~富士見平、「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」芭蕉~上長坂地区の石畳~こわめし坂、馬頭観世音~錦田の一里塚、約1km松並木~ 28’06”
三島宿、江戸から12番目、旅籠屋多く70~80軒、樋口本陣門(円明寺)、世古本陣門(長園寺)、三島宿風俗絵屏風:三島信用金庫蔵~三島御殿神社:御殿の屋敷神~三嶋大社~ 31’43” 

○・『歴史の道百選 東海道 第2巻 小夜の中山道』(島田宿~大井川~日坂宿)約34分  
 川留めでも賑わった島田宿から越すに越されぬ大井川を渡り金谷宿を経て小夜の中山峠越えで日坂宿への行程。徳川幕府政策により大井川には徒歩渡りしか許可しなかった。
島田宿、最大28日間の川留め記録がある。松尾芭蕉も4日間川留めされた。~大井川川越遺跡:川会所(川越業務を管理運営した所)・蓮台・~塚本家跡:松尾芭蕉逗留・連歌「やわらかにたけよことしの手作麦」如舟「田植とともにたびの朝起」芭蕉~朝顔の松:「朝顔日記」近松門左衛門作~  1’18”経過開始
 大井神社、島田宿氏神、川越安全祈願、土手石垣・平石橋・川越制度廃止後失業した人足や幕府役人は牧之原開墾茶農家 5’09”
 大井川、川越人足、川越し制度1696年、~蓬莱橋:1879年完成の木橋~ 6’14”
 金谷宿、東橋、川留めでも栄える、川を渡ると水祝いと称して酒を酌み交わしたという、佐塚本陣跡、~不動橋:宿西木戸~金谷坂:平成石畳復元、すべらず地蔵:平成~牧之原公園:周辺茶畑~ 8’12”
 諏訪原城跡、1569年信玄砦築く、甲州流築城術、1575年家康によって落城、本丸跡~菊川坂(菊坂):石畳復元~ 13’29”
 菊川の里:間の宿、頼朝・藤原宗行・日野俊基等が通った、詩碑、石道標:遠江三十三箇所観音霊場巡り、 14’52”
 久延寺、山内一豊が境内に茶室を設け関が原に向かう家康を接待したという、そのとき利用した御上井戸、家康手植え五葉松、 19’05”
 小夜の中山公園、歌枕名所:「年たけてまた越ゆべしとおもひきやいのちなりけり小夜の中山」西行・「旅寝するさよの中山さよ中に鹿ぞなくなる妻や恋しき」橘為仲朝臣、狭い谷さやが語源、~小夜鹿サヤカの一里塚~涼み松:「命なりわずかの笠の下涼み」芭蕉~夜泣き石跡:安藤広重「東海道五十三次日坂夜泣き石図」レリーフ、2つの夜泣き石:小泉屋裏と久延寺、夜泣き石伝説・山賊に殺された妊婦の子が飴で育ち仇を取った等~扇屋:子育て飴・川島ちとせ~沓掛七曲り:急坂~  20’58”
 日坂宿、旅籠屋33軒の小さい宿場、本陣扇屋跡、1852年大火、~相伝寺:秋葉山常夜灯:天保十・槙の木~旅籠:川坂屋:大火直後建物で江戸期唯一残る~常現寺:1501年創建・旅人の無縁仏多し~  28’41”  

○・『歴史の道百選 東海道 第3巻 鈴鹿峠越え』(関宿~鈴鹿峠~土山宿)約35分  
三重県と滋賀県境の鈴鹿峠、東の箱根と並び難所、
関宿、関町、日本書紀にも名がある関、47番目宿、東の追分:伊勢神宮一の鳥居、伊勢別街道分岐15里、20年に一度のせき年新宮、石道標、建立・行基伝:地蔵院・愛染堂:重要文化財、地蔵院庭園、瑞光院、権現柿、ご馳走場:地元役人等出迎え用、東西1.8km宿場町歴史的景観保存、むくり屋根:楕円形屋根、塗籠(ぬりごめ):土蔵風漆喰塗り、環金具、揚げ店(ばったり)、関まちなみ資料館、町屋建築、箱階段、部屋三間、裏庭、土蔵、関宿旅籠玉屋歴史資料館:玉屋は今なら高級旅館・安藤広重「東海道五十三次」にも描かれる・広い土間は台所・離れは欄間等高級特別室、深川屋ふかわや寛永年間創業和菓子屋・和三盆:こしあんをぎゅうひで包み白くまぶし鈴鹿の峯に積もる雪に見立てた、関の戸:荷担箱、西の追分:左大和街道・右東海道鈴鹿、 
沓掛の集落、のどかな田園風景、 
 坂下宿、街道有数の宿場、大竹屋本陣跡:大本陣、岩屋観音:高さ18m巨岩に掘られた穴に3体石仏安置、古町(旧坂下宿):1650年代洪水壊滅、サツキ、 
 片山神社、鈴鹿権現・鈴鹿明神・峠越え安全祈願、3常夜灯:享保・文化・延享、ここから鈴鹿峠越え急坂八丁27曲がり約1km、「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」松尾芭蕉、「憂き世をよそにふり捨てていかになりゆくわが身ならなむ」西行、頂上手前広場は茶屋跡、寛永期8軒茶屋、 
 鏡岩、茶屋跡から脇道進むと鏡岩:姿見伝説・盗賊見張り場伝、田村神社跡:征夷大将軍坂之上田村麻呂鬼女または山賊退治伝説、 
 鈴鹿峠、茶畑、土山町立歴史民俗資料館、茶壷、一大産地、
 万人講常夜灯:巨石3千人奉仕造った、穏やか坂道、鈴鹿馬子唄、一里塚緑地、のどかな田園風景、 
 田村神社:土山宿入口:坂之上田村麻呂鬼女退治伝説:厄除け、 
 土山宿:あいの土山のあいは坂下と相対するか間の宿からという、古代から近江と伊勢を結ぶ交通の要衝、土山本陣、関札多数保存、宿帳、上段の間、街道分岐点多し、石道標、御代参街道は伊勢参拝後の多賀大社参詣利用・あんらく峠・豊臣秀吉も通行、 


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