2007年09月23日
静岡市山間部の峠道
石仏のある峠道 静岡市葵区清沢下相俣~静岡市葵区小布杉 未開通県道
ルートは、静岡市街から千頭に向かう国道346号線で、藁科川を上り八幡で黒俣川に沿い左折する。相俣の清沢小を500m過ぎると、地域の物産販売所があり、国道が急に右カーブする。そこを左折し、南に向かい、沢に沿って山奥に入る。途中県道の朽ち果てた標識があるかもしれない。かつての県道である。といっても自動車で抜けられるわけではなく、昔は徒歩道でも県道だったのだ。山腹途中で車は行き止まりとなる。未開通県道なのだ。但し道は荒れて狭くて山岳林道である。行き止まりの手前に沢を渡る橋がある。その沢の右に、奥に続く徒歩の登山道または踏み跡らしきがある。ここから600mで峠に達する。沢に沿って上り行程の半分程で左折し沢を渡る。沢の向こうの道に出て、踏み跡をたどれば峠に出る。「明治四十三年」の石地蔵と壊れて胸から上の地蔵があり、30m東には巨木の杉もある。「小布杉の清沢」という道標があらたに設置されていて、あまり迷わず歩けそうだ。かつての清沢と小布杉を結ぶ古い峠道で、昔の住民の生活道路だ。
峠を越えて下ると、南斜面で急に明るくなる。切通しの登山道がしっかりついているので迷わない。200m歩くと廃道の林道に出る。古い登山道は林道の真下にあるはずだが、ひどい藪なので探すのをあきらめ、雑草だらけの荒れた廃林道を左に下る。(右に行けば100mで行き止まりだ。)左500mで小布杉と富沢を結ぶきれいな舗装路に出る。この廃林道は車止めがなされていて車では入れない。右に下るとすぐに小布杉の集落である。
そなみに小布杉と富沢を結ぶ舗装路の中間の峠に地蔵が祀られていて、北に行く林道がある。地蔵の裏の山は「富沢の頭」といって、峠から標高差50m、距離150mで上れる。ただしまともな道はない。「富沢の頭」山頂から真西に下って標高差50m、距離400mで、先ほどの「小布杉の清沢」峠に達する。
また小布杉や付近の三ツ野等の集落や朝比奈川沿いの県道には多数の石塔、石仏が見られ、いにしえ発見のドライブやウオーキング、サイクリングに良い。サイクリングで山越えするとなると、それ相応の実力は必要である。
国道346号線沿いには、他にも「笹間峠」など、昔の道や石仏が随所にある。国道346号線自体が、かつての南北朝時代の南朝方連絡道である川根街道(藁科街道、静岡街道、秋葉街道とも云われた)の最新版であり、今の道の付近に古い川根街道の残存部や古い街道の遺物が残されている。いにしえを感じながら歩くのに最適である。川根街道の一部、鍵穴「のがたけ」から九能尾の区間は、東海自然歩道になっていて歩きやすい。国道346号線を通るだけでも多数の石仏が見られる。
川根街道の詳細は、『古街道を行く』鈴木茂伸(静岡新聞社)に説明されている。
弓折峠(静岡市葵区西又~岡部町玉取沢)
ダイラボウの南南西1kmの所に弓折峠がある。西又からの農道を北に詰めた所から徒歩10分、標高差70mで上れる。または玉取沢の農道を東に詰めた所から、「ダイラボウ→」の標識に従って、徒歩15分、標高差100mで上れる。道は荒れていて分かりにくい。上り詰めた所は平らな植林地だ。峠には上面が平坦な石が数個置かれている。おそらくかつては石仏や石塔の類が上に祀られていたのだろう。集落を結ぶ生活道路だったのだろう。植林地内の下草を見ると、茶の木がいくつか見られ、かつては茶畑だったことをうかがわせる。茶畑だったらさぞ見晴らしが良かったろう。峠から尾根を北に向かうと、ダイラボウに行くルートにもなるが、あまり通る人はなさそうで道が明瞭かは不明。ただかつては私も通ったことはある。ちなみにダイラボウへは現在、富厚里峠から林道を通って車で山頂まで行ける。但し林道なので道は荒れている。
