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2010年02月21日

身延街道、芭蕉天神道

身延街道、芭蕉天神道(身延街道由比コース)
 芭蕉天神道は、身延街道3コース(興津、岩淵、由比)のうちの一つで、時代的にはもっとも古いコースである。今川義元に嫁いだ武田信玄の妹が通った道という。昭和初期に鉄道の身延線が開通するまで、由比・蒲原の海産物を徒歩で万沢の宿場まで運ぶことにも利用されていた。
・旧東海道筋由比北田芭蕉天神道分岐点(静岡県静岡市清水区由比北田)
 旧東海道の北田92番地と95番地の間の妙栄寺参道や旧由比町役場入口が、芭蕉天神道入口である。かつてはここに石道標の芭蕉天神を指し示す物があったが、取り除かれた。今は芭蕉天神宮入口に安置されている。70m北上すると寺の入口である。
・妙栄寺(清水区由比北田109番地)
 門前には谷口法悦建立のひげ題目があり、馬頭観音や地蔵菩薩がある。
・100m北上すると、旧由比町役場に達し、向かいのJAに石碑「旧町役場跡」がある。さらに60m北上すると信号のある県道交差点に到達する。ここで県道を横断して15m左の細い道を北上する。200m北上すると、北野天満宮に達する。
・北野天満宮
 境内に常夜燈がある。あえて天満宮前を通過しているようだ。
・200m北上すると、Y字路に出て、板碑「交通安全」があり、近くに板碑の記念碑がある。さらに北上するが一旦左に進み50m先で右に進み結局板碑の右の道と合流する。
・そのまま直進北上で新幹線ガードをくぐり平田タバコ店前を通過し、4軒先左にお堂と石仏を見る。道は直進する。
・250mで由比川の正月橋に出る。正月橋を渡って左折するのは新道といえる。この付近の丘上に林香寺がある。旧道は橋の手前を北上し、みかん畑を進む。
・280mで右に由比川に架かる天神橋という狭い橋が見える。これを渡り左に北上する狭い歩道を通り、新道の県道に合流する。
・そこに馬頭観音がある。そして新道の県道を少し戻るが山側に「菅原天神宮」がある。
・菅原天神宮
 特に古いものはないが、川を渡河した所にあえて天神宮を祀ってあると考えてよいようだ。ここからは新道の県道を行く。
・東山寺と入山の境に架かる幸橋袂に馬頭観音「昭和六年」がある。
・由比入山簡易郵便局手前に石仏と地蔵がある。
・由比・中村・山内分岐点、地蔵(座位)、馬頭2基「寛政三」「□年」。
・簡易郵便局前の道を山内に上っていくと、みかん畑に多数の石仏がある。
・入山親水公園向かいの中村橋バス停付近の県道から分岐し、中村に上っていく自動車道(由比廻沢市道)を通っていくと中村入口に馬頭観音4基、道祖神祠2基(今はない)があった。なお県道から分岐しないで、県道を直進するルートは、のちほど「中村、鬼子母神コース」として紹介する。
・集落中心あたりに朝日堂があり、ひげ題目塔、石仏、道祖神がある。
・朝日堂向かいの家の裏山に続く登山道を見つけられる。これが大昔の芭蕉天神道と思われる。山内・中村集落から裏山の尾根に達し、尾根に付かず離れずで北上し、旧由比町(静岡市清水区)と旧芝川町(富士宮市)境の在田の佐野氏宅前に出ることになる。この道沿いに特に古い遺物は見られない。 
・中村・山内集落を過ぎ由比廻沢市道が大きく右カーブする手前の石垣コンクリート上の防災ネットの内側に、石塔「妙法 扉戸 三夢盆幾二月」がある。
・槍野うつぎの分岐手前に、馬頭観音、銚子滝入口がある。銚子滝は入口から沢まで降り
てしばらく沢を上ると見えるが、市道から銚子滝のてっぺんで水流が銚子の口のように狭まるのが見える。この真下が滝である。
