さぽろぐ

  文化・芸能・学術  |

新規登録ログインヘルプ


2012年02月05日

久能街道(大谷←→駒越←→鉄舟寺)

久能街道(大谷←→駒越←→鉄舟寺) 
・序文
 久能山東照宮道の後半部分である。前半は近世東海道伝馬町の西之宮神社や伝馬町小学校近くの石碑辺りから南下し高松交番までである。消失したところもあるが、残存部らしきもある。
 後半は高松交番で東に向きを変える。ここから東大谷や西平松バス停辺りまで区画整理され直し旧道は消滅した。久能山東照宮入口まで旧道は一定の幅(車が通れる広さ)でまっすぐではないが、それでも曲がりを抑えたストレートな通りといえる。
この道はいつ作られたのだろう。明治20年代にはすでに旧道がメインストリートとして使われていたことは分かる。旧道より北に時々路地が現れるが、だいぶ狭く紆余曲折している。江戸時代初期に家康の葬儀が通過し石蔵院前で舎人が殉死したことは知られている。おそらくこの葬儀の列は旧道を通ったのではなかろうか。もしかするとこの葬儀のために拡幅工事をしたのかもしれない。
 東照宮入口より東へは一旦東照宮鳥居前参道に入ってから東に向きを変え狭い道を上り勾配で東に進む。この道は先ほどの道より曲折し狭く勾配もきつい、古道の趣がある。おそらく東照宮より先の道なので葬儀に関係ないので拡幅等を行わなかったためなのか。
 久能山東照宮道が高松の交番にて東に経路を変える。
・薬師堂(高松公会堂裏)  
 高松交番の西南にある。鳥居、石塔:「奉納大乗妙典六十六部…文化五戌…」、他全4基、手水鉢:「大正十三」、地蔵2基、大日如来、社、祠、「庚申塔文政十三年…」。
広い車道は東に直角に曲がるが、旧道は車道の南裏にあり、南裏路地として東進する。大谷から久能、駒越、さらに鉄舟寺までの歴史遺産と道を紹介したい。
大谷川橋を渡り、南6軒先に格好屋商店がある。
・格好屋商店(大谷2265) 
 元回漕問屋で大谷港からの物資を配送していた。東京から格好良い物を仕入れていたので屋号になった。岩崎氏宅。11年4月周辺は区画整理され直し西側角の大村酒店は営業しているが、格好屋や他の店は見当たらず、新しい家ばかりである。
 付近には西から「格好屋橋」「隠居橋」「郷蔵橋」の橋があった。川は暗渠で道となり橋の面影もない。東大谷あたりまで区画整理され直し旧態はない。
 旧道は広くなった大谷街道交差点で消失する。ここから八坂神社に向かう旧道辻の地蔵祠前に出る。旧道より古い道は車道より北を通っていたかもしれないと思う。
・八坂神社(大谷) 
 創建不詳、棟札1672,1854年、元牛頭天王社、樹木100~300年、石鳥居:明治二十九年建造昭和六十二年再建、石灯籠:元和三1617年、慶安元1648年、手水舎:文化三1806年。
・海岸山大谷不動明王、加羅倶利堂(大谷) 
 地蔵祠東先を左折するとアスレチック広場のある大谷不動の山に行ける。参道途中に庚申塔等の石塔14基、地蔵7基が安置されている。大谷不動の由来は漁師が漁をしていて網にかかったのが石仏で、それを祀ったものだという。大谷不動の西側には地蔵堂(地蔵、大日如来)がある。歯痛封じの地蔵である。倶利伽羅堂という。石灯籠:元和二年、六地蔵、80cm×1.5mの台石。
・東大谷地蔵尊、祠(大谷25611→移転、東200m) 
 『久能山東照宮道』や『大谷街道』参照。2011年4月細かった道は広く付け直され、旧道のルートも付け直され周辺も区画整理されて新しい家ばかりで、旧態がほぼない。地蔵は東に移転した。
説明版「宝永六巳丑(1709)年より宮小路入口、行部沢家の屋敷内に祀られていましたが東大谷・西大谷の区画整理に伴い東大谷山田喜代司様こう様の御寄進により土地を譲り受け移転安置し供養する。大正寺 平成二十一巳丑(2009)年三月吉日」
この2年前1707年に宝永地震があり、それへの供養の意味があったのだろうか。
・祠、お堂(東大谷) 
山際にある。かつては各個人宅の裏で祀られていたものであろうが、区画整理で山際に新道ができ見つけやすくなったというものか。
・かわなび、静岡市治水交流資料館 
大谷川放水路(後久川)河口の東側で東西大谷公民館隣で放水路の操作場にある。七夕豪雨等について知ることができる。現代の施設だが、歴史資料に触れられる。
・釜屋、篠田氏宅(大谷2726) 
 東大谷バス停を通過した先、篠田氏宅がかつての田中助右衛門鋳物工場:釜屋跡である。区画整理で旧態がない。
・大谷港跡(大谷2508)、浜橋付近 
 大谷境バス停を南へ行くと浜橋になる。この付近がかつて駿府への荷をあげ降ろしていた港で、格好屋が問屋だった。区画整理で旧態がない。
・慈恵院慈恵観音教(西平松63) 
 西平松バス停前。この付近から旧態をたどれる。
・西平松閻魔堂、西平松公民館・老人つどいの家 
 説明版「久能街道沿いに江戸時代からあり、通行人の休憩所と安全を願う場所。毎年8月14日祭り。閻魔大王坐像中心、十王坐像、脱衣婆坐像、地蔵菩薩立像、司命立像、司録立像、計15像。」