玉取沢や西又の集落には古い石塔や石仏が見られるので、いにしえを感じるウオーキングには良い。
谷川峠(静岡市葵区飯間~岡部町谷川)
飯間は小瀬戸城の麓であり、小瀬戸城に関する地名と考えられている。城の武士達が食事を取った場所と推定されている。その飯間の奥、飯間沢川をさかのぼって行く。途中、野田沢への右の分岐点があるが、そちらに行かず、川に沿って道なりに上って行く。第二東名が見えなくなって2km上ると、農道は行き止まりで徒歩となる。90年代まで登山道は整備され、途中に茶畑もあり、ここの小さな平坦地が戦に関する地名であることを紹介する看板まで掲げられていたが、05年茶畑は荒地と化し、道は廃道である。沢に架かる丸太橋は朽ちて危なそうなので沢に下りて渡るなど苦慮する。徒歩500mで何とか峠に出た。峠で岡部町谷川領内になり、茶畑が整備されていて、その先はきれいだ。畑の中を150m下ると農道に出て、すぐに今は廃村の谷川集落が見える。但し付近の畑は整備されており、麓から村の人達が畑仕事に来ている。
宇津ノ谷峠、満観峰、日本坂峠、花沢山、大崩れハイキングコース
(静岡市と岡部町及び焼津市の境界尾根付近)
谷川峠の少し東上に登山道があり、しばらく南に歩くと静岡市と岡部町の境界線尾根に出て、それに沿って宇津ノ谷峠まで行ける。なお宇津ノ谷峠をコースの起点にした方が動きやすい。宇津ノ谷峠は江戸時代の東海道である。この峠からさらに東の境界線尾根に沿って行くことはできる。但しきれいな道ではないので、尾根をはずさないよう注意深く進む必要がある。中世東海道の「つたの細道」の峠を通過し、満観峰にたどりつける。満観峰からはさらに日本坂峠や花沢山、大崩れハイキングコースにまでつながっている。満観峰からのコースは標識や道がはっきりしているので、家族でのハイキングにも利用できる。日本坂峠は古代の東海道で、石仏が祀られている。
花沢山からの大崩れハイキングコースは江戸期の石塔類があり古式ゆかしく、範囲は花沢山、小浜、グランドホテル松風閣にまたがっている。特に大崩れ尾根上コースの小浜集落への分岐点付近に石塔がある。しかもコースは一年を通じて小浜集落で整備しているらしい。なぜかというと、大崩れの県道が時々崩落等通行止めになり、小浜集落の人達の通学、通勤に困るので、緊急通路として昔からの遊歩道を活用するためらしい。そのためこんな里山の古道がいまだに廃道にならずに残存して、ハイキングコースにもなっているようだ。とても珍しい保存例だろう。ただ問題点としては、昔は小浜から花沢山山頂を経由しないで中腹を通って石部の集落に行けたコースがあったはずだが、それはさすがに消滅していて私にも分からない。そのコースが復活すれば満点である。
野田沢峠、西又(静岡市と岡部町の境界尾根)
谷川峠の西尾根を上っていくコースは、静岡市と岡部町の境界尾根をたどるコースでもある。尾根を注意深く追って行くと、野田沢峠に出られる。途中にも人為的切通しが見られ、かつては随所に山越えの徒歩道があったことが分かる。峠は現在、10m真下に切通しの舗装道路となっているので、用心して降りる。一旦降りて又尾根に取り付く階段を上ると、六地蔵が祀られている。その背後から又尾根に取り付き追って行く。残念ながら西又峠に出られる道はないが、尾根をまたぐ山越え徒歩道に出たところで、すぐ北に西又集落から南に延びる農道終点が見えるので、農道に下りて進めば、西又集落である。西又には三十三観音等の石仏がある。なおコースの起点を野田沢峠にした方が動きやすい。
徳願寺、歓昌院坂、飯間山(象山)、谷川峠