・市道をしばらく行くと槍野(うつぎの)橋が見える。橋を渡ると槍野(うつぎの)集落に行けるが、分岐する「槍野(うつぎの)コース」はあとで紹介する。
・槍野(うつぎの)橋を渡らずやり過ごし市道を進む。800mで桜野橋前に出る。この橋手前に石仏「南無馬頭観世音」がある。
・桜野橋を渡ると桜野集落であるが、「桜野コース」もあとで紹介する。 
・桜野橋を渡らず市道を1km進むと、池田橋に出る。橋手前を左折し廃村・池田に行くコースもあるが、これもあとで「池田コース」として紹介する。 
・池田橋を過ぎると嵐坂と呼ばれた辺りになるようだ。600m北上すると大桜橋が見える。左折すると林道瓜島線(林道山島線)で青木峠を越えて瓜島集落に出られるが、「青木峠コース」も後述する。 
・左折しないで500m直進すると、在田の佐野氏宅前に出る。ここに馬頭観音4基が祀られている。 
・なおも道なりに進むと板碑「大□□□□回魂碑」があり、付近から右折する道がある。右折すると先ほど知らせた「中村、鬼子母神コース」の最終合流地点となるが、これも後述する。 
・さらに道を直進する。細田と呼ばれる辺りで、かつては人家があったようだ。佐野家の稲荷神社が祀られている。さらに周辺の森の中に墓地が点在する。かつて人家があった辺りである。小路という今は薄気味悪い所を過ぎると、峠になっているところに出る。
・市道のやや右上に旧道と石塔類(地蔵、供養塔、大乗妙典)がある。 
・大晦日(おおづもり)手前で、「大納言石」南の案内標識があり、付近に馬頭観音がある。案内標識に従い市道の上の歩道を歩くと大きい石「大納言石」が見える。この道が芭蕉天神道であることはいうまでもない。歩道を北に行くと市道にまた出る。その北の地点にも案内標識が出ている。その昔、久我大納言が大宮(富士宮浅間大社)に行く途中この地の大石上にて病気で亡くなったという伝説がある。この石が大納言石といわれる。
・市道をさらに北に向かうと、石道標「弘化三年 右由井 左天神」がある。由比と芭蕉天神への分岐を示す。芭蕉天神道自体は尾根に近い道を通り、尾根上の「五輪の榧の木」に向かうが、一旦ここで直下の天神社に向かう。
・市道から離れ参道になると石塔5基がある。「□□天神の□□□暦九卯 □ミち」「従是芭蕉天神社三丁下ル 文化十二亥年五月廿五日立之 府中安西四丁目講中」「文政四年巳二月吉日」「猿田彦大神……」、平成の石柱がある。
・芭蕉天神社境内には、馬頭観音2基がある。
 芭蕉天神社はかつて大納言石上にて亡くなった久我大納言を祀るために建てられたという伝説のためか、98年には境内の寄付者一覧表に久我家子孫の女優:久我美子の名前もあった。
 参道を戻って先ほどの市道との分岐点に戻り、市道から尾根に向かう道へ分岐し進んでいく。
・尾根の最高地点で人家(内房大晦日5681番地、望月宅)が途切れ、「五輪の榧の木」(タブの木)に達する。この木の左(西)側に歩道がついている。これこそが芭蕉天神道の古道残存部である。歩道を辿っていくとはじめは茶畑内を進むが、杉檜の植林地に入り尾根に付かず離れず程度に巻く道になる。分かりにくい道だが人為的な切通し部分を見落とさないように進めば辿ることができる。道幅は1~1.5m程である。道端に海の貝殻がいくつか落ちている。昭和2年に鉄道身延線が開通するまで万沢宿に天秤棒で海産物を届けていたルートなので、この辺りで配達人が少し貝を食べて栄養補給をしていたのかもしれない。道を辿るうち、下って山に挟まれた平坦地に出る。この平坦地へは大晦日の市道から分岐する林道を通ってくるとたどり着く場所である。この平坦地から林道は山の東側をまだ北上する。この道が芭蕉天神道を林道化した道である。
