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2015年01月04日

小山街道コヤマカイドウ~(藤枝市~焼津市:旧大井川町)

                           著作権者:兵藤庄左衛門
~小山街道コヤマカイドウ~(藤枝市~焼津市:旧大井川町)
 藤枝市の小山街道は、田沼街道の古形態とされる。確かに今の田沼街道の横を内陸側に寄って通じている。『定本 静岡県の街道』(郷土出版社)では藤枝市藤枝宿西入口瀬戸川西堤防で東海道から分かれ吉田町小山城下までの道である。古来は色尾越イロオゴエと云われた。中世頃に使われていたようだが開設時期は不明である。歴史に見えるのは戦国末期武田勝頼と徳川家康による田中城周辺の争奪に関して行き来されたことが分かっている。
 田沼意次が相良城主になり、東海道藤枝宿から相良までの街道を整備した。これが通称「田沼街道」であるが、小山街道を整備して田沼街道になった部分と、田沼街道から外れた小山街道の部分もあった。それが藤枝市兵太夫新田以西である。
 ちなみに大井川を渡った後、島田市中河に出て、吉田町小山城に向かうのだが、このルートが現在不明である。私見を述べると、おそらく中河は地名からみても、大井川の中州であるので、一刻も早く大井川の支流を含めて渡りきりたいだろうから、西岸の初倉の山麓に達したのではなかろうか。特に増水しているならなおさらである。ここから山麓の道をたどり、小山城に向かうのが水対策上は得策である。

この本文を読んでいくとき、ゼンリン等の住宅地図があると道筋が分かりやすいことを付け加えておく。筆者は古い住宅地図を古本屋で1冊千数百円で購入している。新品は1冊1~2万円しますから。或は図書館で見開きページの半分以下をコピーできます。田沼街道については「古街道を行く」等を参照してください。実地調査:’14 11月。

 では道筋をたどるが、初めは田沼街道と同一であり、勝草橋周辺を含めて紹介する。

~旧東海道勝草橋周辺含む、瀬戸川東岸~  
・出雲大社分院(藤枝市藤枝二丁目1番地) 
 ・新:手洗石 
・常夜灯、・石 

・川除地蔵×2(藤枝市藤枝二丁目2番地 老人憩いの家) 
 ・馬頭観音 
・常夜灯、・石 

~旧東海道勝草橋周辺含む、瀬戸川西岸~  
・秋葉公園(藤枝市志太三丁目3番地) 
 ・常夜灯 
・地蔵、4~5基(志太三丁目13番地)瀬戸川土手沿い 

・勝草橋、橋の袂に田沼街道由来版、他に勝草橋由来、 

・田沼街道史蹟説明版:分岐点、(志太四丁目14番地)勝草橋西岸300m下る
 ここから田沼街道分岐であり、小山街道でもある。
・周辺紹介 
 ・龍王神社 
 ・葦中観音堂 
・塩取橋蹟(青木二丁目18番地)   
 ・説明版:江戸時代田中藩では海岸方面から運ばれてくる塩に税金をかけ、青木地区周辺に住む元締めにその責務を負わせていた。そこに架かる橋の名が塩取橋といった。今は川筋も変わり橋もない。
 *田中藩:藤枝市田中に田中城跡があり、現在は西益津小学校と中学校になっているが、一部家屋が再現されている。
・田沼街道説明版(青木二丁目1番地)  
 小山街道についても記載されている。この辺りは小山街道がそのまま田沼街道になった辺りで、どちらも同一路だ。
 
~ここで県道33号線:主要地方道藤枝大井川線:藤相田沼街道に合流する~
 これが現在の田沼街道である。JR東海道本線のガード下道をくぐり、古道はまたしばらくすると分岐していくが、田沼街道は東側(左)、小山街道は反対の西側(右)である。

・稲荷:祠、・石製家型道祖神(田沼四丁目5番地)  
 この辺りで現在の県道:田沼街道から離れ1本西側の裏道に入っていく。
・馬頭観音 昭和十二年 大石次郎宅入口前(田沼四丁目7番地) 
 この辺りで馬頭観音に出くわし、古道の雰囲気を感じられる始まりである。
~新幹線ガードをくぐり150m南下する~ 
・八幡月夜見神社より北側 (田沼1丁目12~3丁目16~4丁目4~) 
 JR東海道本線南側手前で旧道の名残のような道筋の道は新たな都市計画区画整理で消失したようだ。ここから現在、田沼街道と呼ばれる県道の西側に沿って南下していく。ルートは田沼1丁目12~3丁目16~4丁目4~5丁目11~新幹線ガード下~高洲7である。
小山街道は八幡月夜見神社の横の道とされていて、ちょうどそこに出る。
・八幡月夜見神社(藤枝市高洲9)  
 ・石鳥居:昭和三十八年、 
 ・手洗石:文化十五 
・常夜灯×2:明治四十四年 
・御神前燈籠:安? 
・表忠碑 
・石:家:道祖神 
・大嘗祭記念:平成二年 
・小山街道碑:平成十年:説明 