静岡市向敷地に安倍七観音、徳願寺がある。付近には「手児の呼坂」という古道で順礼道も残っている。徳願寺は徳願寺山の中腹にあり、麓から古い参道を上っていくと、石道標が迎えてくれる。寺の門前を横切る農道を200m上ると、畑の脇に山を上るハイキング標識があるので従い、山奥に入って行く。山頂(標高352m)は「仏平」という標識があり、人為的な掘り切りや土塁のような跡等が見られる。畑か中世の大窪寺の跡か。大窪寺は徳願寺の前身で、かつては山頂に寺があった。山頂には「大久保山」という標識もある。一般的には徳願寺山といわれているが、これが正式名なのか分からない。大久保山(標高352m)をあとにして、西尾根に道が続く。平坦な尾根を750m歩くと、「小豆山」(標高375.8m)に着く。
ここから西へ700m下ると、歓昌院坂(標高171m)の峠である。歓昌院坂の古式ゆかしさは、手児の呼坂から丸子泉ヶ谷そして歓昌院までの順礼道だけでなく、実はここから牧ヶ谷及び「木枯らしの森」にかけても石塔類が見られ、良いコースである。牧ヶ谷という地名自体が古代の官営牧場を意味するといわれる。歓昌院坂(標高171m)からさらに西尾根を700m上る。
山頂ではないが、三角点(標高313.2m)がある。三角点は山頂の高さを表すと思っている人がいるが、そうではない実例になる。三角点は四角い石の標識で上面に十字が彫られていて、三角点測量をしやすい所に設置するものなのだ。ちなみに静岡市役所旧館ドームにも埋設されている。
三角点から、300m歩き標高差100mかせぐと「丸子山」山頂である。山頂の少し下から南尾根をたどると丸子城に至るはずである。丸子山から西尾根をたどり三つのピークを越え1.2km歩くと「大 山」(標高356m)に至る。ちょうど大 不動尊裏山山頂になる。ここから南に尾根を取る。200m先に東の大 に降りる道もある。南に1kmでまた西尾根に分岐して進む。
1km進んで上りきると、「飯間山(象山)」(標高481.5m)に着く。標識には「飯間山」となっているが、図書館にある高校山岳部の記録には「象山」と記載されている。どちらが正しいか分からない。ここから平坦な西尾根を1kmたどると、そこにも三角点(標高412.3m)があり、ここが岡部町と静岡市の境界になっている。この三角点から西へ尾根らしくなく道らしくもないが標高100m下ると、谷川峠に出る。また三角点(標高412.3m)に戻り、南に境界線尾根をたどり宇津ノ谷峠に至ることもできるが、境界線尾根に忠実な道がない所があるので、地図と磁石で踏み迷わずルートファインディングできないと困る。あるいはこのあたりの山道がハイキング用に整備されつつあるので、宇津ノ谷峠まで標識をたどっていけるようになっているかもしれない。
宇津ノ谷峠から谷川峠、野田沢峠さらに北方へ延びる山道は、藁科川と朝比奈川の分水嶺を貫いてかつての山里への連絡道だったのか。また宇津ノ谷峠から谷川峠、飯間山(象山)、丸子山、歓昌院坂、大窪寺を結ぶ道は各ポイントの中に古代、中世に起源を持つものがあり、相当古い道の可能性がある。
・真富士峠、静岡市葵区と清水区の境
私は、かつて80年代後期頃、真富士山登山道沿いに木の看板で登山道の標識を立てた。その中で第一真富士と第二真富士の間の急坂だが近道が分岐合流することになる乗っ越し、鞍部を示すのに峠と書いて示した。その峠と書いたすぐ近くに第一と第二の山を示す「真富士」という字も書いてあった。だから読みようによっては、「真富士の峠」または「真富士峠」と読む人がいても致し方ない書き方だった。この木の看板はすぐに壊れたが、誰だか知らない人が、後に立派な看板を付け替えてくれた。そこにこの鞍部が「真富士峠」と示された。以後誰もが「真富士峠」と称するようになった。これ以前地元の人や山好きな人でも「真富士峠」と言う人はいなかったから、明らかに看板設置以後普及した名である。うーん、勝手に名をつけるのに加担したのかな。しかしこの峠、固有名詞をつけるとしたら、この名しかなかろう。このように地名はできていくものだろうか。