・たい泉寺(西平松183)、(たいは小偏に台つくり、小台) 
 久能街道から左折(北)し山に向かう。山すそにある。
・天羽衣神社(西平松175) 
 久能街道を横切る橋を渡り山に向かい北に進むと山すそにある。三保とは違う伝説をもつ神社である。説明看板、伝説:「中平松に住む男が仕事帰りに駒越の浜の松に掛かる羽衣を見つけ家に持ち帰った。天女は取り返すため素性を隠しその男の許に行き仕えた。三年後隙を見て羽衣を取り返したが霊力が尽きていたのでお清めをしているところを見つかった。天女は事情を語り氏神として祀れば永く守護すると誓い天に帰った。そこで村人は氏神として祀ったという。」石灯籠、狛犬:近代。
・江雲寺(西平松170) 
 石塔26:「奉納 観 供養 安政五 七月壱日」「奉納 善光寺如来 明治三 三月」「奉巡拝 善光寺如来 一国三十三所 當村 明治十八年三月吉日」「奉順禮一国三十三所観 信州善光寺 天保六 七月七日」「奉順拝 一国三十三 信州善光 天保十五 七月」「奉順禮一国三拾三所供養 明治三 七月」「奉納 本州三拾三所観世音 信州善光寺 供養 文政十三寅年 七月上」「奉順拝 西国三拾 天保十五 七月」「奉納西国三十三所観世音菩薩供養 寛政四子年 五月十七日」「奉順拝 本州三十三所観世音 信州善光寺 供養塔 文政元」「奉納西国三拾三所 文政十一子年」「 寛 」「三十三所」「三界萬霊 文政六」「前住貞岳  」「詳鶴祖瑞□肴 寛保二」「三界萬霊」「圓寫稍瑞岳□ 文化十三」「――女 明治十――」「西国三十三所 安永」「西国秩父坂東供養塔 安永四」、比丘尼の墓?:「 五 」「 天保五 」
「奉納壱國三十三所」「奉納壱國三十三所」「奉順拝西国三十三所 天保十五 七月」「三十三所」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 」「奉順禮一国三十三所 信州善光寺」「奉順拝一国三十三所」。
六地蔵:「文政十三」
・道祖神(中平松) 
 石造り道祖神。消防第13分団小屋隣。
・龍珠院(青沢39)青沢公民館、青沢老人つどいの家 
 久能街道を東進し殿谷川を渡ると青沢であり、北側2~3番目の路地を北に進むとある。記念碑もある。
 青面金剛祠、地蔵、庚申塔3:「卍庚申供養塔 萬延」石塔、手洗石、板碑、石塔12?:「――三拾――等」「西国三拾三処」「奉□□□三拾」「奉順礼一国三十三」「――三十三所」「西国三十三所供養」「一国三十三所供養」
・八幡宮(古宿14) 
 久能幼稚園前を過ぎ、川も過ぎると古宿であり、すぐ山側に左折し北進するとある。石灯籠「弘化」。手洗石「明治十八年」。すぐ横を「すんぷゆめひろば」へ行く新道が通り周辺の様子は変貌している。
・継全寺(古宿29) 
 古宿バス停を過ぎ左折し進むと山すそにある。石塔3:「大乗妙典供養」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 明治三拾□ □月吉日」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 供養塔 七月吉日」、石塔9:「奉納西国三十三所霊場供養塔 寛政六寅 四月吉翔日」「奉順禮一国三十三所霊場供養塔 寛政六卯寅八月吉日」「奉順―――供養」「奉順拝信州善光寺如来  
―――三十三所供養塔」「奉順禮一国三十三所」「奉納西国三拾三所観世音供養塔 天保十二 七月」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺 供養塔 明治三十九」「奉順拝一国三十三所 信州善光寺」
 この辺りの人々は西国三十三所や一国三十三所を回り、お礼参りに信州善光寺に行くことが一般化していたようだ。
・地蔵堂 
地蔵2、庚申供養塔3、継全寺門前の古い生活道路沿い(おそらく江戸期初期以前の旧道)の分岐点にある。
・阿弥陀堂(安居55)  
石塔3:「宝暦」、どうも墓石らしい。
・安居山石蔵院(安居272) 
 久能小や久能JAを過ぎ古安川を渡り、安居バス停をも過ぎると、左にある。お葉付き公孫樹(葉がついたまま結実することが珍しい)が有名。家康が崩御したとき慕う武士が門前で殉死したことでも知られる。
 井出八郎右エ門墓(殉死した舎人、下級武士)、顕彰碑、地蔵堂
 その先に神社がある。
・安居神社(安居288) 
 街道を左折するとすぐ参道でその先に拝殿がある。創建不詳、再建文化元年(1875)、句碑?:判読不能、石灯籠:「安古大明神 元和二」2、立派な物で刻字もはっきり読める。徳川家康が死んだ年で江戸期初期の物がいまだに健在であることから、しっかり保存されたか、それなりの高級品であると推察される。江戸幕府が家康死去に際し高級品を奉納したのか。ソテツ2、
 隣は寺である。
・宝台院別院(安居291) 
 宝台院自体は静岡駅前、常盤町2丁目にある静岡市を代表する古刹にして名刹である。本院は家康の守り本尊を祀ってあり、家康の変わりに矢を受けた傷もかつてはあったが、修理してしまい矢傷はなくなってしまったという。家人の野上氏より聞いた話である。他にも家康の妻で秀忠の母の西郷の局の墓もあるなど、寺宝は貴重だ。