・林道を辿る。200~300m進んだ途中に傾いた文字碑の馬頭観音「天保八年五月三日 馬頭観世音菩薩 □□□ 鈴木□□□」がある。ここからもう200~300mで林道も終わる。しかし林道の先の藪の中に人為的な切通しが見られる。そうこれも芭蕉天神道の古道残存部である。藪を抜けたりよけたりして何とかかいくぐれば進むことは可能である。切通しを見失わないようにすれば迷うことはない。700m下ると切通しが崩れかかっている所がある。この少し下で沢を渡る箇所になる。その対岸に石垣が見える。今は廃道で無論使われていないが、昭和期前半に補強された石垣だろう。しばらくすると先ほどから出てくる市道(旧町道:由比廻沢線)に出る。芭蕉天神道は市道に沿い数十m下り、市道から砂防ダム付近の廻沢川断崖上に降りる。
・そこに2基の馬頭観音「馬頭観世音 □□□」、「天保七申年 南無馬頭観世音菩薩 四月二十三日」がある。ここに馬頭観音があるのは、廻沢川を渡る地点だからである。今は断崖になっているが、かつては川べりに降りられる道があったはずだ。ここで川を渡り対岸になると、田畑の中の畦道を通って、毛通りという今はアスファルトの道に出る。
・この合流地点に石道標「右ハ芭蕉天神道 左ハ松野岩淵村 巡沢 望月ふく建立」が立つ。ここで芭蕉天神道は岩淵コースに合流して終点となる。しかし時代的には芭蕉天神道(身延街道、由比コース)の方が古いので、由比コースこそがここ廻沢の内房から万沢に至ったのであり、岩淵コースがここで芭蕉天神道に合流したというべきか。内房から山梨県へのコースは、ブログの岩淵コースや山梨県コースを参照してほしい。

・先ほどの砂防ダム付近からまだ市道は廻沢の県道に向かい300mほど下り合流する。その途中に、道祖神2基、秋葉山常夜燈、石仏3基がある。
・市道を大晦日に戻って話をすると、集落近辺の市道沿いに2基の馬頭観音と石仏らしきがある。
・市道を大晦日から廻沢方向へ下っていくと、泉水という集落に分岐する道があり、その付近に馬頭観音「南無馬頭観世音菩薩 □□□八日 望月由太郎□□□」がある。泉水には道祖神や芭蕉天神宮に川沿いを通って行けるコース入口もある。泉水を越えて上っていくと、岩淵コース台山峠のゴルフ場に出る。送り神や二本松がかつてあった所である。ゴルフ場近くには、はたご池や石塔場があり、「あいせん道」(今は東海自然歩道)もあり、後述する。このゴルフ場前のアスファルト道を下っていくと、北松野の妙松寺前に出る。

・「中村、鬼子母神コース」
  中村の入山親水公園前、中村橋に話を戻す。ここで市道へ分岐せず、県道:富士・富士宮・由比線を直進して北上する。300m進むと入山橋に出る。この手前に石仏(馬頭観音4基、大日如来2基、地蔵1基)がある。橋を渡り諸木沢集落を過ぎ、次の福沢集落の手前で左の久保山に分岐する狭い自動車道がある。この道へ分岐する。沢沿いに上っていく道で、そのうち沢を離れ山の斜面を上っていく。この付近の草むらの中に旧道の切通しが見られることがある。上ると明るい平坦地に出る。久保山である。今は畑と墓地になっているが、かつては集落があったはずである。この奥に鬼子母神:法泉寺がある。その100m手前の道沿いに馬頭観音も安置されている。法泉寺にも石塔類が多数ある。寺を過ぎこの道をさらに進むと在田の佐野宅前の市道に合流する。
・「槍野(うつぎの)コース」