ルートは、静岡市街から千頭に向かう国道346号線で、藁科川を上り八幡で黒俣川に沿い左折する。相俣の清沢小を500m過ぎると、地域の物産販売所があり、国道が急に右カーブする。そこを左折し、南に向かい、沢に沿って山奥に入る。途中県道の朽ち果てた標識があるかもしれない。かつての県道である。といっても自動車で抜けられるわけではなく、昔は徒歩道でも県道だったのだ。山腹途中で車は行き止まりとなる。未開通県道なのだ。但し道は荒れて狭くて山岳林道である。行き止まりの手前に沢を渡る橋がある。その沢の右に、奥に続く徒歩の登山道または踏み跡らしきがある。ここから600mで峠に達する。沢に沿って上り行程の半分程で左折し沢を渡る。沢の向こうの道に出て、踏み跡をたどれば峠に出る。「明治四十三年」の石地蔵と壊れて胸から上の地蔵があり、30m東には巨木の杉もある。「小布杉の清沢」という道標があらたに設置されていて、あまり迷わず歩けそうだ。かつての清沢と小布杉を結ぶ古い峠道で、昔の住民の生活道路だ。
峠を越えて下ると、南斜面で急に明るくなる。切通しの登山道がしっかりついているので迷わない。200m歩くと廃道の林道に出る。古い登山道は林道の真下にあるはずだが、ひどい藪なので探すのをあきらめ、雑草だらけの荒れた廃林道を左に下る。(右に行けば100mで行き止まりだ。)左500mで小布杉と富沢を結ぶきれいな舗装路に出る。この廃林道は車止めがなされていて車では入れない。右に下るとすぐに小布杉の集落である。
そなみに小布杉と富沢を結ぶ舗装路の中間の峠に地蔵が祀られていて、北に行く林道がある。地蔵の裏の山は「富沢の頭」といって、峠から標高差50m、距離150mで上れる。ただしまともな道はない。「富沢の頭」山頂から真西に下って標高差50m、距離400mで、先ほどの「小布杉の清沢」峠に達する。
また小布杉や付近の三ツ野等の集落や朝比奈川沿いの県道には多数の石塔、石仏が見られ、いにしえ発見のドライブやウオーキング、サイクリングに良い。サイクリングで山越えするとなると、それ相応の実力は必要である。
国道346号線沿いには、他にも「笹間峠」など、昔の道や石仏が随所にある。国道346号線自体が、かつての南北朝時代の南朝方連絡道である川根街道(藁科街道、静岡街道、秋葉街道とも云われた)の最新版であり、今の道の付近に古い川根街道の残存部や古い街道の遺物が残されている。いにしえを感じながら歩くのに最適である。川根街道の一部、鍵穴「のがたけ」から九能尾の区間は、東海自然歩道になっていて歩きやすい。国道346号線を通るだけでも多数の石仏が見られる。
川根街道の詳細は、『古街道を行く』鈴木茂伸(静岡新聞社)に説明されている。
弓折峠(静岡市葵区西又~岡部町玉取沢)
ダイラボウの南南西1kmの所に弓折峠がある。西又からの農道を北に詰めた所から徒歩10分、標高差70mで上れる。または玉取沢の農道を東に詰めた所から、「ダイラボウ→」の標識に従って、徒歩15分、標高差100mで上れる。道は荒れていて分かりにくい。上り詰めた所は平らな植林地だ。峠には上面が平坦な石が数個置かれている。おそらくかつては石仏や石塔の類が上に祀られていたのだろう。集落を結ぶ生活道路だったのだろう。植林地内の下草を見ると、茶の木がいくつか見られ、かつては茶畑だったことをうかがわせる。茶畑だったらさぞ見晴らしが良かったろう。峠から尾根を北に向かうと、ダイラボウに行くルートにもなるが、あまり通る人はなさそうで道が明瞭かは不明。ただかつては私も通ったことはある。ちなみにダイラボウへは現在、富厚里峠から林道を通って車で山頂まで行ける。但し林道なので道は荒れている。
玉取沢や西又の集落には古い石塔や石仏が見られるので、いにしえを感じるウオーキングには良い。
谷川峠(静岡市葵区飯間~岡部町谷川)