神社東側道を南下。高洲南幼稚園と高洲南小学校の間の道を南下。藤枝市上水道泉町配水場の東側を南下。栃山川土手に出て橋がないので迂回するが、川向うに道はない。大洲中学校東側の道が街道の系譜を引く道と推定する。弥左衛門と大東町の境の道である。基本的に古い街道は境界線になることが多い。焼津市(旧大井川町)に入ると、また道が消失する。少し南にある西進する道を通って大井川土手に到達して一旦終わり。
ただその道より北側の道を通って大井川土手に至る道の方が神社や寺がある。 

 栃山川に出ると橋がないので、200m下流の代官島橋を渡る。
・地蔵:明治四十四年(大洲四丁目2番地)代官島橋袂  
 大イチョウもある。隣は公園。
~公園横を100m上流へ道を進み左折し南下する。大洲中学校南の弥左衛門と大東町境の道を進む。~

・伝栄寺(大洲5丁目5番地13) 
道が1~2本北にずれた位置だが周辺紹介する。おそらく伝栄寺や次項目の八幡宮前を通る道は藤枝市前島や青木方向へ進む道の古道
と思われる。
・六地蔵+1、・祠:・観音3:札所等拾五番、・地蔵4、・石燈籠4、・新:地蔵:ニコニコ、・地蔵:享保十九、・新:五重塔、・石:家:道祖神、・新:竣工記念碑2、・手洗石:穴がひょうたん型、・新:良徳観音、
・庚申塔 宝暦十(大洲五丁目15番地) 
県道島田大井川線沿いにある。昔次項目の八幡宮から伝栄寺に向かう道沿いにあったようだ。
・八幡宮(焼津市上泉1403) 
・説明版:14世紀中葉、川除の神として祀られた。
・石鳥居:昭和十五年、・石碑2:昭和四年:~工事、昭和十八年:□□八幡宮、・常夜灯2:昭和十五年、・コンクリ鳥居2、・石鳥居:慶應元年、・常夜灯2:昭和、・石柵:大正十五年、・狛犬2:昭和十六年、・鬼瓦、・手洗石2、明治(?三)年、天(?保)四、・祠:神6~7合祀、・手洗石:平成十三年、 
・蓮性寺(上泉1199) 
・近代:南無法蓮華経(?参)界萬霊、・墓石,観音,地蔵を合祀の中に「馬頭観音:昭和十三年 相草号」等が見つかる。
・板碑:老農山下幸五郎君碑銘、・石碑:父母~~昭和二十九年  
寺前の通りの向こうにある。
・馬頭観音:昭和三十年代  
2003年3月、大洲中学から蓮性寺辺りにかけての道沿いに昭和三十年代の高さ20~30㎝の小ぶりな馬頭観音があったが、2014年11月には見当たらなかった。
多分、'03には存在しなかった新しい道路:(東名吉田ICから直接大井川を渡り旧大井川町側の県道島田大井川線に出られる新道)が小山街道より道路1本南に作られたため、事前に移転したのではなかろうか。

ここより大井川土手近くは大規模工場等になり昔の道など存在しないし、土手沿いを見ても石仏等も見当たらない。


大井川向うの吉田町側の道は不明。
・吉田町  
・小山城(吉田町片岡):(展望台として近世の天守閣:犬山城を模したといわれる)がある。戦国末期に武田・徳川両軍により激しい奪い合いが行われたことで知られる。中世山城で砦はあったろうが、近世の天守閣はまったくありえない。しかし付近の三日月堀等が残存していて中世末期の歴史資料として重要である。悲劇の城としての言い伝えもある。天守閣に歴史価値はないが、内部は吉田町資料館として一見の価値がある。
・能満寺(片岡)  
・遠州七不思議に数えられる「大蘇鉄オオソテツ」が有名、吉田町きっての名刹。ちょうど小山城の麓にある。

・参考資料
「定本 静岡県の街道」郷土出版社 ’90、¥16000→¥3500  
「’93藤枝市 ゼンリン住宅地図」¥11500→¥1200 
「’94大井川町 ゼンリン住宅地図」¥8000→¥900 
「古街道を行く」鈴木茂伸、静岡新聞社、


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Posted by 兵藤庄左衛門 at 23:00│Comments(0)古街道
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