  市道の槍野(うつぎの)橋に話を戻す。ここから橋を渡り、槍野集落を目指す。集落入口左に板碑「部落是」がある。集落内の槍野会館横の椎の木の下に石塔類5基(常夜燈、庚申塔、馬頭観音、五百五十遠忌碑等)がある。畑の中に石塔がある。集落上の白山堂に石塔類15基(道祖神、馬頭観音、庚申、地蔵、ひげ題目、灯籠等)がある。その上に神社があり、石塔3基(常夜燈、手洗石等)がある。林道または登山道(旧道の切通し道、坂本への峠道)を上ると、由比側と清水区坂本側の分界尾根となる。この付近に石塔2基(馬頭観音、牛馬安全)があり、その背後の森を「結いの森」といって、由比の語源とされる。
  ここからさらに尾根沿い登山道を南下すると浜石岳となるが、その手前に浜石岳の語源とされる、浜石の巨岩が尾根付近の植林地内に見られる。かつてはカヤトの草地だったので、麓、特に海上の船から浜石が見えて目印(こういうのを山あてという)になっていたのだ。山頂のすぐ北側に道祖神が祀られている。
・「桜野コース」
  市道の桜野橋に話を戻す。橋を渡って桜野集落に上っていく。集落付近の畑内に石塔1基があり、集落内に石塔5基がある。集落上の「薬師堂」に大日如来がある。その上の旧道切通し横に「牛頭天王社」がある。この旧道切通し登山道は旧由比町と旧清水市の分界尾根を越え、かつては清水区上倉・逢坂に通じていたようだ。今は廃道である。
・「池田コース」
  市道の池田橋に話を戻す。池田橋で左折し林道を1km進むと左へヘアピンカーブになる。ここに石塔2基(電燈施設記念、大日如来)がある。林道はカーブするが、カーブしないで直進していく狭い歩道が植林地内に延びていく。この歩道を進むと植林の中に平坦地がある。かつては池田という集落の跡で、98年には廃屋、家の基礎、元禄期の年号のある墓石等の墓地もあったのだが、00年には撤去されていた。この歩道をさらに道なりに進むと旧清水市側の沢に下り、尻喰い坂に至り、さらに上倉・逢坂へ至ったようだ。途中で桜野の神社からの道とも合流したようだ。
・「青木峠コース」
  市道の大桜橋に話を戻す。橋を渡って、旧芝川町(富士宮市)になる。林道を上り詰めると瓜島との分水嶺の峠となる。ここが青木峠であり、昔は長者が住んでいて、輸送業(多分、人足や馬方)の元締めをしていて長者屋敷があったという。今は人為的痕跡は見られない。瓜島まで林道を下っても石塔などない。峠付近から旧道らしき入口はあるが、進めそうもないほどの廃道である。伝説だけで痕跡はない。
・「あいせん道」
  旧富士川町(富士市)北松野泉水上でリバー富士カントリークラブゴルフ場入口手前に東海自然歩道「はたご池」がある。池の畔の石塔場には石塔類が合祀されている。また荒澤不動尊奥の院もある。この付近から泉水に下る旧道もあったし、ゴルフ場になって消滅した送り神へ行く道もかつてあった。ここから南へ行く東海自然歩道がかつての愛染堂へ行く道で「あいせん道」である。愛染堂は明治初期に廃寺になり、寺宝の愛染明王像は麓の妙松寺に引き取られ寺宝で文化財となっている。道は整備されているのですこぶる歩きやすい。途中立派な馬頭観音が斜面上にある。ここが泉水・大晦日方向へ下る尾根道の分岐点を示すが、尾根上にすでに道はない。愛染堂があった所は杉檜の植林地だが平坦で僧侶の墓石がいくつか朽ち果てているので分かる。しかし建物の痕跡はない。道はここからまだ南に向かい県道:富士宮由比線に合流する。自然歩道はさらに先の野田山健康緑地公園に続いて行く。

*石塔の刻字等は『古街道を行く』鈴木茂伸(静岡新聞社)を参照してほしい。




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Posted by 兵藤庄左衛門 at 22:38│Comments(0)古道
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