飯間は小瀬戸城の麓であり、小瀬戸城に関する地名と考えられている。城の武士達が食事を取った場所と推定されている。その飯間の奥、飯間沢川をさかのぼって行く。途中、野田沢への右の分岐点があるが、そちらに行かず、川に沿って道なりに上って行く。第二東名が見えなくなって2km上ると、農道は行き止まりで徒歩となる。90年代まで登山道は整備され、途中に茶畑もあり、ここの小さな平坦地が戦に関する地名であることを紹介する看板まで掲げられていたが、05年茶畑は荒地と化し、道は廃道である。沢に架かる丸太橋は朽ちて危なそうなので沢に下りて渡るなど苦慮する。徒歩500mで何とか峠に出た。峠で岡部町谷川領内になり、茶畑が整備されていて、その先はきれいだ。畑の中を150m下ると農道に出て、すぐに今は廃村の谷川集落が見える。但し付近の畑は整備されており、麓から村の人達が畑仕事に来ている。
宇津ノ谷峠、満観峰、日本坂峠、花沢山、大崩れハイキングコース
(静岡市と岡部町及び焼津市の境界尾根付近)
谷川峠の少し東上に登山道があり、しばらく南に歩くと静岡市と岡部町の境界線尾根に出て、それに沿って宇津ノ谷峠まで行ける。なお宇津ノ谷峠をコースの起点にした方が動きやすい。宇津ノ谷峠は江戸時代の東海道である。この峠からさらに東の境界線尾根に沿って行くことはできる。但しきれいな道ではないので、尾根をはずさないよう注意深く進む必要がある。中世東海道の「つたの細道」の峠を通過し、満観峰にたどりつける。満観峰からはさらに日本坂峠や花沢山、大崩れハイキングコースにまでつながっている。満観峰からのコースは標識や道がはっきりしているので、家族でのハイキングにも利用できる。日本坂峠は古代の東海道で、石仏が祀られている。
花沢山からの大崩れハイキングコースは江戸期の石塔類があり古式ゆかしく、範囲は花沢山、小浜、グランドホテル松風閣にまたがっている。特に大崩れ尾根上コースの小浜集落への分岐点付近に石塔がある。しかもコースは一年を通じて小浜集落で整備しているらしい。なぜかというと、大崩れの県道が時々崩落等通行止めになり、小浜集落の人達の通学、通勤に困るので、緊急通路として昔からの遊歩道を活用するためらしい。そのためこんな里山の古道がいまだに廃道にならずに残存して、ハイキングコースにもなっているようだ。とても珍しい保存例だろう。ただ問題点としては、昔は小浜から花沢山山頂を経由しないで中腹を通って石部の集落に行けたコースがあったはずだが、それはさすがに消滅していて私にも分からない。そのコースが復活すれば満点である。
野田沢峠、西又(静岡市と岡部町の境界尾根)
谷川峠の西尾根を上っていくコースは、静岡市と岡部町の境界尾根をたどるコースでもある。尾根を注意深く追って行くと、野田沢峠に出られる。途中にも人為的切通しが見られ、かつては随所に山越えの徒歩道があったことが分かる。峠は現在、10m真下に切通しの舗装道路となっているので、用心して降りる。一旦降りて又尾根に取り付く階段を上ると、六地蔵が祀られている。その背後から又尾根に取り付き追って行く。残念ながら西又峠に出られる道はないが、尾根をまたぐ山越え徒歩道に出たところで、すぐ北に西又集落から南に延びる農道終点が見えるので、農道に下りて進めば、西又集落である。西又には三十三観音等の石仏がある。なおコースの起点を野田沢峠にした方が動きやすい。
徳願寺、歓昌院坂、飯間山(象山)、谷川峠
静岡市向敷地に安倍七観音、徳願寺がある。付近には「手児の呼坂」という古道で順礼道も残っている。徳願寺は徳願寺山の中腹にあり、麓から古い参道を上っていくと、石道標が迎えてくれる。寺の門前を横切る農道を200m上ると、畑の脇に山を上るハイキング標識があるので従い、山奥に入って行く。山頂(標高352m)は「仏平」という標識があり、人為的な掘り切りや土塁のような跡等が見られる。畑か中世の大窪寺の跡か。大窪寺は徳願寺の前身で、かつては山頂に寺があった。山頂には「大久保山」という標識もある。一般的には徳願寺山といわれているが、これが正式名なのか分からない。大久保山(標高352m)をあとにして、西尾根に道が続く。平坦な尾根を750m歩くと、「小豆山」(標高375.8m)に着く。