 ここはその別院である。
 柳沢川を渡ると、左の山に東照宮が見える。
・柳澤橋:石碑 
 橋の袂に古い石碑がある。
・廃道のかつての日本平ハイキングコースだった所、一応立ち入り禁止 
 柳沢川に沿って上っていく林道があり、林道がなくなってからは、歩けそうな所を行くと、入り込んだ人たちによりかすかなコースが設定?されている。一種の裏本のような裏コース登山報告や知っている人たちの道案内で登山可能である。建前上、一応危険なため立ち入り禁止である。1970年代の豪雨により、日本平ロープウェイ駅前から久能へのハイキングコースががけ崩れで歩行禁止となった。その他にも多くの日本平周辺コースが廃道となっていて、冒険好きは冬に入り込むチャンスではある。ただし自己責任です。
・久能山東照宮(根古屋390) 
 家康が崩御して最初に埋葬されたところである。日光にはのちに祀り直された。しかし全国的には日光は知られていても、静岡市にあることはほとんど知られていない。石段で行くもよし、日本平からロープウェイで行くもよしである。かつては武田氏の久能山城があり、勘助井戸が残る。それ以前は名刹古刹の久能寺(現鉄舟寺)があった。現在東照宮、博物館があり、家康権現を祀った石造物もある。神社は国指定重要文化財になった。
 麓には梅園、売店など門前町の風情が漂う。
・徳音院(根古屋392)  
 東照宮参道石段入口前にあり、かつての東照宮の別院寺院だったが、寺院は明治になり廃止されお堂(一聖天堂、他一堂)だけが残った。石灯籠「両大師」
・八幡宮(根古屋318) 
 参道途中の売店「かどや」で東に曲がり進むのが、かつての旧道ルートである。老人ホーム(かつての保養所久能荘)の裏にある。石灯籠:「元和二」2、立派な物で刻字もはっきり読める。先ほどの安居神社の物と同類と推察される。これも高級品の奉納物か。
 旧道はホテル横の滝が原川を渡り住宅のある所を少し上り、また下って現在の旧国道に合流する。ここまでが古街道らしさが残っている。
・白髭大明神神社(清水区蛇塚120、中組) 
 さらに東進すると久能街道と旧国道150号線が合流し、その先で清水区となる。さきの八幡宮からの道も滝ヶ原川を渡り清水区に入る。唐津川手前の道を北に進むと神社がある。
なお現在の国道150号線バイパスは海岸沿い堤防上のサイクリングロード上になっている。
 祠、鳥居「明治元年」
・お堂、蛇塚公会堂(清水区蛇塚221、中組) 
 石塔類12:「文政八年 奉納西国三十三所供養塔」「文政九年 蛇塚 奉納西国三十三所供養塔 七月吉日」「元禄十七甲申天 奉納西国三十三所供養塔 願主蛇塚村」「宝暦十二壬 ――助譽是心大徳 三月二 」「奉納當国三十三所蛇塚村 元文元辰七月朔日 同行」「奉順禮當国三十三所観世音」「□奉禮念大悲観世音――西国三十三所」「圓寂全得――」(墓?)「――供養塔 蛇塚」「奉順禮當国三十三所観世音」「宝暦三 禅□信士心 十二月三――」(墓?)等
・龍宮神社(清水区蛇塚382、新田原) 
 さらに400m東進すると神社というかお堂がある。説明板碑の概略:「明治4年、古老の古記書による。正安元(1299)年五月中頃、海を漂流してきたものが漁網にかかる。木像あり。社建て祀る。信心すると御利益が増したので、社を造営すること数度に及んだ。古記書は先年の大時化で消失した。」
・龍源寺(清水区増114) 
 濁沢川を渡りしばらくすると増集落となる。やや山沿いに古い道が曲がりくねりながら通っている。そこに寺がある。石造物:地蔵2。
 いったん国150号に戻り進むと左山手に神社がある。
・伊勢神明社(増206) 
 人家の出入り口付近から左への山道を歩いて上る。
・石塔(増259) 
 国道沿い人家の石垣壁沿いに安置されている。
石塔3:「奉請庚申供養寶塔敬白」「□百所之観世音菩薩 宝永三丙戌歳□秋廿日 増村居住同行 笏(竹冠なし)現 伊右門 忠右衛門 太郎兵衛 忠三郎」「奉納西国三十三所 」
・清苺神社、記念碑「石垣いちご発祥の地」(増260) 
 新しい神社なのだろうか。これまた人家の横から「ヘレン・ケラー来園」の看板に沿って農道を上る。横に記念碑「石垣いちご発祥の地」がある。
・萬象寺(駒越西二丁目9) 
 かつてはこの地ではなく、もっと東の駒越中1~2丁目辺りの古びた五輪塔が多くある所であった。移転したためか常夜灯が古いくらいで他の石造物で古い物が少ない。
・鉄砲道(駒越西二丁目17) 
 萬象寺前の国150号線向かい裏に舗装のない歩道というかあぜ道がある。これがかつての鉄砲道といわれる。久能街道の古道残存部とも考えられる。
 幕末から明治初期の海岸警備隊や軍隊が鉄砲練習の行き帰りに使った道という。
 鉄砲道から駒越神社の南に出る道がかつての久能道古道であろうか。
* 駒越神社、延命地蔵堂、大公孫樹、その先の久能街道駒越出発点については、「久能街道駒越ルート」を参照されたい。ここで駒越ルートに接続した。