ここから西へ700m下ると、歓昌院坂(標高171m)の峠である。歓昌院坂の古式ゆかしさは、手児の呼坂から丸子泉ヶ谷そして歓昌院までの順礼道だけでなく、実はここから牧ヶ谷及び「木枯らしの森」にかけても石塔類が見られ、良いコースである。牧ヶ谷という地名自体が古代の官営牧場を意味するといわれる。歓昌院坂(標高171m)からさらに西尾根を700m上る。
山頂ではないが、三角点(標高313.2m)がある。三角点は山頂の高さを表すと思っている人がいるが、そうではない実例になる。三角点は四角い石の標識で上面に十字が彫られていて、三角点測量をしやすい所に設置するものなのだ。ちなみに静岡市役所旧館ドームにも埋設されている。
三角点から、300m歩き標高差100mかせぐと「丸子山」山頂である。山頂の少し下から南尾根をたどると丸子城に至るはずである。丸子山から西尾根をたどり三つのピークを越え1.2km歩くと「大 山」(標高356m)に至る。ちょうど大 不動尊裏山山頂になる。ここから南に尾根を取る。200m先に東の大 に降りる道もある。南に1kmでまた西尾根に分岐して進む。
1km進んで上りきると、「飯間山(象山)」(標高481.5m)に着く。標識には「飯間山」となっているが、図書館にある高校山岳部の記録には「象山」と記載されている。どちらが正しいか分からない。ここから平坦な西尾根を1kmたどると、そこにも三角点(標高412.3m)があり、ここが岡部町と静岡市の境界になっている。この三角点から西へ尾根らしくなく道らしくもないが標高100m下ると、谷川峠に出る。また三角点(標高412.3m)に戻り、南に境界線尾根をたどり宇津ノ谷峠に至ることもできるが、境界線尾根に忠実な道がない所があるので、地図と磁石で踏み迷わずルートファインディングできないと困る。あるいはこのあたりの山道がハイキング用に整備されつつあるので、宇津ノ谷峠まで標識をたどっていけるようになっているかもしれない。
宇津ノ谷峠から谷川峠、野田沢峠さらに北方へ延びる山道は、藁科川と朝比奈川の分水嶺を貫いてかつての山里への連絡道だったのか。また宇津ノ谷峠から谷川峠、飯間山(象山)、丸子山、歓昌院坂、大窪寺を結ぶ道は各ポイントの中に古代、中世に起源を持つものがあり、相当古い道の可能性がある。
・真富士峠、静岡市葵区と清水区の境
私は、かつて80年代後期頃、真富士山登山道沿いに木の看板で登山道の標識を立てた。その中で第一真富士と第二真富士の間の急坂だが近道が分岐合流することになる乗っ越し、鞍部を示すのに峠と書いて示した。その峠と書いたすぐ近くに第一と第二の山を示す「真富士」という字も書いてあった。だから読みようによっては、「真富士の峠」または「真富士峠」と読む人がいても致し方ない書き方だった。この木の看板はすぐに壊れたが、誰だか知らない人が、後に立派な看板を付け替えてくれた。そこにこの鞍部が「真富士峠」と示された。以後誰もが「真富士峠」と称するようになった。これ以前地元の人や山好きな人でも「真富士峠」と言う人はいなかったから、明らかに看板設置以後普及した名である。うーん、勝手に名をつけるのに加担したのかな。しかしこの峠、固有名詞をつけるとしたら、この名しかなかろう。このように地名はできていくものだろうか。
Posted by 兵藤庄左衛門 at 22:04│Comments(0)
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