 ここから先は萬象寺辺りから北進して鉄舟寺に至る「久能寺観音道ルート」への接続ルートを紹介していく。
 萬象寺の西の柑橘試験場や清水社会福祉事業団前を通過する道は山すそを掘って水平直線にした道で明らかに新道だが、かつては山すそに沿って曲がりくねる細い道があったはずだ。また萬象寺の東のもう少し低い所を通る道もあったと思う。両方とも開発され古い道はなく直線化した車道となっている。どのみちこの先の忠霊塔公園東入口または西に向かうだろう。
・忠霊塔公園(迎山町1)  
 
・殿沢の古墳
 殿沢から清水病院前辺りに抜けるのだろうが、ルートをたどることはできない。この辺り旧道が分からない。

・天王山神社、筆塚、天王山公園、古墳(宮加三789) 
 古墳で神社で目印になるランドマークだ。

ここから古い観音道は左斜め上(北西)に進んでいく。東邸の西から旧日本平道路(日本平アウスタ道路)を横切り、北進する。このルートが旧観音道と思われる。
・龍華寺(村松2085) 
 庭がきれいで有名。高山樗牛の墓もある。
 門前を南北に通過する道が観音道である。ここから鉄舟寺に至るのだが、道に沿っていったん広い新道に出て鉄舟寺に至るのか、もう少し山際を通って鉄舟寺に至るのかが分からないが、どちらかあるいは両方がルートだったと思われる。山際ルートは幾分たどれるが鉄舟寺までは通れない。
・鉄舟寺(村松2188) 
* 「久能寺観音道」、「安倍七観音霊場巡り」を参照。


あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(古道)の記事
 北街道(県道静岡千代田清水線)中世東海道 (2016-12-04 17:54)
 安倍街道 (2014-11-04 00:01)
 古代官道:東海道、静岡市街 (2014-03-02 21:01)
 古代の東海道(静岡市→焼津市)、万葉の東路 (2011-10-02 12:43)
 「東海道山すじ日記」の通行ルート (2011-10-02 10:38)
 大谷街道 (2011-04-29 23:07)

Posted by 兵藤庄左衛門 at 17:51│Comments(0)古道
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
久能街道(大谷←→駒越←→鉄舟寺)
    コメント(0)